第252話 トウシューズに画鋲
『くるみ割り人形』
ある日、ある王国で、王子様が生まれたお祝いの席で、ある人がねずみの女王様を踏みつぶしました。
生まれたばかりの王子さまは、呪いでくるみ割り人形に変えられました。
ひどいですね。
王子様が踏んづけたわけじゃないのに。
時は過ぎてあるクリスマスの日、少女は一体のくるみ割り人形をプレゼントされます。
その夜、ネズミたちは人形をかじりにきました。
少女はスリッパでネズミたちを追い払います。
すると、どうでしょう。
怖い顔をしたくるみ割り人形は立派な王子様に戻りました。
王子様は少女をお菓子の国に案内します。
というのがバレエ『くるみ割り人形』のあらすじ。
第九が年末のオーケストラの稼ぎどころというのと同じで、クリスマスになるとあちこちで上演されている。
『花のワルツ』はバレエ教室の発表会でよく踊られる。
なんたって女の子を一杯出演させられるから。
このバレエ団では男性ダンサーとペアのバージョンを使っているけれど、系列スクール用の女性だけバージョンを踊った。
といっても
バレエを知らない人たちからは主役になれない人たち扱いされているけれど、あれだけ大勢のダンサーが一糸乱れることなく踊るには、一定以上の技術を要求される。
外国のバレエ団だと身長までそろえるところもあるけれど、日本ではそうもいかない。
それなりの実力者を集めようと思ったら、そんなこと考えていられない。
でも、このあたりは日本人のお家芸で、シンクロナイズドスイミング、新体操なんかでも発揮される能力だ。
どれだけ外国が双子をあつめたり身長体重揃えたりしても、そんなもの無視して完璧な協調性を発揮する。
ぴったりと合わせる為に、吐く息と吸う息まで揃える。
それをほぼ無意識にやってのける。
日本人、なめるな。
「さて、これを見たあなたたちの意見は ? 」
「え、綺麗でしたけど」
百合子先生が大きなため息をつく。
団員の皆さんも残念そうな顔をする
「これでわからないって、それだけで問題よ ? ではそこのあなた。キトリのヴァリエーションを踊って」
指名された一人が自信満々で踊る。
上手いなあ。
さすが去年の某コンクールのメダリストだけある。
一つ一つの動きが完璧だ。
バレエなんて実力社会だから、プロを目指している人たちからみたら、私みたいなのは趣味の延長で続けているとしか見えないんだろうな。
大体の人は高校に上がる前に止めちゃうし。
去年までの私はバレリーナにあるまじきスタイルだったから、実力以前の問題でバカにされても仕方がなかった。
何人かの人たちとは仲直りしたけれど、今だに許せないんだろうなあ、あの人たちは。
お姉さま方が心配ないとか頑張ってと声をかけてくれる。
春からこっち、『メグちゃん』と呼ばれて可愛がってもらっている。
多分そんなのも気に食わないんだろう。
バレエ『ドン・キホーテ』。
一幕で踊られるヴァリエーションはコンクールの課題曲によく取り上げらるだけあって、テクニック満載な踊り。
私が好きなのはアティテュード・ターンのところ。
片足をあげたままポワントでゆっくり見せつけるように回る。
そこまで早い動きで続いているのに、まるで私の踊り、どう ? ってキトリが自信満々で言ってるような感じが好き。
その後はターンの連続でラストに続くんだけど、闘牛士役の男性ダンサーの皆さんが赤い大きな布でエスコートしてくれる。
お客様の拍手も出るし、気持ちよくポーズを決めた。
「さてと、感想を聞いてみましょう。二人の踊りを見比べてどう思った ? 」
「テクニックではそんなに差はないと思います。でも・・・」
団員の皆さんがねえ、顔を見合わせている。
「言いにくいでしょうから私から言うわね。まず、最初のはコンクールの踊り。見ている人は審査員。あなたはコンクールの舞台で踊った」
「当たり前です。審査員にアピールしなくちゃ勝てません」
そうでしょうね、と百合子先生が頷いて、私に質問する。
「あなたはどこで踊ってたの ? 」
「街の広場ですが」
「ほらね。これがあなたと佐藤さんとの違い。佐藤さんはキトリとして物語を踊った。見ているのは街の人たち。そしてお客様。彼女はお客様が盛り上がる場を理解しているし、一緒に踊っている人たちの呼吸もわかっている。きちんと演技ができているの」
先生。
四日間、八回公演こなせばそれくらいはできます。
もちあげるのは止めてください。
「佐藤さんを選んだもう一つの理由は人をひきつける力。さっきの
「・・・」
