第432話 末姫さまの思い出語り・その36

 すわ嫁姑戦争勃発かと気を引き締めて背筋を伸ばす。

 そんな私に気付いて父が心配しなくていいと笑う。


「アンシアは口は悪いけれど真っ直ぐで正義感の強い人だから、そんなに身構えなくても大丈夫だよ。ずっと嫁入りを打診されていたからね。やっと望みがかなって少しウキウキしているだけだよ」


 私は知らなかったが、フィッツパトリック様との縁談は私が生まれた時から始まっていたらしい。

 物心ついてからはグレイス家との行き来は頻繁にしていたし、休みの日にはよく一緒に盤上遊戯をしていたような気がする。

 ただその時はスケルシュのおじ様方も一緒で、私はそちらの方が強く記憶に残っている。

 まさかお見合い込みだとは知らなかった。


「いくらアンシアが望んだって、成人前どころか幼女と婚約なんて無理だしね。それにフィッツパトリック君の気持ちもある。だから二人には何も知らせず、どちらかに恋人ができたらこの縁談はなし。フィッツパトリック君が三十になった時、どちらにも浮いた噂がなければと言う話になっていたんだよ」


 けっして無理強いはしない。

 誘導もしない。

 流れのままにして、もしご縁があったなら。

 それが両家の間での取り決めだった。


「ここしばらくの君の様子から逆プロポーズ、求婚するかもしれないとは考えたけれど、フィッツパトリック君がそれを受けるとは思わなかったよ」

「私もそろそろ真剣に跡継ぎを考えなければいけないと思っていましたし、お相手が良く見知った末姫すえひめなら間違いはないですから」


 燃えるような恋なんてしてないけれど、尊敬と信頼を持って誠実に向き合っていけば、いつかお互いを一番大切な相手だと思えるようなるだろう。

 

「フィッツパトリック君、君に娘を任せるよ」

「私如きがどこまで支えられるかわかりませんが、なにがあっても全力でご息女をお守りすることをお約束します」


 公爵夫人としての働きは求めていない。

 公人としての務めを果たせるよう依子貴族を含め公爵家が後押しする。

 そう言われて父は安堵の笑みを浮かべた。


「子供たちはみんな寄り添える相手を見つけた。もう、心残りはないよ」

「お父様、そんなことをおっしゃらないで」


 もう何もかもやり遂げたという表情の父に、私はこのまま神の御許に旅立ってしまうのではないかと不安になる。


「ああ、そうだ」


 何か思いついたのか父がポンと手を打った。


「ルー、最後に君ともう一度踊りたい」

「私と ? 」

「僕たちの踊り、子供たちには見せたことがなかったろう ? それにピアノも。あまり聴かせたことがなかったし。僕のことを覚えていて欲しいんだよ」


 父と母の踊り。

 母は私が物心ついたころから夜会には出ていない。

 だから両親が踊っている姿を見たことがない。

 父のピアノは・・・聞いたことがない。

 指導はされたけれど、ちゃんと一曲弾いたことはないはずだ。


「でも、体は大丈夫 ? 」

「何曲もは無理かな。でもグラン・パ・ド・ドゥだけなら大丈夫かも」

「無理はしないで。それと私は顔出しはしたくないから、身内だけでならいいわ」


 それを聞いてグレイス公爵夫人が手を挙げた。


「お姉さま、それならわたくしはタンバリンのあの踊りが見たいですわ。わたくしの結婚のお祝いのお祭りで踊って下さったのが最後ですもの。カスタネットのあの曲もお願いいたしますわね」


 アンシア夫人はワクワクした目で扇子を握りしめる。

 タンバリンやカスタネットを持った踊りなんてあっただろうか。

 

「二の姫たちが戻るのは明日だったね。では明後日の午後はどうだろう」

「子供たちにも声をかけましょう。当然ですけどお母様や上皇后陛下をお呼びしないわけにはいかないわ」

「せっかくですからディー兄さんも一緒にどうですか。もうこんな機会はないでしょうし」

「そうだな。『海賊』ならいけるか。だがあの衣装は着ないぞ」


 マールは「仮設舞台を作らせます」と言って出ていく。

 スケルシュのおば様は「踊る曲は今日中に決めてね。練習したいから」と手をグーパーしている。

 婚約証書にサインしたらみんなで和やかに会食・・・のはずが、バタバタと企画会議になってしまった。

 そして夜になって気が付いた。

 私、誰にも「おめでとう」って言ってもらってない。 

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