第429話 末姫さまの思い出語り・その33
その日、王都でお茶会を開いている全ての貴族の屋敷でため息が絶えなかった。
「こんなはずではありませんでしたのに」
「とんだ伏兵ですわ」
「頭の片隅にも浮かびませんでしたもの」
ご婦人方は扇子の向こうで大きくため息をつく。
遡ること一年前。
昨年の夏には成人令嬢の結婚話はすでに始められていた。
『成人の儀』を終えないと貴族の令嬢は
せいぜい自宅で開催されるお茶会で少しだけご挨拶するくらいだ。
なので、どのお家にどんなご令嬢がいるか。
容姿は、性格は、趣味は。
そんな細かい情報がご婦人連絡網で共有され、どのお家のご令嬢にはこの方が、あのお家のご令息にはこの方がと陰で縁談が進められていく。
その後はさり気ない出会いが演出され、家庭や夜会、お茶会での噂話などで
しかし、今年に限って例外があった。
ダルヴィマール侯爵家の末の姫である。
「女学院事件で色々な噂はありましけれど、当のご本人が現れないのですもの。あまりに情報が無さ過ぎて動きようがありませんでしたし」
「その後の夜会でもお隣にいつもお父上のカジマヤー卿とエリアデル公爵様がいらしたから、私のような者がお声掛けすることも出来ませんでしたわ」
下位の者が上位の者に声掛けするのは仕事の関係者でもなければ無作法。
普通は母親が知り合いに紹介して回るのだが、ダルヴィマール女侯爵は公的な場に一切現れない。
たまに慰問先で出会うことがあっても、厚いベールで顔を隠していて、もう二十年以上その素顔を見た者はいない。
もしその場に後見者の一人と思しきスケルシュ前伯爵未亡人でもいれば、まだご婦人方との繋ぎが作れただろうに。
だが夫人もまた
「女学院には変装をして通っていらしたとは聞いておりましたけど、まるで別人だとのことですわ」
「ええ、目立たなくて印象に残らない生徒さんだったとのことでしたけれど、成人の儀で拝見して驚きましたわ。さすが筆頭成人令嬢。『主従の絆』でも落ち着いていらして顔色一つ変えない」
「周りの状況から何かのお芝居と見破っていらしたなんて、私の娘など怯えて顔もあげられなかったそうですわ」
来年からは私たちも怯える演技をしなければ。
早くも次回の悪だくみをしながらお茶会は進む。
「それにしてもお茶会のお誘いを全て断られていたのが、実は本邦初の女性文官として働いていらしていたからだなんて」
「ご覧になりまして ? 文官姿の凛々しいこと ! 」
「ええ、とても堂々としていらして。お父上譲りの薔薇色のお
「高位文官を従えた姿も颯爽としていて、女帝陛下の御前でも物怖じしないあの気品」
『ぱんつすーつ』と言う斬新な女性用文官服。
細い踵で歩く美しい姿に、年齢は関係なく『お姉さま』と陰で呼ぶ令嬢方も多い。
また『宰相府のダイミョー行列』と『人間ロウソク事件』の再現。
日頃は殿方の影について回るご婦人方にとって、その活躍ぶりは女性の生き方に新しい風を呼ぶ象徴のように受け止められている。
夜会では彼女の傍には必ず政府の高官がいて、国際情勢や国内での問題点、各国の大使との政治的な会話を軽くこなす姿に、父親たちはその息子にうかつに近寄るなと釘をさす。
「我が家の嫁などあのご令嬢には役不足。もっと自分を磨けと申し渡しましたの」
「愚息も同じですわ。あの方のお隣などとてもとても。長い人生お支えするほどの器量もございません」
なので『宰相執務室室長』などと呼ばれながら、実際にはほぼ宰相職と同等の彼女に近寄る勇気のある若者はいなかった。
「それがまさか、ねえ」
「そのまさかですわ。まさか、若い殿方が近寄らないのはご自分が美しくないからと思っていらしたなんて」
茶会の席に何度目かのため息が漏れる。
「ルチア姫と春風の君のお嬢様が不細工な訳がありますか」
「何故そのように思われたのかしら。不思議ですわ」
けれどその理由はなんとなく察せられる。
「御三家の皆様に囲まれていれば確かに、ね。でもご両親の良いところを受け継がれたお美しい方だと思いますけれど」
比較対象が悪すぎたのだ。
美男美女の巣窟と言われる『御三家』を見慣れていれば勘違いもするだろう。
「ご縁がないにも程があると思っておりましたのに」
「まさかまさかの連続ですわ」
成人して任官して、貴族が正式に婚約するのは仕事になれた半年から一年後。
それもご婦人連絡網のお膳立てがあってこそ。
その全てをすっとばした今回の騒ぎは王都中の話題を独り占めにした。
「これがヒルデブランドの諺の『トンビにアブラゲさらわれる』というものですわね」
「まさか一番有り得ないと思っておりましたお家にかすめ取られてしまうなんて」
その日王都の空をご婦人方のため息が雲のように覆いつくしていたとかいないとか。
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