「さらに付け加えるなら。彼女のスタミナが半端ない。イギリスで昼夜公演二日続けたと聞いてびっくりしたわ。普通は一日一公演よ。ごらんなさい。二曲踊って汗もかかない息切れもしない。多少無茶苦茶させても大丈夫なタフな体力。掘り出し物だわぁ。もっと早く気づけばよかった」
いや、一生気が付かなくてもよかったんですが。
「そんなわけだから、この件についての異議は認めません」
「いえっ、異議あり! 」
なんとなく丸く収まってしまいそうなところを慌てて元の問題に戻す。
「先生、私、受験生なんですけど」
「ええ、知ってるわ」
「私の志望校、倍率が二桁なんですけど」
「あら、すごいわね」
「この夏は必至で勉強しなくちゃいけないんです」
「そうね」
「とても光栄ではあるんですが、ぜひとも辞退させてください」
「却下」
志望校に受かるのがどれだけ大変かを説明しても、取り付く島もない百合子先生と延々とやり取りしていたら、お稽古場のドアが開いてドタバタとお姉さま方が飛び込んできた。
「先生、この子たち・・・」
引きずり出されたのは先ほどの子たちだ。
いつの間に出ていったんだろう。
「メグちゃん、これ、メグちゃんのよね」
差し出されたのは私の服。
なぜかボロボロに千切れている。
それとバックも破れている。
「この子たちがメグちゃんの荷物を触ってから出ていったから、何かあるんじゃないかと思って後をつけたんです。そしたら、こんなことに」
団員の皆さんがざわめきだした。
私は切り刻まれた服を手に取る。
これは去年アルのお姉さまが私の為に選んでくれた思い出の服だ。
これを着て初めてアルと手を繋いだんだっけ。
「動画撮影しておきましたから、言い訳はできません」
「神聖なお稽古場で盗みと器物破損。許せません」
昔のバレエ漫画じゃあるまいし、そう言ってお姉さまたちは彼女たちを睨みつけた。
「・・・保護者の方をお呼びしましょう。誰かこの子たちの荷物を持ってきて。あと佐藤さんのお家に電話して代わりの服を持ってきてもらって」
「あの、私、知り合いの家に下宿してるんです。自分で連絡します」
別室に移される時、一人が私を怒鳴りつけた。
「あなたなんて、チャンスに恵まれただけじゃないっ ! ちょっとスタイルよくなったたけで、いきなり主役なんて生意気なのよ ! 私たちの方がずっと頑張って努力してきたのに、私たちのチャンスを横取りしてっ ! 」
「自分で頑張ってるって思っているうちは、まだ頑張りきっていないのよ」
私は思わず口にした自分の声がなんてつめたいんだろうと思った。
「私は最善はまだこれからって思ってお稽古に来てる。お姉さま方のように優雅な動きが出来たら、お兄さま方のように軽やかに高く飛べたらって。まだまだ努力が足らないわ。やりきったって思っても、次の瞬間まだ足らないって思う。それはここにいる皆さんも同じ気持ちだと思うわ」
そうやってみんな切磋琢磨しているんだ。
それを他人の物を破壊するという行為で辱めるなんて許さない。
「あなたのいう『努力』を、私たちの『努力』と一緒にしないで」
◎
結局のところ彼女たちは『個人的な理由』で辞めていった。
私のロッカーキーを盗んで破壊行為。
動画と現物を見せられた保護者の方は平謝りだった。
団員の方たちがもう一緒にお稽古をしたくないと言ったのもある。
信用できない人たちと、大切な舞台を作り上げることは出来ないという理由だ。
ただ彼女たちが熱心にやってきたことは確かなので、この件は外にはもらさないから、どこか別のお教室へ行ってくれということになった。
ただし、私について不利な噂を流した場合はこの限りではない。
徹底的に戦わせてもらう。
後で正式な書類を弁護士さんを挟んで取り交わすという。
ボロボロになった服の代わりは、アルが
レシートを提出したので、後日現金で返してもらうことになっている。
「あら、あなた、足がしっかり外向きね」
お稽古場に入ってきたアルを見て、百合子先生がパッと顔を輝かせる。
着替えから戻った私が見たのは、先生にガッチリ指導されているアルの困り切った顔だった。
文化祭の練習用ジャージで駆け付けたのが運の尽きだったかな。
そしてこのドタバタ騒ぎで、私の主役辞退が完全に無視されてプレスリリースされてしまった。
気が付いた時にはあとの祭り。
ふざけんな。
浪人になったらどうしてくれる。
「その時はバレエ団で引き取るわよ。気にしない、気にしない」
気にしますからっ !
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます