第309話 伝説は本人の知らないところで作られる

「正直、ルーがあそこまでやるとは思わなかった」


 朝のミーティング時間。

 アルの私室で行われるそれにはエイヴァン、ディードリッヒ、アロイス、アンシア。

 それに筆頭専属侍女のナラの五人が集まる。

 たまに四神のうちの東西も加わる。

 緊急事態には侯爵夫人も。

 六畳一間が朝の山手線状態だ。


「ルーのことだから渡された資料には全て目を通しているだろうから、その場の雰囲気で何かやるとは思っていたが、今回は必要以上に盛り上げていたな」


 エイヴァンはやれやれと大きく息を吐く。

 効果は絶大だったが、ルーの負担が酷かった。

 まったく動けなくなるとは思わなかったのだ。


「あたしにはノリノリでやってたように見えたんですけど、そんなに辛かったんでしょうか」

「アンシア、王立魔法学園ではイジメはなかったか ? 」

「ありませんでしたよ、エイ兄さん。徹底的に無視はされましたけど」


 アンシアへの態度はともかく、真面目に勉学に励む生徒ばかりだった。

 虫けら以下のスラム出身者にかまう時間などない。

 だから去年の『公爵夫人派』のルーへの陰口には辟易したとアンシアは言う。

 低位貴族のご令嬢は他に話題はないのかと思ったくらいだ。

 ちなみに元になったエリアデル公爵夫人は、記憶を失っまま自宅療養が続いている。

 ルーがお見舞いに行った時は、あまりの変貌ぶりに全員ポカンとしてしまった。

 これは確かに偽物とすり替わっていたと言われれば信じるだろう。

 穏やかでとても大人しい方で、今ではルーと手紙の交換なども行っている。

 仕事の関係上ディードリッヒが訪問することも多い。


「公爵夫人はともかく、ルーのことだ。アンシア、イジメにあった人間は大体三種類の反応をする。泣くか、怒るかだ」

「三つめはなんですか、暴れるですか」

「いや、多分ルーは三つ目の無反応を選んだんだと思う」


 暴言や威嚇、無視。

 一々相手をしていれば相手を喜ばせるだけだ。

 ならば一切反応せずにいれば、そのうち嵐は通り過ぎていく。


「ルーは転校するたびにイジメにあっていたと言っていた。だから自然にそんな対応を身に着けたんだろう。だがそれだって限度がある」

「限度って、何ですか」

「心のふり幅が小さくなる」


 ディードリッヒが窓の外の日差しを確かめる。

 夏の日の出は早い。

 就業までまだ時間はあるようだ。


「喜怒哀楽を感じることが少なくなるんだ。自分が何もしなければあちらもあまりかまって来ないだろう。ベナンダンティになったばかりのルーはまさしくそれだった。そうですね、兄さん」

「ああ、そうだな、ディー。感情を揺らそうと必要以上に怒ってみたり怒鳴ったりはしたが、楽しそうにしていてもどこかフィルターがかかったようだった。淑女教育が始まった少し前くらいから、やっと辛いという感情が出てき始めた」


 あの時はルーも不安定だったなあと男たちはしみじみと思い返す。

 アルは当時の同級生からも詳しく話を聞いていたが、とにかく一人で本を読んでいて何を言われても静かに微笑んでいるだけだったそうだ。

 長い髪で顔を隠していたこともあって、小学生だった彼らにはかえってそれが不気味で、なんとか反応を返してもらおうとしているうちに、かなりひどい言葉を浴びせてしまったという。


「それが当たり前になったから、どれだけ傷つけていたか気づかなかったって言ってた。子供って残酷だね」

「まあ、そんなわけで、昨日のアレはルーにとってはきよみ・・・高い塔の天辺から飛び降りるくらいにきつかったはずだ。あの性格だと本当はバレエ公演の主役やテレビ撮影も辛かったんじゃないか ? 」


 最終公演の後の夕食はほとんど取れていませんでしたとアルが言う。

 アンシアはというと、気になる子に悪戯する程度だったはずが、どうしてそこまでエスカレートするんだ、馬鹿と心から思った。

 十を過ぎれば家の手伝いや見習仕事でそんな暇はないはずなのに。


「反応が欲しいって、兄さんたちと違ってまずいやり方だったんですね。あ、でも今でもそんな理由でお姉さまにグリグリ攻撃してるんですか ? 」

「いや、それは違うぞ」


 アンシアの問いにエイヴァンはきっぱり答える。


「以前はともかく、今はわざわざそんなことをする必要がないくらい普通に感情表現が出来ている。アルがいつも傍にいたからな。良い距離感で段々明るくなっていったから安心していた」

「でも確実に変わったのはアンシアがヒルデブランドに来てからですよ、兄さん」

「ひぇ、あたし ? 」


 いきなりディードリッヒに話を振られて、アンシアは思わず変な声を出す。


「何もしてないですよ、あたしは。最初からお姉さまには迷惑ばっかりかけてたし」

「それがよかったんだ、アンシア。あれでルーは誰かと真剣に向き合おうとし始めたんだ」

「うん、表情が全然ちがっていたもの」


 アンシアに拒否されたルーは、なんとか信頼を取り付けようと随分頑張っていた。

 それは街の住民全員が知っている。


「どんどん人と関わろうとし始めて、二人で悪だくみをしてるのを見てて嬉しかった。僕じゃあんな風にはいかないもの。今じゃアンシアはルーの親友だからね」

「えー、親友はアルのほうじゃない。お姉さまもそう言ってたし」


 アンシアのニヤニヤ顔にアルはムッと口を尖らせる。

 

