第273話 アルの逆鱗

 重傷者がいる。


「どこ ?! 」

「正面エントランスです ! それ以上動かすのは危険と判断されました ! 」


 アルは飲みかけのお茶をグイッと空けると、飛び出していった。

 それをアンシアが追う。


「こちらです、カジマヤーさん ! 」


 踊り場まで来ると、城で働く者たちが集まってきているのが見える。

 

「失礼。拝見させてください」


 大理石の床に敷かれたマントの上に寝かされているのは外出着姿の女性。

 乗馬服のように短めのドレスに半長靴はんちょうか

『祠の乙女』を務める貴族女性の服装。

 ルーの知り合いで高位貴族のご令嬢だ。

 名前は確か、エウフェミア様。

 ルーより一つ上の公爵令嬢で、来年の春にどこかの侯爵家の嫡男に嫁入り予定だったはずだ。

 すでに魔導士団の治癒師が数人術をかけているが、傷が深く思ったように効かないようだ。


「ひどい怪我だ。一体何があったんです」

「祠の修復をしていました。予定の場所を終えた後、近くの祠もと仰って・・・」


『祠の乙女』の作業範囲は厳密に決められている。

 その範囲外の物は、たとえ数歩先でも手を出してはいけない。

 それは研修中に必ず守るよう厳命されている。

 だが彼女は止める冒険者の声を無視して隣の祠に向かった。


「そこがちょうど祠の守りの切れる場所で、運の悪いことに魔物が戦っているところだったんです。中型の争いの真ん中に飛び込むなんて、俺たちにはどうしようも・・・」


 引率の冒険者が悔しそうに言う。

 低級の治癒魔法を何度か重ねがけをしながら、上級魔法の使い手のいる王城まで連れてきたのだと。

 傷は左右の肩。

 かなりの深手だが、同道した魔法使いが頑張ったのだろう。

 血は止まっている。


「皆さん、代わりましょう。休んで下さい」


 アルは彼女の肩に手をかざして静かに目を瞑る。

『治癒』の魔法は本来『治す』という意思と文言で発動させるが、彼の魔法は『修復』をイメージするところが違う。

 傷口を消毒する。

 血管を、筋を繋げる。

 千切れた皮膚を元に戻していく。

『鑑定』の魔法を使いながら正しい状態にする。

 骨まで見えていた傷が徐々に戻っていくのを見ていた治癒魔法使いが感嘆の溜息を漏らす。


「なんて力なんだ。こんな一瞬であの怪我を治すなんて」

「詠唱もなしで傷跡も残さず。私たちの魔法なんて足元にも及ばない」

「皆さんが血を止めて下さったからですよ。そうでなければ間に合いませんでした」


 露になった肩を侍女が持ってきた毛布で隠す。

 バタバタと音がして財政省総裁が走り込んできた。


「娘は、娘はどうした ?! 」

「・・・お父様」


 アルは冒険者たちに『委員会』事務所で待っていてくれるよう伝える。

 もう少し詳しい話を聞かなければいけない。

 

「冒険者が付いていながら娘を危険な目にあわせるとは ! 厳重に抗議するぞ ! 」

「止めて、お父様。私が勝手にやったことなの」

「しかし・・・ ! 」

「私の、私の命でこの国が守れるのなら、いいの。私はどうなってもいいのよ。みんなの命が守れるなら・・・」

「ふざけるなっ ! 」


 その場所にいた全員がその声の主を見る。

 先ほどまで治癒の魔法を使っていた青年は、穏やかな表情を一変させ怒りの表情を見せている。


「自分がどうなってもいい ?  命で国が守れるなら ? それをもう一度言ってみろっ ! 」

「カジマヤー ? 」


 カツカツと公爵令嬢に近づく青年。


「命を、なんだと思っているんだ。もし君が死んでいたら、冒険者たちは死を言い渡されても仕方がない。そして、君の死でどれだけの人が悲しむか ! 」

「そんな、だって・・・」

「君を生かすために魔力の限りを使った魔法使い。魔法師団の団員。どれだけの人が君のために動いたのかわからないのか ! 」


 父親に抱きかかえられた令嬢は、いつも友人の後ろで微笑んでいる侍従の怒りの表情にブルッと震える。


「乙女に従う冒険者は中位以下だと説明を受けたはずだ。彼らのクラスはてい。五名で中型の小さいの一頭と戦うので精いっぱいだ。それを証拠に見ろ、彼らを ! 」

「あ・・・」

「怪我、してる・・・ ? 」


 令嬢の怪我の酷さに目を奪われていたが、冒険者たちもまた腕や背中に酷い傷を負っている。


「彼らはこんな体で、誰かに託すこともできたというのに、君をここまで連れてきたんだ。それを、彼らが繋いできた命をどうでもいいというのか ! 君はそれを、家族や君が嫁いでくるのを待っている許嫁に言うのか ! 」

