第319話 決戦前
城壁での待機が続く。
あたしアンシアはお姉さまたちと違って受験勉強とやらはない。
だからバーレッスンやストレッチ、詠唱魔法の確認などで時間を潰す。
それと屋敷の書庫から持ち出した『ご老公様・漫遊記』を読み散らかす。
護衛の騎士様たちに何を読んでいるのかと聞かれたので、どうぞと勧めたら皆さんはまって中毒患者が増えた。
赤い狼煙が上がってから、兄さんたちとアルの魔力量がガンと増えた。
原因があるとしたら、絶対お姉さまだろうなあ。
ご本人は「兄様たちが頑張ったからだわ」って言ってるけど、ギルマスも含めて誰も信じていない。
だって、あたしの魔力もおかしいもの。
無詠唱魔法が使えるようになったわけじゃない。
ただ、みんながどこにいて何をしているのかがわかるようになっただけだ。
はっきりとはわからないけれど、なんとなく伝わってくる。
わかっているのは、これは詠唱魔法でも無詠唱魔法でもないってこと。
多分お姉さまが『
もしかしたらこれが『絆』ってやつなのかもしれない。
まあ、問題の東西南北があたしたちの前に現れなくなったのも、きっとそのへんが関わってるんじゃないかと思う。
そう言えば城壁の上に立つ前の決起集会みたいなので、あたしはついにやらかした。
やらかすのってお姉さまの
あたしたち六人が陛下や騎士団長のお偉いさんの前で決意を述べる場だ。
偉そうな儀式が終わってさあ帰るって時に、あたしはバルドリック様と目を合わせてしまった。
初めて会った日。
エロ爺の無礼の責任を取ってとバルドリック様はあたしに指輪を差し出した。
指輪を受け取るのは結婚の申し込みを受けるってこと。
その時はエロ爺と親子になるなんてって断っちゃった。
冷静に考えればスラムって言われてるシジル地区出身の平民以下のあたしが、皇族扱いのグレイス公爵家に嫁入りなんて出来るわけがなかったから、あれはあれで正しい判断だったと思う。
それで終わったと思ったのに、あの人はグイグイとあたしに近づいてきた。
もうお姉さまについて王城に行くのが嫌になるくらい近づいてくるので、お方様の方から少し控えるように頼んでもらった。
それからは程よい距離でお付き合いできていると思う。
そんなバルドリック様だけど、あたしが最前線に出るってことには何もいわなかった。
気を付けてって、それだけ。
でも、すごい心配そうだった。
なにか言いたそうだった。
近衛の皆さんは皇室と重鎮貴族の警護が任務だから、あたしたちとは『大崩壊』が終わるまで顔をあわすことがない。
あたし、生き残ってまた会うことが出来るかな。
あの春の休暇の時みたいに、一緒に街を歩くことができるのかな。
そう思ったら、もう後ろにエロ爺がいようが公爵夫人の座が待っていようがどうでもよくなっちゃった。
だから、ついつい、言ってしまった。
「こ、これが終わったら、指輪、受け取るからっ ! 」
「 ‼ 」
謁見室にどよめきが起きた。
バルドリック様の顔がポッと赤くなる。
エロ爺が「でかしたっ ! 」と叫び、公爵夫人が扇子を持つ手で拍手する。
あたしはどうだ、ちゃんと応えたぞ、とフンッと胸を張った。
と、後頭部にガツンとげんこつが入った。
ジンジンする頭を抱えて振り返ると、真っ青な顔のアルとお姉さま。
そして拳を握りしめた兄さんたちがいた。
「なにするんですかっ ! 痛いじゃないですかっ ! 」
「なにするんじゃないっ ! このバカ娘がっ ! 」
「何で盛大にフラグ立ててるんだっ ! 」
ふらぐ ? ふらぐってなに。
侍従姿の時は優雅な佇まいの兄さんたちが素を出している。
ならんだ騎士様やお貴族様たちはポカンと口を開けている。
「取り消せっ ! 今すぐ取り消すんだっ ! 」
「無かったことにしろ ! お前は何も言わなかった。何もなかったんだ ! 」
「なに言ってんですか ! せっかく勇気を振り絞ったのに、取り消しなんてしませんよ ! 金言汗のごとしって言うじゃないですかっ ! 」
「お前の言葉なら藁か小枝、精々紙切れだ。全く問題はない ! 」
兄さんたちが口々にあたしを責め立てる。
お姉さまは真っ青になって震えてるし、一体あたしが何をしたって言うんだろう。
帰ってきたら求婚を受け入れますって言っただけなのに。
なにがなんだかわからないでいる私の肩を掴んで、エイ兄さんが部屋中に響く声で言う。
「いいか、アンシア。この戦いが終わったら彼女に告白するとか、幼馴染に求婚するんだなんて言った奴は、十中八九、生きて戻れないんだぞっ ! 」
「なんですかっ、その法則っ ! 」
聞いたことない。
そんな法則知らない。
あたし、死ぬの ?
戻ってこれないの ?
バルドリック様を見たら、さっきと違って顔が真っ白になっている。
「よし、布陣を立て直すぞ。アンシアが生き残れるよう、最強のものにする。よろしいですね、お嬢様」
「ええ、スケルシュさん。わ、
「僕も彼女がケガをしたら治癒魔法を飛ばします。必ずバルドリック様の元に傷一つなくお返ししますから ! 」
「フラグが立とうが折れようが、死ぬときは死ぬんだからそんなに真剣にならなくてもいいんじゃないかね」
やめて、ギルマス !
何でサラッと一番ひどいこと言ってるんですか ?!
生きて戻れないなんて単なる言い伝えでしょって思ったんだけど、お姉さまたちの真剣な表情に、どうやらそれは真実らしいと思った。
お姉さまたちの世界ではそれが常識なんだろう。
つか、治癒魔法って飛ばせるものなの ?!
「これから練習する。絶対に間に合わせるから ! 」
これからなのっ ?!
◎
「・・・宰相、あれは事実なのか ? ふらぐとやらは」
荘厳に終わる儀典のはずが、バタバタと騒ぎながら走り去ったルチア姫一行。
皇帝はルチア姫の父である宰相ダルヴィマール侯爵に聞く。
「いつも冷静な
「陛下、僭越ながらご説明申し上げます。全て事実でございます」
夫の代わりにダルヴィマール侯爵夫人が答えた。
「ヒルデブランドの移民の血筋にそのような言い伝えがございます。ですからダルヴィマール騎士団では入団する者には、どのような作戦前でも決して愚かな言動をしないようにと固く教えるのですわ」
「なるほど。アンシアはそれを知らなかったのだな。いや、驚いた。ふらぐとはどんな呪いなのか」
「『旗』という意味でございます。さきほどのような一定条件の『旗』を立てると、それに向かって悪しき物が飛んでくるとか。この呪いを避けられるのはイ・・・イ・ティーリャと呼ばれる一族だけだと伝え聞いております」
なんと恐ろしい。
謁見室に集まった貴族や騎士たちはざわめく。
そして胸の内で神に祈る。
やっと想いを遂げた二人が生きて幸せになりますようにと。
◎
『あのね、じーちゃん。これは死亡フラグって言って、アニメやラノベじゃお約束なんだよ。なんかイタリア人だけが死なないって言う』
中学に上がったばかりのひ孫が新刊本を抱えて私の部屋で寝転がっている。
ラグが敷いてあるとはいえ床は板張りだ。
体が傷まないのだろうか。
『クッションもあるし平気。ここが一番安心して本が読めるんだよ。親父もおふくろもそんな本ばかり読んでないで勉強しろってうるさくて』
さてさて、他の孫たちは仕事以外で決して私には近寄らないというのに、この子だけは物心ついてから何かと私にくっついてくる。
軍事シュミレーションゲームにアドバイスしたら、さらに次はこれ、今度はこれと持ってくるようになった。
先の大戦を経験している身として、ゲームとは言え人が死ぬ内容はどうかと思うと言ったら、きっぱり足を洗って次はネット小説にはまった。
ご都合主義のおすすめ作品をいくつか読んでみたが、ルーが現れてからはこれもありだと思えるようになった。
世界に現れる正体不明の異分子。
だがただ簡単に強くなったわけではない。
本人は気づいていないようだが、ルーは日々努力をしている。
小説の主人公たちも作品上では表現されていないだけで、きっと影日向で頑張っているのだろう。
まわりには気づかれない日々の精進。
ルーを見ているとそう思う。
たくさんの仲間を見送ってきた。
後を頼むと、向こうで待っていると、何度も先に行かれた。
すぐにいく、必ず後を追うという約束は未だ守られていない。
心残りはある。
あの係累たちをもっと育てなければ。
『大崩壊』でもう一回り成長するだろう。
だが、まだ足らない。
『無量大数』を目指すには知らなくてはならないことがたくさんある。
伝えきるまではまだ逝けないようだ。
私の時もそろそろ終わる。
けれど、もう少しだけあがいていたい。
『だからね、じーちゃん。やっぱり剣と魔法の世界が一番おもしろいよ。こっちには絶対ないもん。悩んで恨んでるだけの名作は苦手』
どうやらひ孫は夏休みの課題図書を読みたくないらしい。
確かにあれは夢も希望もない話だ。
この年頃なら違う世界で苦労の末に幸せを掴む話が一番好きだろう。
ネット小説は作家も読者もみなやさしい。
『いいなあ、魔法。俺も使ってみたいけど・・・見るだけでもいいかも』
でも無理だから、いい加減あの名作を読んでつまんなかったって感想文を書くよと、ひ孫は面倒くさそうに立ち上がる。
おやおや、そんなに簡単に諦めてもいいのかな。
ルー、ここは私も君に倣って最後にちょっとやらかしてみようか。
『
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