「一番最初から一緒にいたからね。もう吊り橋効果でもストックホルム症候群でもインプリンティングでもかまわないんだ。だって、好きになったのは僕の方が先なんだから」

「ぶれないな」

「ぶれませんね」

「ぶれないわね」

「アルだから仕方がありません、ナラ姐さん」


 ただの専属筆頭侍女でありながら、なにかあればエイヴァンと二人で次々とアイデアを出してくるナラは、いつの間にかアンシアに姐さんと呼ばれ、王城でも影の参謀と密かに有名になっていた。


「そのぶれない心でがんばってルーちゃんを口説き落としてちょうだい。まあ、やっと普通の女の子になったばかりだから、いきなり恋愛感情はきついと思う。『大崩壊』が終わってからでいいわよ。その方が気が楽でしょ」

「昨日のあれでキャパオーバーしているだろうし、しばらくは自宅療養だな。アルもそれでいいか」


 そろそろ時間かと、エイヴァンはルーにお取り寄せしてもらった懐中時計を確かめる。

 もう一度服を整えてぞろぞろと部屋を出ていく前に、アンシアはふと昨日の聞いたことのない言葉をアルに確かめる。


「ねえ、アル。ばつげーむってなあに ? 」


 さて、昨日ぶっ倒れた侯爵令嬢がさぞや疲弊して寝込んでいるだろうと、数日は静かに過ごさせなければとやってきた近侍達を出迎えたのは。


「おはよう、みなさん ! 」


 清々しいくらいに爽やかで、腹立たしいほど元気いっぱいのお嬢様だった。

 その日、ルーが兄たちにポコポコに怒られたのは言うまでもない。



「見た ? 昨日のルチア姫 ! 」

「見ましたとも! しっかりと目に焼き付けたわ 」

「ああ、倒れた姫を咄嗟に抱き留めたカジマヤー君の雄姿 ! 」

「心配しながらも冷静に支持を出すスケルシュさんの凛々しさ ! 」

「姫の乱れたドレスの裾をサッと直すアンシアさんの気配り ! 」

「ルチア姫のお姿を殿方の目に晒さないよう壁になるカークスさん ! 」

「「 尊いわあぁぁぁっ ! 」」


 さすが姫の近侍 !

 良いものを見せてもらったと王城で働く者たちが感動を反芻している頃、軍部トップの集まる会議室では、じじいどもが沈痛な面持ちで俯いていた。


「それで近衛殿。姫のご様子はいかがであったか」


 昨日はグレイス近衛騎士団団長が代表してルチア姫の見舞いに向かった。

 もちろん本人に会うことはできなかったが、近侍からの報告は受けている。


「意識が戻らずのままだと。高熱も出ているとのことでそのまま失礼した。先ほどお会いした宰相殿によると、未だ熱が下がらず休まれたままとのこと」


 近侍は言った。

 あのように激高されるお姿を拝見したのは初めてでございます。

 穏やかに静かにお過ごしの方ですから、きっとお疲れになったのでしょう。

 しばらくお休みになれば、直に登城も叶いましょう。

 どうぞ主の気持ちをお受け取り下さい。

 皆様にご理解いただこうと倒れるまで心砕いた、我が主の熱い思いを。


「祖国ではないこの国の為に、そこまで考えて下さっていたとは・・・」

「いや、あれは近侍達の考えだろう。あの二人ならさもあらん。姫は代表として発言なさったのでは」

「だが、あの叫びはまさしくルチア姫のお言葉。決して誰かに入れ知恵されてではないのは明らかではないか」


 あのような年若い深窓の令嬢に諭されるとは。

 数十年の騎士生活でなかったことだ。

 

けいらはご存知ないかもしれないが、ルチア姫は身の内に女神のような優しさと激しい想いを秘めたご婦人だ。決して近侍の言われるままに動くような方ではない」


 第四騎士団団長は過日の騒ぎを思い出した。


「あの時も暴力に耐えていた北の娘を助けようと動いておられた。昨日のことも武功を焦る我らを窘めようと、ご自分の出来る精一杯の表現をなさったのだ。これに応えずにどうする」

「確かに。ただ激高するだけの少女ではなかった。あの言葉の奥には国を想う心が溢れていた」

「あの高揚感。あの一体感」

「ああ、我らこそがこの国の軍を束ね動かすのだと教えて下さった」


 昨日の姫の檄を思い出し、団長たちの心に再び火がついた。


「急ぎ『大崩壊』時の陣を整えよう」

「そして騎士たちに魔物討伐を実践させなければ」

「全てはヴァルル帝国のために ! 」

「女神の御旗みはたのもとに ! 」


 一方その頃いつの間にか『女神』になったルーたちはと言えば・・・。


「十時の方向に三、十二時に二、十四時に四です。エイヴァン兄様、どれから行きますか」

「もちろん時計回りだろう。全員、討伐準備 ! 」

「「 はいっ !!! 」」


 王都郊外で久しぶりで魔物狩りを堪能していた。

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