第290話 カーテンコールと塩ホルモン

 拍手が鳴りやまない。

 これで何回目のカーテンコールだろう。

 団員やオーケストラの皆さんも、やりきったという満足な顔をしている。

 花束贈呈ではギルマスから私とアル二人に紫の薔薇が贈られた。

 がんばったねというメッセージつきで。

 アルは自分の分を私に恭しく渡してくれる。

 歓声と拍手がひと際と高くなった。


「やったね、ルー」

「・・・うん」


 アルは満面の笑顔だ。

 私はというと、やりきったという満足感とともに、寂しい気持ちを味わっていた。

 だって、アルと恋人でいられる時間が終わっちゃったんだもの。

 幕が下りた今からは、元の親友に逆戻りだ。


「どうしたの ? 何か失敗でもした ? 」

「ううん、もっと踊っていたかったなって思って」


 そう言うとアルは僕もだよって笑った。

 楽しかったもんね。

 百合子先生先生と握手して楽屋に戻ろうとしたら、アルが急に立ち止まった。


「アル ? 」

「・・・父さん」


 ハッと前を見ると、アルのご両親がニコニコと笑って立っていた。


「やあ、ナオト。素晴らしい舞台だったよ」

「たのしかったわあ。大成功おめでとう」


 アルの顔色が悪い。

 私の手をギュッと握ってくる。


「はじめまして。わたくしナオトの母でございます。この度は保護者のあずかり知らぬところで面白いことをしてくださいまして」


 百合子先生に挨拶するアルのお母様、目が笑っていない。


「山口君、ご両親にお話していなかったの ? 」

「は、はい・・・」


 どうりでいつまでも契約書を持ってこないと思った。

 百合子先生はそう言ってご両親に頭を下げる。


「岸真理子記念バレエ団の代表、岸百合子と申します。この度はご子息に出演していただき感謝しております。出演料等についての契約書をお預けいたしましたので、ご両親もご存知だと思っておりました。さぞ驚かれたでしょう」

「いえいえ、この子も忙しい私たちに気をつかったのでしょう。ですけれど、こちらとしては出演するに至った経緯の方が気になりまして」


 アルのお母様は笑顔のままで続ける。


「詳しいことにつきましては、代理の者からお話があると思います。それでは二人とも、一時間後に下の駐車場にいらっしゃい。お夕食をいただいて帰りましょう」

「お待ちください。できればこの後・・・」

「まさかと思いますけれど、未成年の二人をお酒の席に参加なんてさせませんわよね」

「・・・」


 打ち上げがあったんだけど、アル母様からピシャリと断られてしまった。

 別にお酒は飲まないけど、お腹はペコペコだったんだよね。


「ほら、早く着替えてお客様にご挨拶してらっしゃい。いいですか。一時間だけですよ」


 私は硬直して動けないアルの手を引っ張って舞台を後にした。



 お世話係のお姉さまがズラッとならんだ皆さんに、時間が限られている旨ご了承いただき急いでお相手をする。

 朝の新聞評に憤慨する人。

 夜の部も見たけれど、今日のも素敵だったと言ってくれる人。

 私のところは老若男女問わずといったところだけど、アルのところは若い女性が多い。

 顔を赤くしてキャーキャー言いながら帰って行くのを見て、少しだけムッとしてしまう。

 

「あらあら、もしかして山口君とお付き合いしているのかしら」

「ち、違います ! あの、まだ役から抜けきれないみたいで」


 若いうちはそういうこともあるわと言って下さるエレガントで素敵なおばあ様。

 若い時にはあちら夢の世界のお母様と同じくらい有名なバレリーナだった方だ。


「しっかりした基礎と体力と表現力。まだまだ伸びるわね。それに真理ちゃんを思い出す踊り。とても懐かしく見せて頂いたわ。どうぞ立派なプリマになってね」

「はい、精進いたします」


 後で「あの人が楽屋まで来るなんて」と驚かれた。

 ご自分のお孫さんの楽屋にも行かれない方らしい。

 それだけ期待されているのだと言われても、私は春でバレエを止めるんだってば。


「山口と佐藤はここで失礼させていただきます。未成年の高校生ですのでご理解ください」


 まだ並んでいる方々からは不満の声が上がるが、私とアルは握手だけでお許しいただいて劇場を後にした。



「昼の部よりも楽しかった。ずっと洗練された舞台だったよ」


 ジュージュー。


「本当ね。特に一幕の最初、盛り上がったわあ。やっぱりナオトが相手だったからかしら」


 ジュージュー。


「白状するなら今のうちだよ、ナオト。家に帰ってから母さんに問い詰められるのとどっちがいい ? 」

「・・・ごめんなさい」


 ジュージュー。。


「謝って欲しいわけじゃないんだ。なぜこんなことになったかを聞きたいんだよ。脅迫されていたんだってね。それが本当なら通報しなければいけない。場合によっては訴訟問題だよ」


