第268話 閑話・食堂の女神サマ

 これは春の大夜会が終わって少し経った頃のお話。


 ヴァルル帝国王城。

 そこで働く人たちの中で小さな噂が広まった。


 ランチタイムに職員食堂に行くと、変わったエプロンの美少女が配膳してくれる。


「大きな緑の目のきれいな子なんだ」

「頭を不思議な布で巻いているから髪の色はわからない」

「すごくかわいい笑顔でトレイを渡してくれるんだ」

「俺、最後の客だったんだけど、小さいのに一生懸命掃除してまわってた」


 食堂は男性職員用と女性職員専用があるが、噂は男性用の方から上がってきている。


「あの子が来てから飯が上手くなったんだ」

「お帰りなさいませって迎えてくれて、いってらっしゃいませって送ってくれるんだ」


 男たちの顔がだらしなくなる。

 侍女たちははっきり言っておもしろくない。


「彼、私の作ったお弁当はもういらないって言うのよ」

「私も。ちょっと前まで嬉しそうに食べてくれてたのに」

「食堂の子って、そんなにかわいいのかしら」

「大体どこの子かしら。臨時雇いっていっても辞令は張り出されるわよね。ここのところ新しい雇用報告はないわよ」


 謎の美少女。

 ライバル登場に侍女仲間から斥侯部隊が派遣された。


「ね、どうだった ? 本当に美少女だった ? 」

「うーん、なんて言っていいかしら。たしかに美少女だったわ。めっちゃ綺麗だったんだけど」

「あれって、反則よね ? 男の人たち知ってるのかしら」

「多分知らないと思うわよ。でもなんだってあんなところに」

「ねえ、焦らさないで早く教えてよ。どんな子だったの ? 」


 斥候部隊は口を濁して話さなかった。

 それから数日後、ランチタイムが終わり掃除を始めた少女をデートに誘おうと残っている一群れ。


「お嬢、貴族街にすてきなカフェがあるんだ。今度の休みにどうだい ? 」

「甘い物とか好きかな。美味しいと評判のケーキ屋があるんだ」


 気さくで明るく誰にでも笑顔。

 テキパキとよく動く小柄な少女。

 男性職員用食堂に突然現れた天使に、若い独り者たちはメロメロである。


「朝と夜もいてくれたらなあ」

「ああ、仕事のやる気もでるよ」

「うふふ、ありがとうございます。でもお昼時だけってお約束なんです」

 なんてほのぼのした雰囲気の中、突然入り口から冷気が吹き込んできた。


「げ、黒衣の悪魔ブラック・デビルズ ! 」


 食堂の出入り口。

 そこには王城内で恐れられている三人の侍従とメイドが立っていた。


「なんでここに・・・」


 食堂の女神がすっと職員たちの陰に隠れる。


「見えていますよ、お嬢様」

「隠れても無駄です。出ていらして下さい」

「無関係の人は横によけていただけますか」


 職員たちが道を開けると、先程までの笑顔が消え不貞腐れた顔の少女が現れた。


「ここのところお昼時にも行方不明と思っていたら、こんなところにおいででしたか」

「どうされたのかと御前も心配なさっています」

「その恰好はなんですか。一体なんの御戯れでしょう」

「・・・」


 少女はプイッと横を向いてしまう。


「お嬢様 ! 」

「うるさいねえ。静かにしておくれ」

「おばちゃん・・・」


 厨房から恰幅のよい五十代後半の女性が出てきた。

 若い頃からの厨房勤め。愚痴やら泣き言やら人生相談に乗ってくれる、王城で働く者の心強い相手。

 年かさの者も弱音を聞かれているので頭が上がらない。

 食堂利用者からは『おばちゃん』と呼ばれている有名な肝っ玉母さんだ。

 ただし独身。


「あんたたち、うちの子になんかようかい ? 」

「おい、止めなくていいのか。相手は宰相補佐だぞ」

「止められるか ? あのおばちゃんだぞ」


 ずいっと腰に手を当てて前に出る。

 あちらの集団も偉そうだが、おばちゃんだって負けてはいない。


「失礼ですが、ご婦人。この方がどなたかご存知ですか」

「ああ、知ってるさ。宰相さんちのルチアちゃんだろ ? 」


 え ?!

 おばちゃん、知ってたの ?!

 つか、この子が宰相ダルヴィマール侯のご令嬢 ?

