第275話 避難訓練が始まった

 アルの豹変ぶりは結構なショックだったようで、エウフェミア様の怪我と相まって、王都は実は物凄い危機に陥っているという情報はあっという間に拡散した。

 それまでは疎開していく人たちを笑っていた人たちもいた。

 だが血まみれの冒険者たちが瀕死の公爵令嬢を運んでいくのを見て、そんな楽観した雰囲気ではないのだと理解したようだ。


 そんなわけで、アルに対する評価が変わった。

 最初は人畜無害の美少年だったが、次はルチア姫命の青年に、そして今は『カジマヤー、お前もか』な悪魔デビルズの一員。

 王城内でもアルを見る目が変わってきている。

 大貴族にも堂々と意見ができる男とか、身分を弁えない身の程知らずとか、アルの事を怯えた目で見る人たちもいる。

 そんな人たちを見ると、私はちょっと悲しい。


 それと宗秩省そうちつしょうが動いてしまった。

 相手はエウフェミア様のお家だ。

 王都の貴族のお屋敷は、実はそれほど敷地が広くはない。

 基本社交シーズンしか滞在しないからだ。

 ダルヴィマール侯爵邸ほどの広さを持つ家はない。

 少し入れば馬車寄せがあるくらいで、玄関は道から丸見えだ。

 あの日は買い物やメッセンジャー役なんかの召使が出歩いている時間帯で、例のあの騒ぎはかなりの人数に見られていた。

 もちろん私がお屋敷に出向くのも知られていて、何が起こるかと待ち構えていた瓦版記者もいた。

 さすがに記事にはしなかったが。

 家令をはじめ召使一同の態度。

 そして公爵閣下が目下のアルに頭を下げたこと。

 その日のうちに王都全体に広まってしまった。


「命を救ってくれた相手に対してあのような振舞いをするとは烏滸おこの沙汰である。貴殿の使用人をしっかりと躾け直すように」


 呼び出された財政省総裁は「諾」とだけ答えて頭を下げた。

 私はディードリッヒ兄様を通じて主を思ってのことだと理解していると伝えてもらった。

 もう謝罪とお礼の意は受け取っている。

 後はエウフェミア様の回復を待つだけだ。



 さてバレエ公演まで一週間をきった。

 あちら夢の世界でお母様に言われたように、団員の皆さんとガンガン話し合った結果、舞台全体が上手く纏まった。


「踊らされてはダメよ。あなたが踊るの。ユリちゃんがどんな舞台にしたいと思っているかなんて無視しなさい。あなたの考える舞台を作るのよ。だって、あなたが主役なんだから」


 私はプロにはならない。

 どんな評価が出ても怖くない。

 だからバジル役のお兄様たちにも随分と無理を言っている。

 それは無茶だって言われても、迎えに来てくれるアルと二人でやってみせると納得してくれる。

 

「で、一体何が不安なんだ ? 順調に仕上がってるんだろう ? 」

「ええ、確かにそうなんですけど、去年くらいから不思議に思っていることがあるんです」


 久しぶりに私たちだけで過ごす時間。

 しばらく討伐やら『委員会』の活動でバタバタしていたが、休養も必要とお休みをいただいた。


「実は私、あちら現実世界で体力無双になってるんです」

「体力無双 ? 」

「疲れないんです。汗もかかないし、息切れもしない。おかしいんです、私の身体」


 バレエ『ドン・キホーテ』はとにかく大技の連続で、三幕の32回のグラン・フェッテ・アン・トールナンまでに力尽きてしまいかねない。

 実際ワンハンド・リフトからのフィッシュダイブで、あ、フィッシュダイブっていうのは女性が魚が跳ねるように両手を広げて男性の膝の上で取るポーズなんだけど、男性のほうが力尽きてもう少しでヒロインのお顔と床が仲良しになるところだったなんてことも起きている。

 なのに私はフルで踊ってもなんとも感じない。

 イギリスでの舞台でそれに気が付いた。


「実は僕もなんです。それと魔法の力がまた増えています。去年までは二人直せば息も絶え絶えだったのに、今ならエウフェミア様六人分くらいはいけます」

「アル、お前もか。いや、兄さん、実は俺も少し思うところがあります」

「ディー ? 」


 ディードリッヒ兄様は少し考えてから言った。


「体形が変わりました」

あっち現実世界でか」

「制服を作りなおしましたよ」


 ディードリッヒ兄様、制服のあるお仕事なんだ。電車の運転手さんとかかな。


「ルー、日本人と欧米人、背丈は同じでも足の長さが違う。わかるか ? 」

「えっと、日本人は腸が長いから、でしたっけ」

「そうだ。その分胴長短足だ。それと俺は小さい頃から空手をやっている。だからどちらかと言うとガニ股だ。それがいつの間にか胴と足の比率が変わってきている上に、足の形もまっすぐになった」


