第260話 アル、正しい方向にがんばる

 歓迎の夜会会場。

 ルチア姫の近侍が北の大陸の娘を案内している。

 急成長したこの春、『リンゴの君』から『春風の君』に改名された青年だ。

 いつも穏やかな笑みを浮かべ控えめで出しゃばらない態度は、侍従としても若い男性としても好ましい。

 成人後の数年は、平民でも貴族でも俺が俺がと存在をアピールする者がほとんどだ。

 だが、彼にはそれがない。

 ただただ静かにそこにいる。

 温厚なだけでなく、剣の腕は国内十指に入る。

 もっとも上位六名までがルチア姫の関係者だが。

 強く優しい彼は、男児を持つご夫人方からは理想の息子と大人気だ。

 千年もの歴史を持つ治癒師家の出。

 本人も数少ない治癒魔法の使い手だ。

 幼馴染であるルチア姫の元婚約者。

 姫も彼には心を許しているのがわかる。

 今は主従の間柄なので二人の結婚はない。

 だがこの小さな恋を応援しようと、彼を養子にと手を挙げている家もある。

 未だそちらが進まないのは、当の本人であるルチア姫があまりに色恋沙汰に疎いからだ。


 そんな彼の後ろをピンクの髪の娘がピョコピョコとついていく。

 歩き方も知らないのかと何人かは顔をしかめ、またほとんどは見てみぬふりをする。

 彼女の振る舞いについては当初から問題になっていた。

 近侍に対してあまりにあからさまなアプローチをしているからだ。

 人目もはばからず腕に抱きついたり、顔を近づけたりする。

 しかしそれが親愛の情からきているのではないことは、たちにはバレている。

 そしてそんな振る舞いが顕著になってから、ルチア姫が王宮に姿を見せなくなった。

 夜会やお茶会にも参加しなくなった。

 何が原因かはっきりしいる。


 パシンという音に集まった貴族の視線が集まる。

 北の娘が手を抑えてビックリしている。


「触らないでくれるかな」


 いつも穏やかな姫の近侍が冷たい目で立っている。


「君の国では当たり前なのかもしれないが、この国ではたとえご夫婦でも人前ではベタベタしないんだ」

「カジマヤー君・・・」


 侮蔑、軽蔑。怒り。

 そんな感情が体全体からあふれ出している。

 今までとは違う様子に集まった貴族たちは目をみはる。


「そんな、同じ書記仲間じゃない。仲良くして・・・」

「書記 ? 君は書記官の仕事を甘く見てるんじゃないか。感情を入れずに真実のみを書き記す。書記官に任命されるのはとても名誉なことなんだ。そして誇り高い書記官殿を君のような小娘につけるものか。僕は君のお守り役で、正式な書記官殿はちゃんと別にいらっしゃる」


 会場に騒めきが広がり、人々は二人を遠巻きにする。


「明日から君は王城には入れない。最初で最後の夜会。楽しんで見ているといいよ」

「だって、ねえっ ! 」


 娘が近侍に縋りつこうする。

 それをスルリと避けて青年は言い放つ。


「僕に触れていいのはルチアお嬢様だけだ」


 彼女が触れようとした左腕を、近侍は汚れを落とすかのようにはたく。


「僕の腕はお嬢様のものだ。二度と近づかないでくれ」


 近くの侍女に残りの案内を頼むと青年は広間から出ていった。

 娘は後を追おうとするが、侍女に手を引かれて壁のすみにつれていかれた。



「驚きましたな。気弱な青年だとばかり思っていたのですが」

「『魔王』の弟分はやはり『悪魔』でしたな。いや、恐れ入った」


黒衣の悪魔ブラック・デビルズ』と称される三人。

 一人だけ天使が混じっていると言われていた青年だが、その殺気に衛兵たちが一瞬槍を構えなおした。

 一部のご令嬢は気を失いかけた。

 会場に冷気が走った。


「お聞きになりまして ? なんて素敵なんでしょう ! 」

「僕の腕はお嬢様のものだ、なんて。ああ、私にもあんな言葉を言ってくれる人がいたら ! 」

「私の主人では百年たってもあんなセリフは出ませんわ」


 近侍が去ると広間から不穏な空気が消える。

 人々はザワザワと今見たものの話を始める。


「さすが旧家の出だけあって、振舞いが堂々としていましたな」

「まったく。己の力をひけらかさない。しかしここぞと言う時には力を見せる。若者はあのようでなければ」

「一体どこのお家が彼を養子にできるのか」

「おや、あなたが養父になられればよろしいのでは ? 」

「いやいや、我が家の家格ではとてもとても」


 家令の杖がドンっと床を叩く。


「ダルヴィマール侯爵家ご一行 ! 」


 侯爵夫人とご令嬢が近侍達を連れて広間に入ってくる。

 ルチア姫の後ろにはいつも通りの穏やかな表情の青年がいた。



「ちょっと ! 彼、かっこよすぎない ?! 」

「これは絶対今年の流行語大賞まちがいなしよ ! 」


 お母様と皇后陛下がキャーキャー言いながら手を握りあっている。

 皇帝陛下とお父様が無言で握手する。

 兄様たちはアンシアちゃんとナラさんでグッジョブしてる。

 私はというと部屋の隅で体育座りだ。


「セリフ、仕込まなくて正解ね。短いけれど、最高の返しだったわ」

「アルにあれが言えると思いませんでした、ナラさん」


 アルが何か仕掛けると言うので、私はドローン魔法で夜会会場をモニターしていた。

 私の両腕に兄様たち男性陣、膝にはお母様たち女性陣が触れるという不思議な光景。

 裏の参謀役のナラさんが珍しく一緒に登城している。

 絶対見逃したくないと着いてきたのだ。

 場所は夜会会場に近い部屋。

 何も知らされていなかった私は、アルのあの発言で最後は魔法の構築が出来ず、グチャグチャになって部屋の隅に逃げ込んだ。


 どうしよう。

 どうしたらいいの。

 どんな顔してアルにあったらいいんだろう。

 だって、今の私、物凄い笑顔なんだもん !