 思わずマジマジと少女を見る。

 言われてみれば噂通りの大きな緑の目。

 三角巾から少しだけ見えるおくれ毛は銀色。

 確かに特徴はあっている。

 下っ端の職員が高位貴族のご令嬢の姿を見るなどめったにないから気が付かなかった。

 しまった。お嬢とか呼んでたよ。


「でもルチア姫って完璧な貴族令嬢って話だよな」

「慈悲と気品に溢れた令嬢のお手本って言われてるぞ」


 目の前でムッと口を尖らせた少女。

 それが噂のご令嬢とは。


「ご婦人、ご存知ならなぜ止めて下さらなかったのです。侯爵令嬢を厨房などで働かせるなどないでしょう」

「せめて我々にご連絡いただいてもよかったのではありませんか」

「なんでだい ? 」


 そんな義務はないよ、とおばちゃんは言う。


「成人した子が働きたいって来たんだ。ここはいつでも人手不足。人員補充を頼んでも二年も回してもらえない。断る理由なんてないよ」

「身元確認くらいはするでしょう」

「身元はしっかりしてるじゃないか。わざわざ確かめる必要があるかい。そもそもあんたたちは、何でこの子がここで働いているのか聞きもしないじゃないか」


 おばちゃんの迫力に近侍たちがウッと黙る。


「おお、黒衣の悪魔ブラック・デビルズを黙らせたぞ」

「さすがおばちゃんだ」

「見ろ。悪魔デビルがビビってるぞ」


 昼休憩は終わっている。

 午後の仕事は始まっている。

 しかし居残った者たちはその場を離れられずにいる。

 とっとと戻らないと上司に叱責されるというのに。


「・・・わかりました。ではお伺いいたしましょう。お嬢様、なぜこのようなところで働こうとなさったのですか。皿洗いなど貴女様のお仕事ではございませんでしょう」

「・・・」

「お嬢、言っちまいな。いまなら山のように味方がいるからね」


 気が付くといかにも巨大フライパンを振り慣れている筋肉の男たちが立っている。

 手にはそれぞれお玉やらフライ返しやらを握っている。

 それをみた少女は、百万の味方を得たように近侍を睨みつけた。


「あ、あなたたちがわたくしをほったらかしにするからだわ。あなたたちわたくしの近侍なのに、登城するとすぐにお仕事に行ってしまって」

「それはお役目でございますから・・・」

「その間わたくしが何をしているか知らないでしょう ! 」


 エプロンを握りしめて少女が叫ぶ。


「宰相府の控室にたった一人放置されて、お昼時にあなた方が戻るまでお茶の一杯も飲むことができない。やることもなくただ座っているだけ。どれだけ寂しく情けなかったか ! 」

「いや、それは・・・」

「スケルシュさん、十時のお茶してたわっ ! 」


 どうせみんなもお茶休憩してたんでしょう、と少女は続ける。


「だから皇帝陛下にお願いしたのよ。どこかでお仕事させてくださいませって。陛下は好きなところで働いて良いって仰ってくださったわ」


 それからあちこちで仕事を探したが、どこも少女の顔を見ると門前払いだった。

 居場所を求めて王城中を歩き回っていたら、怒鳴り声が耳に入った。


「誰か皿を洗っちまっておくれ ! 後半戦に間に合わない ! 」


 少女はすかさず三角巾と割烹着を取り寄せて着る。


「これ、洗っていいですか ? 」

「ああ、頼むよ ! 」


 以来、朝食後にやってきて皿洗い、昼食の下ごしらえや掃除に配膳と細かな手伝いをしてきた。


「陛下のお許しがあって、こちらの方々が受け入れて下さって、一体何の問題があるのか教えていただきたいわ ! 」

「だからと言って、こんなところで皿洗いなどしなくても ! 」


 パカーンといい音がして『魔王』が崩れ落ちる。

 いつの間にか背後に立っていた司厨員が、お玉で後頭部に一発お見舞いしていた。


「さっきからこんなところとか、皿洗いなんかとか、何を失礼なことを言っているの ! ここは王城で働く皆さんの健康と栄養を司る大切な場所。皆さんが毎日真剣に美味しくて栄養があって飽きの来ないお食事を考えて提供しているのよ。立派じゃない。わたくしは誇りを持ってこの方たちの仲間入りをしているのよ ! 」


 おぉぉぉぉぉっ !

 食堂を感動が支配する。

 今までここまで言ってくれた貴族がいただろうか。

 いや、いない。


「・・・お話にならない。とにかく一度お戻りいただきます。御前がとても心配しておいでです。失礼」

「何をするの ! 」


『錦糸の君』の二つ名を持つ近侍が、少女をよいしょと担ぎ上げる。


「おろしなさい ! おろして ! 」

「続きは御前の前で伺います。さあ、参りましょう」


 少女を大根のように担いだまま、近侍達は食堂を後にする。


「おばさん、私、戻ってきますから ! 」

「ああ、待ってるよ。いつでもおいで」


 廊下の向こうから少女の叫びが響く。


「あい しゃる りたぁぁぁんっ ! 」


「・・・かわいいな」

「ああ、完璧令嬢もいいけれど、ちょっと拗ねた感じがまた」

「年相応ってところがグッとくるよな」


 宰相令嬢の新たな魅力に、使用人たちは心を打ち貫かれた。


「あんたたち、早く職場に戻ったほうがいいんじゃないかい。昼休みが終わって随分たつよ。ほら、行った行った」


 おばちゃんに言われて、男たちは慌てて食堂を後にする。

 それを見送るおばちゃんの左耳には、小さな赤いピアスが光っていた。



 さて、その翌日から一週間。

 近侍達は登城しなかった。

 宰相夫妻の話では、主であるご令嬢が寝室に籠って出てこなかったという。

 主が登城しなければ、近侍達だけで参内する訳にはいかない。


「放っておけ。腹が減ったら出てくる」

「でもエイ兄さん、お姉さまは冒険者の袋をお持ちなんですよ」

「昨日十日分のランチを作らせたと厨房から報告が」

「ルーはいつもお菓子を常備していますから、下手をするともっと籠城する可能性子も・・・」

「・・・マジか」

 

 結局仕事が滞って迷惑した職員からの嘆願で、皇帝陛下直々に職員食堂での勤務を許可する旨の手紙が届き、少女は晴れて皿洗いプロンシュールへと戻った。

 拍手で厨房に迎えられた日の午後。

 その日発行の瓦版には次の文字が踊っていた。


疾風はやてのルー。ソロで大型を討伐。一週間で十五頭を仕留め、数字持ちへの挑戦権を獲得』


「ギルマス、ご存知だったんですか ?! 」

「うん、私の家に泊まってたからね」


 頑張らないと妹に追い抜かれるよ、とギルマスは笑う。

 少女の皿洗いは『大崩壊・対策委員会』が動き出すまで続いた。

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