 そんなことがあるのだろうか。

 私は夏休み中に寝込んで筋肉がゴッソリ消えた。

 だから体形は変わってしまったけど、もう成長期が過ぎた兄様がそんなことがあるんだろうか。


「・・・みんな。言わなかったが、実は俺もだ。制服の作り替えに二桁かかった」

「エイヴァン兄様も ? 」

「俺もあっち現実世界ではこっち夢の世界寄りの体形になっている。時期としては、そうだな。アンシアがヒルデブランドに来たあたりからだ」


 少しずつ少しずつ服が合わなくなり、気が付けばブカブカになったりズボン丈が足らなくなったりしたと兄様は言う。


「それとディー、顔つきが変わったと言われたことはないか」

「あ、はい、あります。今の職場に着任したとき先輩に偽物と言われましたよ」


 本人と証明された後も、いつまでも偽物疑惑が消えなかった。


「ついつい侍従癖が出てしまったのもありますが、以前と立ち居振る舞いが違うと信じてくれなくて」

「俺もなぜか転勤するまで無料執事喫茶ごっこをやらされた」


 エイヴァン兄様がうんざりしたと顔をしかめる。

 

「ああ、もちろんまるっきりこっち夢の世界の顔になっているわけじゃない。ちゃんと日本人の元の顔だ。だが、なんというか・・・」

「パーツが微妙に変わっていると言われましたよ、兄さん。少しだけ鼻筋が通っているとか、眉の位置や唇の形」

「ああ、それだ。最初にそれに気が付いた部下が毎日写真を撮って、パラパラ漫画みたいに変化の過程を見せてくれたぞ」


 その写真を持って帰って、実家のご家族には整形はしていないと証明したそうだ。

 それ、見てみたい。


「助けて、タマエモン ! 」

『なんだ、それは』


 アルのふざけた呼び出しに、ピョンとヒヨコが現れる。


「タマたちなら何か知ってるんじゃない ? 」

『聞いたことがないわ、そのようなこと』


 いつものように用意されたクッキーを啄む東雲しののめ

 

『もともとお主らの世界とこちらとを行き来できることが異質なのだ。ヘタレがあちらで魔法を使っていることも異質。そう考えればあちらの身体が作り替えられたくらい、大したことではなかろう』


 いやあ、その認識は間違ってると思うわよ、東雲しののめ

 桑楡そうゆがポンっと私の膝の上に乗る。


『我らも全知全能ではない。北と南であれば何か知っているかもしれん』

『彼らが来たら聞いてみるがよい』


 聞いてみるがよいって、いつ会えるんだよとアルが文句を言う。

 二人は知らん知らんとどこかに行ってしまった。



 翌日は王都を巻き込んだ大避難訓練だ。

 すでに病人や老人、小さな子供のいる家は我が家の避難所に移動している。

 今日は地区ごとに避難所に集まり、問題点を話し合いながら炊き出しをいただくことになっている。

 我が家へはシジル地区とすでに避難している家の残りの家族が来る。

 出来るだけ当日の様にということで、私たちは王城で待機。

 

「ちゃんと出来てるかしら。心配だわ」

「広報部隊が随分がんばりましたから、ある程度の成果は得られると思いますよ」


 アンシアちゃんが入れてくれたお茶を飲みながら、街の方から聞こえてくる音に耳を傾ける。

 避難の様子を『委員会』の街ごとの担当者が報告してくれるはずだ。

 朝から始まった訓練はもう数時間にわたっている。

 城下町からはすでに炊き出しが始まっている地区もあると連絡があった。

 ダルヴィマール侯爵邸でもそろそろ落ち着いただろうか。

『委員会』棟の窓から外を見ていると、ダルヴィマール騎士団の騎士様が馬で走り込んでくるのが見えた。


「姫、ルチア姫 ! 」

「落ち着きなさい、何がありましたか」


 真っ青な顔の騎士様をエイヴァン兄様が落ち着かせる。

 家族以外の人もいるから口調は丁寧だ。


「すぐにお戻りを ! 一大事でございます ! 」

「一大事とは、順序立てて説明しなさい」


 騎士様はとんでもない報告を持ってきていた。

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