「そんな、そんなつもりでは・・・」

「言い過ぎだ、侍従の分際で ! 」

「誰かが言わなきゃいけないことだっ ! 」


 アルは深呼吸で息を整えると同僚の侍女に指示を出す。


「アンシア、乙女と冒険者を集めよう。もう一度注意事項を徹底的に教え込む。でないと同じことをするバカが必ず出る」

「・・・わかった。すぐに手配するわ」

「君たちも事務所に来てくれ。その傷を治さなくては」


 アンシアは急いで他の近侍たちに報告に走る。

 外に続くドアに向かう青年に、集まった者たちの中から暴言の謝罪を求める声が上がる。


「謝罪などしない。愚か者に下げる頭など持ち合わせていない」


 吐き捨てるようなその言葉を、ルチア姫が踊り場から聞いていた。



 あんなに怒っているアルは初めて見た。

 知り合ってからずっと、静かで穏やかで笑顔で、理由もなく大声を出すことなんてなかった。

 まるで別人のよう。

 ポンと肩を叩かれ振り向くと、兄様たちとアンシアちゃんがいた。

 三人とも顔を強張らせている。

 アンシアちゃんからアルの様子を聞いたのだろう。


「ルチアさん・・・」


 エウフェミア様が涙をいっぱい溜めた目で私を見る。


「怒られてしまったわ」

「・・・わたくしも怒っておりますわ。無茶をなさって」


 彼女の側に跪くと、血だらけのドレスを綺麗にする。


「彼の代わりに謝罪はいたしませんわ。それでは彼の意思を無視することになりますもの」

「・・・そうね。ルチアさんの言う通りね」


 私はエウフェミア様の顔にかかった髪を手櫛で軽く直す。


「後ほど故郷の秘伝の造血剤をお届けいたしますわ。血を増やすお料理の作り方も。無理はなさらないで。ゆっくりお休みください」

「ええ。あの、ルチアさん」

「はい、なにか」

「・・・カジマヤーにごめんなさいと伝えて。冒険者の皆さんにも」


 私は黙って頷くとみんなと一緒に事務所に向かった。



 その日はてんやわんやだった。

 報告に戻った乙女たちや冒険者たちを集めて説明会。

決して命を粗末にしないように。

 教えられた手順を守るように。

 そして瓦版工房への記事の依頼。

 エウフェミア様のあの行為を褒め称えることなく、今どれだけ危険な状態にあるのかを知らせてもらう。

 王都内に残るまだ大丈夫だろうという楽観的な雰囲気を一掃するためだ。

 やっと帰宅できたのは晩の鐘八つを過ぎていた。

 さすがに今日はギルマスの特訓もなく、お休みを言ってみんなが引き上げていくなか、アルが話があると一人残った。

 私はもうネグリジェに着替えていて、ナイトローブを羽織っただけだ。


「アル、今日はお疲れ様でした」


 アルはうつむいたまま立っている。

 私はソファから立ち上がってアルの前に立つ。 

 

「私、聞いてたわ。立派だったわ、アル」

「ルー・・・」


 近づいて彼の顔を見上げる。

 と、突然ギュッと抱きしめられた。

 

「ルー、僕はバカだ」

「アル ? 」

「大バカ者だった。今ならわかる。ギルマスの言っていたことが」


 私は顔はアルの胸にピッタリと埋まっている。

 ドキドキというアルの心臓の音がとてもはっきりと聞こえる。


「腹がたったんだ。助けた命をどうでもいいって言われたから」


 以前アルは自分の魔力を示すために腕に短剣で傷をつけた。

 あの時のギルマスを覚えている。

 とても怒っていた。

 そしてとても悲しそうだった。

 

「いたんだ。やっと元気になったのに、自分で命を絶ってしまった患者さん」


 私の肩に冷たいものが落ちた。

 

「これから元気に過ごせると送り出したのに、冷たくなって戻ってきたって連絡を受けた時の父さんを思い出したら、どうしても我慢ができなかった。せっかくの命、助かった命、ゴミのように叩き返された気分だった」


 そんな奴に二度と治癒魔法を使いたくないとアルは続ける。


「でも、それでも、助けられる命を、目の前で失うなんてたまらない。死ななくてもいい命を見送るなんてできない」


 アルが私の髪に顔を埋める。


「昨日までは普通に大学に行って、いろんな経験をしながら将来を決めようと思っていた」

「・・・」

「・・・医者を目指すよ。そしてこちら夢の世界でも治癒の魔法を極めたい。傷つける側ではなく癒す方になりたい。そして命を大事にしろって伝えたい」

「アル」

「僕の望みは傲慢かな ? 」


 そんなことない。

 私はずっと胸に当てていた手をアルの背中に回す。

 トントンと叩く。

 小さなころにしてもらったように。


「アルがしたいようにしたらいい。アルがなりたいアルになったらいいわ。アルが幸せなら私も嬉しい」


 父が母が、帰宅した時と同じ。 

 大好きだよ、大切だよって抱きしめてくれる。

 あれとおなじ。

 だから私も同じ気持ちでギュッと抱きしめる。


「ルー、あのね」

「なあに ? 」

「君が、好きです」

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