第295話 皇帝陛下は旧友を訪ねる

「慰問 ? 慰問とはなんだ」


 陣中見舞いとは違うのか。

 初めて聞く言葉に皇帝は首を傾げる。


「災害や大きな事故が起きたとき、皇族方が被害者や避難者を訪ねて励ますのです。平時は病院、施療院、孤児院などですね。学校や工場を視察されることもあります」


 魔物討伐で親をなくした冒険者の子供。

 女手一つで子育てしている母親。

 避難所となる場所で準備をしている関係者。


「どこでもいいんです。ただ、できるだけ陛下にお目にかかれないような庶民がよろしいかと」

「なるほど。だが急に出向いて迷惑ではないか」

「それはもちろん、当日先触れを出せば問題ありません。いつお出ましになるか知られれば、その施設の良い所ばかりを見せようとするでしょう。現場の者ではなく書類仕事をしている上の者の話しか聞くことが出来ない可能性もありますから」


 そんなものか。

 となると、善は急げだ。


「俺は、一番最初はあそこに行きたい」



 すっかり人の少なくなった城下町。

 目抜き通りを皇帝旗と皇后旗を立てた近衛騎士が行く。

 あれは皇帝ご夫妻がこれからお出ましになるという印だ。

 一体どちらへと見ていると、二頭の馬は街外れへと向かう。


「あちらに劇場も美術館もないわよね」

「ああ、どこへお出でなんだろう」


 どこに向かうにしても、皇帝陛下の御尊顔を仰ぎ見る数少ないチャンスだ。

 手の空いている者は馬の後を追う。 

 街に残った瓦版記者も走り出す。

 ぞろぞろと王都民を引連れて、近衛騎士たちはある一画で止まった。


「シジル地区 ? 」

「なんで陛下があんなところに」


 突然の騎士の出現に、門番のハンスは慌てて膝を折って頭を下げる。


「本日皇帝皇后両陛下がシジル地区をご視察になる」

「畏れ多くも皇帝陛下には、この地区のながの不遇と王都内での献身的な奉仕活動に対しておねぎらいをとの仰せ」

「街の者は中央の広場にて待つように。特別な支度は一切不要。さよう申し伝えよ」


 そう言うと騎士たちは街の門の左右にわかれる。

 門番は何が何やらわからないと目を白黒させていたが、あわててその辺りの物に伝言を頼む。

 シジル地区はあっという間に大騒ぎになった。



「やっと来ましたよ、おやっさん」

「なんでおめえらは騒ぎしか起こさないんだよ」


 冒険者ギルドのマスター執務室。

 皇帝ヨサファートと皇后エリカノーマは、ギルマスとソファで向かい合っていた。

 後ろには宰相ライオネルと宰相夫人シルヴィアンナが立っている。


「ずっとなんとかしたかったんですよ、この地区の問題を。真面目に生きているのに謂れのない差別。ここ二年で随分と状況は改善されました。けれど皇帝である俺がこの街の存在を良しすれば、王都民のシジル地区を見る目もさらに変わるでしょう。俺は、俺の民の中に排除され虐げられる存在がいるのを許せないんですよ」

「うぜぇよ、青二才」


 皇帝ご夫妻はシジル地区のまとめ役から、この街についての説明を受けていることになっている。


「俺はスラムがあるのは知っていた。だがそれが城下町のどこにあって、どんな扱いを受けているか知らなかった。エリカとアンナに教えられるまでは、まさか薬一つ数倍の値段で手に入れるしかなかったなんて知る由もなかった」

「・・・」

「人の命に関わる物さえ売ってもらえない。食べる物だってそうだ。足元をみられて王都で売られているものよりはるかに高い値段でしか仕入れられない。これをなんとかしたかったんだ」


 皇帝たちの顔に苦悶の表情が浮かぶ。


「アンシアが就職浪人したせいで、王城でも出自だけで才能ある者を排除してもよいものかと問題になっています。そして彼女自身の力で、貴族の中にも味方ができました。『大崩壊』という未曽有の災害の起こる、今が時代を動かす時なんですよ」


 シジル地区のギルマスはメチャクチャ嫌そうな顔を隠さない。


「・・・本当にあいつを公爵夫人にするつもりかよ」

「本人は嫌がっていますがね。外堀はどんどん埋められていっている状態です。ダルヴィマール侯爵家との養子縁組の書類も整って、後は関係者が署名するだけです」


 スラムと呼ばれるシジル地区生まれが、まさか皇室系の貴族の奥方かよ。


「知らねえぞ、何が起こっても。そもそもちゃんとあいつを守ってくれるんだろうな。去年ルチア姫がずいぶんな目にあっただろう。同じように爪弾きにされたりしないだろうな」

「それは問題ありません。今度の『大崩壊』で彼女の実力が広まれば、文句を言うような者は出ないでしょう。なんたってルチア姫と共に救国の英雄の仲間入りですからね。命の恩人にそんなことをしたら、まあわかるでしょう」


『大崩壊』は必ず食い止める。

 そう断言する皇帝に、おめえの言うことなんか信用できねえよとギルマスは言う。


「だが、来てくれて感謝する。去年ライが祭りに参加して、みんな国から見捨てられてはいないと思えるようになった。今日の事でまた垣根が少しだけ低くなるだろう。すぐには無理だろうが、ゆっくりと城下町に馴染んでいけばいい」

「そうですね。今年の祭りには俺も皇帝として参加します。でもその為にも、子供たちだけでも避難所に移動させてください。もうそろそろ青色地帯にも魔物が到達する頃です」


 皇帝はきっと顔を引きしめ、おやっさんもまた表情を変える。


「来るんだな」

「ええ、ついに」

「わかった」


 明日からでも年寄り病人から避難させる。

 そう約束して男たちはかっちりと握手した。



「とか言っときながら、おやっさんときたら」


 あの後シジル地区のギルマスは、自分と腕利きは最後まで残る宣言をした。

 少しでも王都防衛の力になりたいと。


「酷いだろ。俺だって前線に出たいんだよ。ずっと我慢してんだよ。なんだよ、皆だけ忙しそうに」

「近衛の団長だって王城勤務で我慢してるのよ。あなただけじゃないって納得しなさいよ、ファー」


 皇后陛下はぶつくさ言う夫を窘める。


「そんなに外に出たかったら、当日は避難所で待機してたらいいじゃない。もしかしたら参戦できるかもしれないわ」

「だが俺はお前の側にいないと・・・」

「あたしはアンナと逃げ損ねた人たちの避難誘導をするわ。一人で頑張って」


 当日は夫婦別行動。

 そう言われた皇帝はえっと言う顔をする。

 漫画であれば頭の上に『ガーン』という書き文字が出ていそうだ。

 今日は皇帝夫妻と宰相夫婦の四人だけだ。

 久しぶりの昔馴染みのみ。

 遠慮なんてない。


「それにしてもギルマスと近侍たちの知恵は計り知れませんね」

「ああ、あんなに上手くいくとは思わなかった」


 ベナンダンティたちからの演技指導。

 彼らの国の皇帝たちの振舞いは、今まで聞いたことも見たこともないものだった。

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