 手で口を押えていないと変な笑い声を漏らしてしまいそう。

 アルの手、私のだって。

 私だけのアルって言ってもいいんだ。

 嬉しい。

 すごく嬉しい !

 もう、ここ数日のモヤモヤが全部どっかに飛んでいった。

 

「良かったですね、お姉さま。熱烈な愛の告白でした」


 アンシアちゃんが何か言っている。

 ただ嬉しくて、頭がぼうっとしている。

 

「ただいま戻りました」


 アルの声がする。

 そうだ、これから一緒に夜会会場に向かわなくちゃ。

 でもダメ。

 まだニヤニヤ顔がとまらない。

 もう少しこの余韻に浸っていたい。

 つか、この顔は人には見せられない。

 特にアルには。

 

「ルー ? 」


 アルが呼んでる。


「ルー、聞こえてる ? 」


 うん、でも、もうちょっとだけ。


「もう行かないと」

「全然聞こえてないな。どうする、これ ? 」


 聞こえてますって。

 エイヴァン兄様ったら気がきかない。

 ああ、これって、これからはずっとアルと手を繋いでもいいってことかしら。


「そんなわけないでしょう。ルーちゃん、そろそろ目を覚ましなさい」

「心の声が駄々洩れしているわね。ルチアちゃん、しっかりなさい」


 ナラさんとお母様の声がする。

 応えられないでいたら、誰かが私の肩をポンっと叩いた。


「ルー、開演の時間だよ」


 開演 ?

 すっと頭が冷える。


「ドルシネア姫が現れないと、ドン・キホーテは旅に出られないんだ。さあ、行こう ? 」


 そうだ。

 私たちが先に入って陛下とお客様をお迎えしないと。

 私は肩に置かれたアルの手に触れて、大きく息を吸って自分の役を思い出す。

 私はルチア姫。

 ヴァルル帝国宰相ダルヴィマール侯爵令嬢。

 最初に北の王子殿下を歓待した家の娘。

 今日はホステスとしての役割も期待されている。


「大丈夫。アル、行こ」


 立ち上がった私は、もう貴族の顔をしているはずだ。

 ・・・多分。



 北の王子を紹介してまわるルーとお方様についていく。

 ナラさんは各家の召使が控えている部屋に移動している。

 貴族の方々の視線は僕に集中している。

 やりすぎたかな。

 でも、あのベタベタを「お前もまんざらじゃないんだろう」みたいな言われ方をして不愉快だったんだ。

 だから多少厳しくてもきっぱり言わなければならなかった。

 ナラさんが言うように信用できる証人がいる場で。


「小僧、いいか」


 野太い声に呼び止められる。

 グレイス近衛騎士団長だ。


「兄さん、少し離れます」


 ディー兄さんに断って団長に頭を下げる。


「ご無沙汰しております。ご健勝なご様子、おめでたく」

「久しいな。随分と様変わりをした」

「恐れ入ります」


 昨年の終いの夜会では見上げていたグレイス公爵だが、今は同じ目線になっている。


おとこを見せたな」

「侍従如きがお騒がせをいたしました。お見苦しいところをお見せいたしましたことをお詫びいたします」

「気にするな。いつやるかと楽しみにしていた者も多い」 


 近くの方々の耳が大きくなっているのがわかる。

 体をさり気なくこちらに向け始めたから。


「反撃を期待していた者ばかりだ」

「・・・遅すぎた感もありますが」

「いや、ちょうどいい時期だったと思うぞ」


 公爵がワハハと笑うと、まわりにもクスクス笑いが広がる。


「ところで昨秋の訓練でお主らを指導していた御仁はどのような方かな」

「ヒルデブランドの冒険者ギルドのマスター、マルウィン殿です」

「なに ? 」


 先ほど名前の出た英雄マルウィンを思い出したのだろう。

 近くの貴族たちが少し僕たちの近くに寄ってくる。

 ここはギルマスのことをはぐらかしておかないと。


「何でも当時は英雄にあやかって同じ名前をつける親が多かったとか。シジル地区のギルドマスターもマルウィン殿ですよ」

「そ、そうなのか」


 ギルマスが英雄マルウィン本人であるのは隠しておいた方がいいだろう。

 公爵は残念そうだ。

 

「ところで小僧」

「はい ? 」

「そろそろ父上と呼んでくれても良いのだぞ ? 」


 おおっとどよめきが広がった。

 一瞬答えに詰まるが、笑顔で応える。


「いずれご縁がございましたら」

「別に今この場でも」

「時期尚早でございましょう」


 いつでも来いと言う公爵に別れを告げ、僕はルーの後を追う。

 後ろからはグレイス公爵家が養子戦争に参戦したという声が聞こえてきた。


 その日の夜。

 こちら現実世界では朝。

 僕のスマホにメールが届いた。

 発信元は始祖陛下。

 タイトルは

『あなたは兄のお友達ですか』

 だった。      

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る