第261話 売り飛ばされたバレリーナ
「そうですね。佐藤さんの強みというのはいくつかあります」
闘牛士役の皆さんとヴァリエーションの打ち合わせをしている。
お稽古場の隅で照明と音声とカメラに囲まれた百合子先生がお話している。
なんと、私のデビューをドキュメンタリー番組で取り上げることになった。
九十分番組で公演終了まで追いかけると言う。
もちろん両親許可済み、私の許可なし。
なんで ?
ギリギリなんとか学校内での取材は辞めてもらった。
これ以上ご迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
「まず体幹、杭を打ち込んだかのように揺るがないバランス。そして重力を味方にしたかのようなジャンプ」
「重力ですか」
「床を蹴るとき、誰もが力を溜めます。それが筋肉に現れるのですが、彼女にはそれがない。まるで羽根が風で舞い上がるように飛びます。だからと言ってメリハリがないわけではありません。ぜひその辺りに注目してください。はい、佐藤さん、そのまま止まって」
アティテュード・ターンのところで先生のストップがかかる。
ポワントのまま先生の指示を待つ。
「視線、まっすぐ。顔、気持ち右上。二階席の下くらいに。そう、そのあたり」
それだけ指示するとまた取材に戻って行く。
右向きながら正面見ろとか、なに無理なことを。
ただでさえ体は左後方を向いているというのに。
私はそのまま視線の位置を確認してから続きを踊る。
「キトリは本当にスタミナが必要な役なんです。ですが佐藤さんの無限の体力。それで昼夜二公演が可能になりました。一幕からカーテンコールまで、一気に走り抜けます。逆にバジル役の体力が心配です」
団員の皆さんから笑いが起こる。
ちなみにバジルは昼夜でダブルキャストだ。
「そして大切なのはドルシネア姫との二役。元気一杯の町娘キトリと、ドン・キホーテの幻の姫君を完璧に踊り分けます。コンクール用のヴァリエーションを踊れる人は多いのですが、それだけです。全幕を通じて踊ることが出来る若手は少ない。出来ても言われた通りに踊るだけです。しかし彼女は踊りで物語ることが出来る。これはとても貴重なことです」
カメラは私を追いかける。
だけどそれを気にしていてはお稽古にならないので無視して踊る。
踊り分け。
町娘キトリとドルシネア姫の違いは簡単。
冒険者ルーと侯爵令嬢ルチア姫だ。
『ルチア姫の物語・製作委員会』の皆様のおかげで、今のところ二人が同一人物だということはバレていない。
難しいのは結婚式のキトリ。
人妻になったという貫禄がいる。
これをどう表現するのかが課題だろう。
「めぐみさんは今までお教室の発表会にも出たことがないそうですが、いきなりのプロデビュー、心配はありませんでしたか」
「もちろん。コンクールは一度だけ、それも大きなところではない。面白がってキトリを教えてはいましたが、だからと言ってそれがすぐに舞台に通じるわけではありません。イギリスからの打診に一度は断ろうかと思ったのですが、あちらを信じて任せてみようと思いました。それがよい方に向いて今があります」
嘘だぁ。
あの子借りていい ?
ええよぉ ~ 。
そんなノリだったって聞いてるし。
「なにしろ女好きのバジルなんて最低。キトリ、とっとと別れてしまえなんて言う子ですからね。最初の部分を盛り上げるために、その場だけは本人が納得いくよう演出を任せました。面白い出来です。楽しみにしてください」
バジルの登場から仲直りまで。
なぜかアルと二人で考えろと言われてとても頭を悩ませた。
アルは文化祭の練習もあるのに、付き合わせて申し訳ない。
そして今日はもう一つ。
とても言い出しにくいことがあるのだ。
お夕飯と宿題。
予習復習を終えてベッドに入る。
本当に心が重い。
◎
「では・・・」
「・・・はい」
引きこもり部屋が重い沈黙に包まれる。
「よく行ってくれたね。辛かったろう」
「いえ、ご家族のことを思えば私たちなんて」
歓迎の夜会の次の日。
アルに届いたメールはハル兄様、始祖陛下からだった。
だが差出人は妹の
陛下が亡くなったという連絡だった。
「非番の時に事故に巻き込まれたそうです。ご連絡いただいた時にはもうお葬式は終わっていて」
「連絡先に漏れがないか確認していて、僕のアドレスに気が付いたとメールをもらいました」
岸壁から落ちた子供をかばっての事故。
もし下がテトラポットではなく海だったら助かっていた。
いかにも始祖陛下らしい。
アルと二人でお焼香に行って、お母様の憔悴しきったお顔に泣きそうになった。
でも、私たちは単なる知り合いだ。
