第287話 まだ日常でいられるようです

「タンタタタッター、遅いっ ! いつまで飛んでるの ! 」


 アルがお母様の指導を受けている。

 第三幕のバジルのソロ。

 舞台の上を両足を広げてジャンプしながら回るマネージュ。

 ダイナミックな見せ場だ。


「高く飛ぶのはいいの。その代わりとっとと降りてらっしゃい。後、移動距離が長すぎます。それだけ音楽と合わなくなるの。ちゃんと音を聞いて。ここまでだったら曲に聞こえるギリギリの瞬間を見極めなさい」

「はいっ ! 」


 舞踏室の窓には手の空いた使用人の皆さんが鈴なりになっている。

 ピアノ伴奏はナラさん。

 子供の頃習っていて、今は趣味程度に弾いているという。


「ハノンあたりで脱落したのよ。あの延々と続く指の動きが我慢できなくて。でも簡単な伴奏なら任せてね」


 アルはやればやるほど上達していくのがわかってたから楽しかったって言うけど、ナラさんに言わせるとドM体質でないと無理らしい。

 アルはドM体質なんじゃなくて真面目なんだもん。

 でも皆さん、色々と特技を隠しているなあ。

 

「じゃあ、夢の中で怒られたっていうの ? 」

「はい、いつものあの方です」


 新人公演の翌日、劇場の小リハーサル室で百合子先生に問い詰められた。

 一幕をサッと流したその後だ。

 昨日とは違う踊りに、百合子先生が突っ込んできた。


「それで、どんなことを注意されたの ? 」


 私はノートを取り出して、朝になってから書きだしたお母様から言われたことを読み上げた。

 それとどんな指導をされたのかも。


「さすがお母さん。よくわかってるわ」

「だから、大先生じゃありません。金髪碧眼のレディです」

「こんな微に入り細に入り指導できるのは母しかいないわよ。大体ここ」


 百合子先生はメモの間に時々入るセリフを指さす。


「口癖だったわ。母に指導された人たちなら忘れていないはず」


 ついつい書き込んじゃったお母様の言葉。

 お母様語録はバレエ団にいろいろ伝わっているけれど、私があちらでの指導中によく言われるのはこれだ。


「できるはずです。さ、やったんさい」


 普段は貴族然としたお母様だけど、お稽古の時だけこんな砕けた口調になる。

 あなたが出来ないことなど要求していません。

 出来るのだから、やって。すぐやって。ほらやって。


「問答無用だったわね。ま、それだけ期待されているって気持ちでクリアしてきたのだけれど」

「百合子先生に同じことを言われてもやる気はでませんから」

「何か言ったかしら」

「いえ、何も」


 それから言伝ってきたお母様からの細かい講評を読み上げると、リハーサル室はお祭騒ぎになった。


「ガマーシュなんて情けない男でもっとカッコいい役が欲しかったんだけど、大先生に認められたらがんばろうって気になるよ」

「その他大勢の町娘なのに、ちゃんと見ててくださったんだわ。嬉しい・・・」


 お母様は何幕の何場のあそこにいた人みたいな感じで、誰の事を指しているのかわかるように評価と指示を出していた。

 夜の部の出演者全員分だ。

 伝説の大先生からの講評を、団員の皆さん大喜びで受け取った。

 そしてオーケストラの皆さんへの謝罪と励まし。

 トップはそこまで気を使わなければいけないんだろうか。


 お母様はダルヴィマール侯爵家の跡継ぎ娘で、入り婿のお父様は宰相。

 兄様たちが介入するまで、お父様は家に帰れない日々が続いていた。

 だから家のことは、家令のセバスチャンさんと相談しながらお母様が取り仕切っている。

 去年はいろいろあって、あちこちにご迷惑をおかけした。

 そのフォローも多分お母様がして下さってたのだろう。

 ・・・私に出来るだろうか。

 お母様と同じように、女侯爵として家を盛り立てていけるだろうか。

 そして私は四方よもの王になった。

 先代のハル兄様。

 始祖の皇帝としてたくさんの仕事をしながら、国を守る祠を作った。

 では今代の私は、何をしたら良いのだろうか。


「アルに、頼ってばかりではいけないのね」

「ルー ? 」


 アルがどうしたのと聞くので何でないと答える。


 悲しい時、辛い時、不安な時。

 いつもそこにはアルがいた。

 アルの手を握れば、そんな気持ちは消えていった。

 でも、そろそろ終わりにしなければいけない。

 お母様のように、こちら現実世界の母のように、一人でしっかり立たなければ。

 ちゃんと一人前の人間として、恥ずかしくない人生を送れるように。


「佐藤さん、ボーっとしてないで、二幕の頭からいきますよ」


 百合子先生に言われて慌てて小道具のショールを取りに行く。

 いけない。

 今はお舞台に集中しないと。



「うーん」


 近頃ではあまり使われなくなった固定電話の受話器を置いて、山口院長、アルの父親は唸り声をあげた。

 相手は懇意にしている大グループ企業の会長。

 父親の代からの付き合いで、従業員の検診や、ご本人も年に一度の人間ドックでご利用いただいている。


「お父さん、どうしたの。急に呼び出して」


 副院長を務めているアルの母が白衣のままで現れた。


「ナオトのことなんだが、ちょっと厄介なことになってね。下手をすると訴訟騒ぎになるかもしれない」

「まあ、穏やかではないわね」


 アル父はたった今聞いた話を簡単に妻に説明する。

 アル母の顔が剣吞になっていく。


「夏休み前から様子がおかしいとは思っていたけど、そんなことが起こっていたなんてね。どうして相談してくれなかったのかしら」

「あれの事だから、忙しい私たちに迷惑をかけたくなかったのだろう。ただ舞台が始まるまでナオトが出るのを知らなかっためぐみちゃんは、ショックでかなりひどい踊りになってしまったらしい」


 お預かりしているお嬢さん。

 できればこのまま嫁入りして欲しいと思っている。

 真面目に稽古に通っていたのも知っている。

 それが大切な舞台を台無しにされてしまったのだ。

 どれだけ傷ついているだろう。


「会長は知り合いからこの話を聞いて、ぜひ力にならせて欲しいと言ってくださった。頼らせてもらおうと思う」

「そうね。私たちもそういった関係には詳しくないし。お任せしましょう」


 ところで、とアル父はメモを見ながら言う。


「明日の最終公演、まためぐみちゃんとナオトが出るそうだ。実際の舞台を見たほうが色々な判断が出来るんじゃないかと、チケットをお譲り下さるそうだよ」

「まあ、そんな。そこまで甘えることは出来ないわ。でも・・・」


 アル母は目を輝かせてニヤッと笑う。


「そうね。あの子がバレエなんて、ぜひ見てこれからの交渉の流れをを考えたいわ」

「そうだね。親として見ておくべきだよ。なんたってめぐみちゃんの恋人役だよ。どんな顔で踊るのか楽しみだ」


 昨日の昼の部。

 キトリとバジルは抱き合うしキスのマネはするし。

 アレを二人がやるなら急接近間違いなし。

 二人は明日の夜は絶対仕事を入れるものかと、明後日やる仕事まで猛スピードでこなし始めた。

 


 アルとルーが両方の世界でバレエ漬けになっている頃、皇帝陛下の引き籠り部屋ではまた男性陣のお茶会が開かれていた。

 皇后陛下はルーたちの練習の見学に行っていて留守だ。

 すでに『大崩壊』に向けてのあれやこれやは終わっている。

 もうしばらくすると王城前やダルヴィマール侯爵邸の避難所への本格的な移動が始まる。

 それと合わせて守備隊の最終編成が予定されている。

 また万が一王都に魔物が流れ込んできた時に備えて、看板や危険物の撤去、窓などの補修。

 歴史的に価値のあるもの、美術品などは皇室主導で安全な場所へと隠された。

 その場所が明かされないので所有者たちの一部から苦情があがったが、皇后陛下自らが説得した結果なんとか収まった。


「後はギリギリまで残っている人たちですね。食料品店などは品数を減らしながら営業を続けるそうですよ」

「面倒なのは家族は一緒にいるという信念を持つ人たちと、終の棲家と家を離れたがらないお年寄りですね」

 

 日常生活を営むための商店は、自分たちがいなくなれば残った人たちが困るからと、商業ギルドが主体になって輪番で営業している。

 また教会関係の施設や療養院では動かしづらい病人がいる。

 彼らは人の減った騎士団隊舎へと少しずつ移動してもらっている。

 王都内に点在する孤児院の子供たちは、心が和むだろうという意見で第四騎士団の隊舎に入った。

 可愛らしい建物に大喜びだそうだ。


「やれるだけのことはした。後は『大崩壊』がどの程度のものなのか。こればかりは始まってみなければな」


 王都に集まってくる魔物たち。

 冒険者ギルドの資料から一覧表にしてはあるが、このところ初めての魔物も散見されている。

 空を飛ぶ魔物が発見されていないのがまだ救われる。


「上から襲われたら避難所がパニック状態になる。それだけは避けたい」

「念のため王城内と城壁に射手を配置しましょう」


 金色の光がテーブルの上に集まる。

 それが収まると北と南が現れる。


「いつもながら派手な登場だな」

「いや、兄さん。あいつらのように突然ポンと現れるよりはいいですよ」

『我らは一応この世の四方を守る聖獣なのだかな。少しは敬おうという気はおきないか』

「ない、な」


 お茶菓子を食べ過ぎて腹痛はらいた起こしたウサギとパンダ。

 ルーのお取り寄せの消化剤を飲んで唸っている姿に、敬意だの尊敬だのを払えというのが無理だろう。

 

『・・・まあ、いい。ではこの間の続きを話すとするか』


 北と南は両手にフィンガーサイズのサンドイッチを持って、菓子皿の前にスタンバイした。 

 

 

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