 ジュージュー。


 劇場から連れて来られたのは、大衆チェーン焼肉店の食べ飲み放題。

 もちろん私とアルはソフトドリンクオンリーだ。

 アルのお家ならもっと高級店にいけるだろうけど、わざわざこちらを選んだのは私たちの年齢とか私が気にしないようにとか、そういった気遣いだと思う。

 ちなみに運転手役の津島さんは、少し離れたところで一人焼肉している。


「あの、おじ様・・・」

「お父様」

「はい、お父様」


 笑顔で訂正されたので素直に応じる。


「申し訳ありません。私のせいでナオトさんを巻き込んでしまいました。決してナオトさん一人の責任ではありません。ですから・・・」

「めぐみちゃんのせいでもないよ。巻き込まれたのは君も同じだからね。狡猾に動いた大人が悪いんだよ。今回は君も望まない主役抜擢だったってことだしね。いじめにもあったんだってね」


 例の「トウシューズに画鋲事件」。

 別に画鋲を入れられたわけじゃなくて服を切り刻まれただけなんだけど、いかにもバレエ団で起こりそうというイメージでそう名付けられた。

 で、あの子たちがまたやらかした。

 ネットで私の悪口を言いまくっていたのだ。

 しかも投稿した本人がわかるような形で。

 バレエ団の弁護士さんが対応してくれるようだけど、あまりにわかりやすく証拠を残してくれているので高笑いが止まらないそうだ。

 なにしろ以前私について正式な書類を取り交わしている。

 名誉棄損とかいろいろと突かせてもらうと言っていた。


「まあ、そちらもうちの弁護士が協力して対応していくよ。めぐみちゃんは何も心配しなくていい」

「でも・・・」

「まずはどうしてナオトが脅迫されることになったのか知りたい。そうでないとこれからの交渉が上手くいかないからね。ほら、早く話してしまいなさい」


 アルは下をむいたまま黙っている。


「ねえ、もしかして私には聞かせたくないお話 ? 」

「・・・」


 アルの様子で私が思っている通りなのだと分かった。

 私はまだ一口も飲んでいないウーロン茶のグラスを持って立ち上がる。


「待合のところにいるわ。お話が終わったら呼んでね」

「あのっ」


 何か言いたそうなアルに笑顔で手を振って、私は入り口近くのソファに移動した。



「まったくこの子ときたら。まあ、十中八九めぐみちゃん絡みだとは思っていましたけれどね」

「・・・母さん」


 結婚を前提とした相手を紹介するならともかく、自分の初恋を親に白状するくらい恥ずかしいことはない。

 それを微に入り細に入り話さなくてはならないとは。

 どんな罰ゲームだ。


「横から攫われたくないという気持ちはわかったわ。それは良いのだけれど、そんな陰謀に巻き込まれた時点で相談して欲しかったわ。私たちはそんなに頼りない親かしら」

「そんなこと、ないけど」


 母の言葉を否定するが、頼りないとかではなく、仕事と人命優先を物心ついた頃から見てきたから、まず極力煩わせないというのが頭にあった。

 今回医者と言う仕事の差し障りになってはと考えてしまったのだ。


「帰ったら契約書を頂戴。弁護士に渡して精査するわ。めぐみちゃんの分も含めてね。あの子、イギリスでの出演料を一銭も受け取ってないのよ」


 アル母は焼き網の上の塩ホルモンをトングでクルクルと転がす。


「で、どうするの ? 」

「どうするって ? 」

「バレエ、まだ続けるの ? 随分と評判が良いのだけれど」


 あらー、もう少し焼いたほうが良いかしらという母は、決意とか将来の夢とかではなく、明日の朝ごはんは何にしようかしらという軽さで聞いてくる。


「彼女、めぐみさんが続けるなら続ける。でも、僕がなりたいのは小児科医だから」

「ふーん、いいんじゃない ? 」


 ミスジ肉を網に追加して母が言う。


「六十過ぎてからバレエを始めて舞台にたった博士もいるしね。二足の草鞋は不可能じゃないわよ」


 後はめぐみちゃんが続けるかどうかと、学業と両立できるかね、と母は笑う。


「ほら、早く彼女を呼んでらっしゃい。あれだけ動いてお腹ペコペコのはずよ。しっかり食べて元気を出しましょう」


 そしてガンガン戦うわよ。

 アル父はそれではと追加の具材を注文する。

 アルは慌ててウーロン茶一杯で待ちぼうけをしているルーを呼びに行った。

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