一番悲しみの深いご両親の前で泣くわけにはいかない。
この悲しみはご家族の物だ。
「では災害フェスで知り合ったと」
「はい。僕たちのつまらない質問にも丁寧に答えて下さって。いろいろお話しているうちにまた合おうということになったんです」
アルが予め始祖陛下と打ち合わせしていたように説明する。
「何度かお会いして、進路について相談にのっていただいたり。たくさんアドバイスをいただきました。まさか、こんな、急に。ハル兄様・・・」
「兄貴のこと、そう呼んでたんだ」
妹さんがポツリと言う。
「お兄ちゃんって呼んで欲しいと言われましたけど、ちょっと恥ずかしくて」
「そうね。あなた、いいところのお嬢さんみたいだし」
それ有名女子校の制服だもんね、と妹さんは兄貴のバカと写真に呟いた。
「それで山口君。実は君宛のメッセージがスマホに残ってたの。今から送るね」
始祖陛下のスマホをチョイチョイと操作すると、アルのポケットがブブッと震える。
アルが恐る恐る開く。
「なんだろう、これ」
画面には三桁、二桁、二桁の数字が。
そしてその後に『これを』とだけある。
説明を書く前に亡くなったんだろう。
「なんのことだかわかる ? 」
「いえ、さっぱりです。ルー、君は ? 」
陛下は私たちに何を伝えたかったのだろう。
でもその前に言い訳を考えなくちゃ。
「もしかしてあれかしら。ほら、解けない問題があるって話してたでしょ ? ちょっとしたヒントで解けるから次に会ったとき教えてくれるって」
アルの足を少し突く。
「あ、ああ。あれか」
「兄様ったら、いつでもよかったのに」
女子高生の携帯に親の知らない成人男性の連絡先があるのはどうだろうということで、連絡は全てアルを通していた。
だからこの数字はアルだけではなく私宛でもある。
「あの、それでこれを・・・」
話を逸らすべく、私はバックから封筒を出してテーブルに置いた。
「ハル兄様から頼まれていたものです。よろしければお越しください」
「チケット ? 」
封筒からチケットとパンフレットを出した妹さんが、それを読んで目をカッと見開いた。
「岸真理子記念バレエ団って、兄貴がこれを ? 」
「
「知ってるもなにも ! 」
妹さんはチケットの日付とパンフレットを何度も確かめる。
「これ、今話題の新人ダンサーの出る回よ。チケットは完売。立見席もゲネプロもない。ネットじゃプレミアで売り買いされてるわよ」
あれ、そうなの ?
「なんだって兄貴はこんなもの」
「私が出るので見ていただきたいって、そしたらご家族の分もって」
妹さんがパンフレットをじっと見て言う。
「佐藤さんだったわね。下の名前って・・・」
「
「
◎
ハル兄様の妹の
私のドキュメンタリー番組を作ってるテレビ局の文化部の職員だった。
私のチームではないけれど、情報は共有していたという。
こんな繋がりがあったことに驚いていた。
私だってびっくりだ。
「ところでなんですか、その
「局内でのあなたのコードネームよ」
知らなかったけれど、私のドキュメンタリー番組を取りたいという局はいくつかあったんだそうだ。
百合子先生は今までの番組の実績を見て今の局に決めた。
「あと人気が出たらそのままバラエティーとか旅番組に出させるかもしれないという局は避けたって聞いたわ。うちは新人アイドルや女優にはそういう依頼はしませんからね」
「そうだったんですか。それでなんでそんなコードネームなんて。普通に名前ではだめですか」
「だから他局にはナイショなのよ」
テレビ番組では同じような番組が被ることはよくある。
年明けとか夏休みとか警察系がよくあるのは知っている。
旅行番組で他局のロケとかち合って名刺交換なんていうのもあるそうだ。
だから目玉になる番組は極力秘密にする。
「あなたは今が旬の素材ですからね。特にウチは長期で追う予定だから、他のところに持って行かれる訳にはいかないのよ。最初の分の放送予定が出るまでは知られないようにしないと」
「そうですか・・・ちょっと待ってください。長期って、最初の分って ? 」
「あなたのバレリーナ人生を追いかけるって企画で、先生とご両親からは許可が出ているわよ ? 」
嘘・・・。
「知らなかった・・・」
「アハハ、でもちゃんとギャラは入るから安心して。年度末の確定申告がんばってね」
がんばってって、なんで私がプロのバレリーナになる未来になってるの ?
私、小さい頃からなりたい職業があるのだけれど。
帰ったら両親に電話して、小一時間ほど問い詰めることに決めた。
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