第447話 末姫さまの思い出語り・その51

 義母は御聖堂おみどうに安置された母に縋り付いて離れなかった。

 だが夕方になって長男である夫に連れられて渋々と帰宅した。

 あの騒ぎは箝口令が敷かれ、外には漏れないようにあの場にいた人達に釘を刺した。

 どちらの家にとっても醜聞にしかならないからだ。

 特にあの二人の豹変ぶりは・・・。

 両家の護衛達は「素晴らしいものを見せていただきました ! 」と感激していたようだが、ギルおじ様が「二人ともまだまだだよ」と言ったのを聞いて、まだあの先があるのかと唇を噛んでいた。

 そんな訳で、あの一連の出来事は無かったことになった。


末姫すえひめちゃん、お願いしてもいいのかしら」


 下姉に頼み込んで、私は一人ダルヴィマール邸に残った。

 母の棺守を務めるためだ。

 父の時も付き添ったのだから今回もと名乗り出たら、家出娘のわがままと快く許してもらえた。

 お夕食をいただき御聖堂おみどうに入る。

 マールは入口で寝ずの番をしてくれる。

 フェンリルのシロも入りたがったが、もう中に入れるほど小さくはない。

 マールと一緒に外で待っていてくれるようだ。


 思えば母と一緒にいた時間よりも、離れた時間の方が長くなってしまった。

 私は弱虫で臆病者で、見たくないもの認めたくないものから逃げ出した。

 中途半端に首を突っ込んだ為に。

 気づかずにいたら、父の喪明けにみんなに祝福されながら婚礼の儀を上げられた。

 子供たちの成長を母と共に喜ぶことができた。

 私の心が幼いまま頑なだったために、母からそんな大切な時間を奪ってしまった。

 どう償ったらいいのだろう。

 どう謝ったらいいのだろう。


 母の御印おしるしの銀色の眉月まゆづきが空高く上がった時、棺の中の母は静かにその姿を消した。



 お棺の蓋を閉じて御聖堂おみどうの座席に座る。

 ぼおっとそうしていたら、なんだかお腹が空いてきた。

 悲しいのに、人間って食欲って沸くんだ。

 そう言えばマールが夜食と飲み物を置いて行ってくれた。

 食べようかな。

 でも少し離れた場所にあるそれを取りに行くのがなんだか面倒臭い。

 立ち上がるのも億劫だ。

 

「お腹が空いてるの ? 」


 ええ。


「何か食べる ? 」


 あそこまで行くのがだるいの。


「ならここで食べたらいいわ」


 なにを ?


「お稲荷さん。末姫すえひめちゃん、好きだったでしょう ? 」


 目の前に差し出された小皿には、二つのオイナリサンが乗っている。

 恐る恐る隣を見ると、そこには亡くなって消えたはずの母がいた。


末姫すえひめちゃんはガリより紅ショウガが好きだったわよね」

「・・・ガリは辛いから」

「五目稲荷もあるのよ。お吸い物と豚汁、どちらがいい ? 」

「豚汁がいい。里芋の入ってるやつ」

「七味はいらなかったわね」


 具沢山の豚汁。

 一口飲むとその懐かしい味に体から力が抜ける。


 グレイス家に嫁いで一番の敵は食事だった。

 肉が多く味が濃くてとにかく量が凄い。

 朝は山のようなパンとベーコンとハムとソーセージと卵。

 ジャムにペーストが何種類も。

 一人につきボールに入ったヨーグルトや果物と、実家では出てこない量が並ぶ。

 そして野菜は少ない。

 さらに塩分過多。

 ジュースは果物本来の味を大切にすることなくハチミツがたっぷり入っている。

 昼も夜も似たようなもの。

 一日おきにヒルデブランドの郷土料理を食べていた私の胃はすぐに悲鳴をあげた。


 一週間頑張った。

 無理だった。

 結果、並べられたものから極力油と塩分の少ないものを少量口にするだけになった。

 で、格下の侯爵家の、それも養女の娘が我が家の食事が食べられないのかといやがらせがは始まった。

 私が食べられるものには変な味付けがされたり熟成され過ぎてたり。

 まあ初日にして夫が気が付いてくれて、関わった使用人と料理人は全員解雇になった。

 あ、主導していたのは例の依子男爵五男の執事だったけれど、巧妙に関係証拠を消していたので解雇にはならなかった。

 もちろん義母がお目こぼしするわけがなく、公爵家一家と主要な家政から外したので、執事でありながら侍従仕事をすることになった。

 それが今回の義母への嫌がらせに繋がったのは間違いない。

 夫は数日中に紹介状なしで追い出すと言っている。

 当然なにをしたかを詳しく書いた朱文字絶縁回状が、依子貴族と有力貴族、王城へと届けられる予定らしい。

 いい年でもあるから、勤務年数に応じたそれなりの支度金を渡すのはグレイス公爵家の温情だろう。


「王城で働く依子からあなたの顔色と体調がとても悪そうだと連絡があったけれど、アンシアちゃんからレシピの催促があったのはそのせいだったのね」


 あの日から数日。

 料理人と使用人一同が私に頭を下げた。


「お食事の内容がご実家とはこれほど違うとは知らず、召し上がれぬ物ばかりお出しし申し訳ございませんでした」

「若奥様のご体調を慮ることもできず、使用人して失格でございます。これよりは心を込めてお仕えいたします。どうぞご宥恕ゆうじょ下さいますよう」


 私も早く婚家の味に馴染むよう努力をするので、あまり気にしないで欲しい。

 そう言って和解はしたのだが、残念ながらあの筋肉養成ご飯に慣れることはなかった。


「これからは時々帰っていらっしゃい。もうそろそろ体が昔の食事を欲しがる年よ」


 そう言って母は五目稲荷を二つ小皿に乗せてくれた。

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