第357話 あと少しの日々

 それから私は毎日ギルマスに会いに行った。

 もうすぐいなくなってしまうこちら現実世界でのギルマスをできる限り覚えていたかったから。

 出入り自由のパスを発行してもらったから、そのうち警備の人たちとも顔なじみになって、所謂いわゆる顔パス、一々チェックしなくとも通してもらえるようになってしまった。

 後で会社から怒られるといけないから、その度にパスの提示だけはしている。

 

「ギルマス、今日はこんなことがあって」

「次の受験校なんですけど」


 予備校をネット授業に変えたので、受験生だけど結構時間にゆとりがある。

 私とギルマスはとりとめのない会話を続けている。

 たまにこの日は来ないようにと言われることがある。

 多分その日はベナンダンティ仲間に会っているのだ。


 患者さん向けに講話をしにローエンド師、おじいちゃま先生が何度かやってきた。

 ミニコンサートを開いたのはバイオリニストの西島きよたかさん。

 以前お会いしたことがある。

 チケットをいただいてアルと二人で見に行った。

 多分あの方はダルヴィマール騎士団のジェノさん。

 バイオリンの音と魔力が同じ。

 でも気づかないふり。

 他にも何人かの仲間たちがギルマスに会いに来ているのだろう。

 そんな忙しい中、私の為の時間を作ってくださる。


「こんな年寄りに会いに来ないで、もっと受験勉強とバレエを頑張りなさい」

「ギルマスのお話の方がよっぽど勉強になります」


 先立たれた奥様との馴初め。

 お見合いどころか出征当日に初顔合わせをして仮祝言。

 なのに実家ではなく婚家で嫁として待っていてくれたこと。

 戦後の苦しい時を支えてくれ、心から感謝し尊敬していること。

 大恋愛ではないけれど、穏やかに支えあって生きてきた。


「ルーとアルもきっとそんな関係なんだと思うよ」

「じゃあ私、ギルマスの奥様みたいになれるよう頑張りますね」


 そう言ったら「ルーではなくてアルの方が似てるかな」と返されてしまった。

 なら私はギルマスに似ているのかしら。

 それはそれで嬉しい。


 野菜嫌いのひ孫のためのレシピを提供したり、二人でお母さま、岸真理子大先生の古いビデオをみたり。

 そうやって過ごしていたら、段々と訪ねていくとギルマスが眠っている日が増えていった。

 私の時と同じだ。


「いやあ、びっくりしたよ。目が覚めたら宿舎のベッドの中でね。外に出たら街は真っ暗で。当然人っ子一人いないしね」


 月明りの中を少し積もった雪を踏みしめながら歩く。

 行くところは一つ。

 冒険者ギルドだ。


「幸い私はギルドの鍵を持っていたからね。だけど日本の夜とは違って街灯もないし、時々何かの遠吠えは聞こえてくるし。ルーはこんな状況でよく一月近くも一人で頑張ったね」


 ベナンダンティになってすぐの頃、事故からの意識不明でこちら夢の世界に引き留められていた。

 あの時も真っ暗な中、何もすることがなく一人で街を彷徨って、最後は明け方近くまで開いている酒場のお手伝いをして時間を潰していた。

 いつか帰れる。

 そう皆が励ましてくれなかったら寂しさと不安で潰されていただろう。


「私のことは心配しなくていいよ。ギルドの鍵を持っているからね。書類仕事や引継ぎの資料作りでいくらでも時間を潰せる。それに、こんな状況もそう長くは続かないよ」


 それはつまり、ギルマスの、あちら現実世界での死が近いってこと。

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