第444話 末姫さまの思い出語り・その48

 母が去った後の夜会会場は大騒ぎになった。


「丞相、まさか今のご令嬢は・・・」

「私の母です。ルチア・ダルヴィマール前女侯爵です」


 母は数年前に姉夫婦に爵位を譲っている。

 それからはもうグレイスの義母とマール、そして数名の専属侍女にしか会わなくなっているのは聞いていた。

 実家を飛び出すまでは母は童顔なんだと信じていたのだが、多分成人直後で.時が止まってしまったのだろう。

 分厚いベールで顔を隠していたのはこのせいだったのかと今は思い当たる。

 防犯やなりすましを防ぐために、公式の席ではベールや仮面の着用は許されない。

 けれど私とグレイスの義母に会うために素顔で来てくれたのか。

 そして動き出した時は終わりを迎える。


「驚いた。まるで少女のようだ。それになんと美しい」

「殿下、こちらをご覧にならないで。あのような神々しいまでの美貌の後では、わたくしの顔など平凡で見苦しいばかりですわ」


 皇太子妃殿下が顔を赤らめて扇子で隠す。

 あちらこちらで「あれが噂のルチア姫」「月や太陽ですら恥ずかしさに顔を隠すという伝説の」「まさかご尊顔を拝することが出来るとは」などと興奮する声が聞こえてくる。

 ああ、やはり母は『普通』ではなかった。

 わかっていたのに、私は母に向き合うことなく逃げ出してしまった。

 もう謝ることもできない。

 私はグレイスの義母へ急ぎの連絡を頼む。

 大広間のざわめきは止まらない。

 明日の瓦版は賑やかなことになるだろう。



 一夜明けて。

 各瓦版工房はがんばった。

 号外に加えて一報、二報と何度も出たらしい。

 だがグレイス公爵邸は悲しみに包まれていた。

 私からの連絡、実家からの急報も間に合わなかった。

 届いた時には義母はもう休んでいたからだ。

 朝食も取らずにダルヴィマール邸に行くと言う義母を宥めるのが大変だった。

 子供たちは「まだ連絡も来ていないのに、亡くなったと決めつけるのは失礼ではないか」と止める。

 けれど義母は「お姉さまが明け方と仰るのなら、間違いなく明け方には亡くなっています ! 」と言い切った。

 とにかくあちらが落ち着くまで待つよう説得し、昼過ぎに夫と子供たちを連れて実家に向かった。


 数十年ぶりの実家はほとんど変わっていなかった。

 あの時母が作った門扉もんぴはそのまま。

 花は咲いていないが、桜並木が今日も美しい緑の木陰を作っている。

 正門から続く畑や牧場、牛や羊の鳴き声。

 この道をマールに付き添われて仕事に通った日々と同じ。

 どこからかやって来たフェンリルが馬車に伴走する。

 ちょっと大きい犬くらいだったシロは、会わないうちに馬と同じくらいの大きさに成長していた。

 

「ようこそお越し下さいました、グレイス公爵様、皆様」


 迎えてくれたのは私の知らないセバスだ。

 私がいた頃のセバスはとうに引退し、次のセバスが早世したので若くして家令職を継いだと聞いている。

 勉強不足は否めなかったが、屋敷の裏の主になっているマールに鍛えられて、今ではりっぱなセバス家令になっているそうだ。


「前侯爵のご逝去、心よりお悔やみ申し上げる。我が義母ルチア姫への別れの挨拶をお許しいただきたい」


 今は亡き義父バルドリック様の後を継いだ夫が頭を下げ、それに合わせて私たちも弔意を表す。

 そうこうしていると二階から姉夫婦とマールが現れた。

 姉は母同様に厚いベールを着けていて口元しか見えない。


「やっと帰ってきてくれたのね、末姫すえひめちゃん」

「下姉さま・・・」

「王城からお帰りになったお母様が喜んでいらしたわ。あなたのことは毎日話して聞かせてくださったけれど、覗き見するのと直接会うのとでは違うって」

「覗き見 ? 」


 そう聞くと下姉はハッと口を噤んでなんでもないわと微笑んだ。


「ご遺体はもう御御堂おみどうに安置しているの。まずはお茶をしながらこれからの予定を説明するわ。その後でお母様に会いにいきましょう」


 案内をと言われて、後ろに控えていたマールが進み出る。


「お久しゅうございます、末姫すえひめ様。お会いしとうございました」

「・・・マール、心配かけてごめんなさい。私も、会いたかった・・・」


 以前と同じ、目を隠すほどのモジャモジャの眉毛と口髭。

 穏やかで優雅な佇まい。

 優しい声は最後に会ったあの日のままだ。


「やっとこの頃マールがいないことに慣れたの」

「・・・マールは今でも慣れておりませんよ」

「隣にマールがいてくれたらって、ずっと思ってたのよ」


 捨てて逃げたのは私。

 それでもこうしてもう一度会えば、あの頃のように笑ってくれるマールはやはり執事の鏡だ。


「今日はずっと末姫すえひめ様のお傍におりますから」

「ええ。お願いするわ」


 泣きそうになる口元を扇子で隠す。

 と、その時だった。


「マール、そこに直れっ ! 」

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