第434話 末姫さまの思い出語り・その38

 舞踏披露の翌日。

 私はまた午前中で仕事を打ち切り、王都の平民街に向かった。

 数年前に建てられた王立少女歌劇団専用の『大劇場』。

 と言っても興業は隣の小劇場で行われている。

 収容人数が多すぎて、空席ばかりが目立つからだ。

「いつかこの大劇場をお客で埋め尽くせるほどになろう」と言うのが歌劇団の目標だそうだ。

 そして普段は使われないそこを借り上げて、父のピアノ演奏会が開かれることになった。

 招待状などは出さずに王城楽団や音楽学校などに声掛けをする。

 宣伝したわけではないのに、階段に座ったり席の後ろに立ったりと、三千人を収容できる劇場が一杯になった。

 貴族だけでなく平民も多い。

 職業もバラバラだ。

 冒険者もいる。

 医療ギルドや神殿からも何人か来ているようだ。

 父は治癒魔法でたくさんの人を救ってきたから、きっとその関係だろう。

 関わって来た人たちに聴いてもらいたい。

 そんな父の気持ちがたくさんの人を集めた。


 どんな難曲から始まるかと思った演奏会は、まずピアノを学び始めた子供の指運びの曲。

 そこから少しずつ難度を上げていく。

『芸披露の場』で良く弾かれる曲になると一緒に指を動かすご婦人があちこちで見られた。

 そこまで一気に弾き終わると、次はハノンという指の動きの練習曲集の中から一曲。

 やればやるほど指の動きが滑らかになると私もやらされた。

 ・・・今でも好きじゃない。

 その後は普通の人が知らない曲が続いた。

 子守歌代わりに歌ってもらった『きらきら星』や、子犬がクルクルと自分の尻尾を追いかけているような曲。

 月明りの花吹雪の中を魔物が駆け抜けていく。

 そしてスケルシュのおば様と二人で弾いた心浮き立つような楽しい曲。

 どのくらいの時間、どれくらいの数の曲を弾いたのだろう。

 父がやっと立ち上がり観客に礼をした。

 昨日の母の踊りに劣らぬ万雷の拍手が沸いた。

 

「もう一曲 ! 」と強請ねだる手拍子が広がる。

 何度も促されて、父は一曲だけを示すよう人差し指を上に向ける。

 するとピアノの位置が舞台奥に移動された。

 袖から音楽院校長がバイオリンを手に現れる。

 もしかして、昨日のあれをもう一度聞くことができるのだろうか。

 

 そんな期待で横の母を見る。

 と、その席は空になっていた。

 舞台では父があの曲を弾き始める。

 バイオリンの音が重なる。

 舞台の下手から後ろ姿の女性が現れる。

 母だ。

 ベールはしていないのに顔が良く見えない。

 けれどあれは母だ。

 衣装は足をすっきり出していた昨日と違い、足首までの長いドレスを着ている。

 いや、よく見るとズボンの変形。

 女性が足を出すのははしたないと言われているからだろうか。

 今日は身内以外の観客がたくさんいるからかもしれない。

 顔が良く見えないのもなにかの魔法だろう。

 父のピアノのせいか、母の踊りは昨日よりもさらに胸に迫るものがある。

 切なくて、悲しくて、何かを求めるような。

 あちらこちらからすすり泣く声が聞こえてくる。

 お別れの時が近づいている。

 もっとたくさんお話すればよかった。

 もっと一緒にピアノを弾けばよかった。

 もっと娘として出来ることがあったのだはないか。

 たくさんの後悔とそれ以上の感謝と。

 演奏が終わり、場内の灯りが消える。

 拍手の止まぬ中、明るくなった舞台には誰もいなかった。

 

 翌朝、いつも通りに出仕する。

 いつもなら鞄を持ってついて来てくれるマールは今朝はいない。

 一人で場内に入ると人々が寄ってきて昨日の演奏会に賛辞を贈られる。

 嬉しいけれど早く職場に行きたい。


「おはようございます、宰相執務室長殿」

「ごきげんよう、楽団長殿」

 

 興奮した様子で近づいてきたのは王城音楽団の団長だ。

 

「いやあ、昨日の演奏会は素晴らしかった ! さすがカジマヤー卿。聞いたことのない曲ばかりで、本当に感動いたしました ! 」

「それは恐れ入ります」

「もう一度、もう一度お聴かせいただけないでしょうか。参加出来なかった若い団員のためにもぜひ ! 」


 集まった人達からも自分も聞きたい、家族にも聞かせたいと声が上がる。

 一番望んでいるのは私達家族なのだけれど。


「なんとかお父上にお願いしてはいただけないでしょうか」

「望んでいただけるのは、とても光栄なのですが」

「そうでしょうとも ! あのような才能をお持ちとは存じ上げませんでした。ああ、もっと早く世に出てくだされば ! 」


 感極まった様子の楽団長。

 言いたくない。

 認めたくないけれど、告げなければいけない。


「団長殿、申し訳ございませんがご要望にお応えすることはできません」

「そんな ! そこをなんとか ! 」


 こみ上げて来るものを隠すように羽扇子で顔を隠す。

 大きく深呼吸をして、楽団長に向き合う。


「父は、今朝、身罷みまかりました」

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