第246話 アンシアにだって春は忍び寄る

 去年より少し遅れたアンシアの帰省。


 のんびり過ごしたいところだが、色々と雑事が多い。

 違法と言われた冒険者ギルドが、春から正式にシジル地区支部になった。

 ギルド仕様の変更の手伝い。

 正式な冒険者としてのルールの徹底。

 怯えて近寄らない王都の案内人の代わりの指導。

 ヒルデブランドのギルマスが一日おきに来ているが、やはり人手が足らない。

 ゆっくり実家の手伝いも出来ていない。

 だがもうしばらくすると領都から数名の手伝いが来る予定なので、少しは仕事が捗る筈だ。

 派遣されてくるのは皆ベナンダンティなので、シジル地区の悪評もものともしないだろう。

 女性冒険者はグランドギルドに祠の指導に出かけている。

 最初は初めての城下町におっかなびっくりの彼女たちだったが、新人に教えるのに出身は関係ないわけで、今では丁寧な指導と穏やかな物腰で、シジル地区の評判の底上げをしている。


「アンシア、お前、仕事をしに来たのかい。それとも休暇に来たのかい」

「休暇・・・のはずだと思いたい」


 暗くなってから帰宅したアンシアに、母は温め直した夕食を出す。

 去年の様に一緒に買い物をしたり食事を作ったりを期待していた母だが、今年は早朝に出で夕食後に戻ってくる毎日だ。

 そろそろ浮いた噂の一つや二つ出そうな年頃だが、去年のとんでもない出会いのお陰でそれもない。

 正直心配でたまらない。

 夫に相談しても、娘の人生に口を出すなと釘を刺されている。

 だが、やはり母親としては聞いておかなければならない。


「アンシア、冬の間に近衛騎士団の団長様ご夫妻が訪ねてこられたよ」

「団長様って、エロじじい ? 」


 そんな言い方をするんじゃない。

 母は続ける。


「ご自分のせいでご子息の想いが伝わらない。心から謝罪をするから、どうか嫁に来てはもらえないかってね。お二人であたしたちに頭を下げられて」

「・・・」

「貴族社会の荒波から必ず守ってみせる。一緒に暮らすのがいやなら新しい屋敷を用意する。ご自分は顔を出さないようにするから、なんとかお前を説得してくれないかって。本当に真剣におっしゃられたよ」


 去年の春。

 エロ爺にサワサワと触られた太もも。

 生まれ育った街では子供扱い。ヒルデブランドでも半人前。

 自分が性的な対象に成り得るのだとは考えもしなかった。

 あの触れられた手が不愉快で恐怖だった。

 ただただ嫌悪感しか感じなかった。

 だから、あれの息子も同じようにしか思えなかった。

 今ではあのエロ爺が、単なる筋肉バカだと知っている。

 ディー兄さんの胸筋に触ろうとして、とやらで、空の彼方へ飛んでいったのは冬の直前だ。

 そう言えばどこぞの騎士団にも筋肉バカ爺がいたな。

 

「お前、もしかして他に好きな人とかいるのかい。ルチア姫のお傍の赤毛の坊やとか」

「ママ、カジマヤー君はお嬢様の元婚約者よ。今でもお嬢様のことしか想ってないの。あたしなんか入る隙間もないし、割って入る気もないわ」

 


 アンシアは休暇に入る朝、お方様に呼び出されたルーの様子を思い出していた。

 現在ダルヴィマール侯爵家が置かれている状況の説明と共に、来年の秋にはアルと婚約するようにと言われて、一瞬キョトンとした。

 だがすぐにニッコリ笑って了承した。

 そのあまりのあっけなさに周りの者の方が慌ててしまう。


「いいのか、そんなに簡単に決めて。断ってもいいんだぞ」

「大丈夫です、エイヴァン兄様。私、ダルヴィマール家の娘になったんですもの。家の為になることですし、特に問題はありません」


 兄様たちなら困るけど、アルが相手だから良い。

 そう言い切った姉に、ついにアルへの恋心が・・・と期待した気持ちは続いた言葉にすぐ萎んだ。


「婚約したら、ずっと手を繋いでいてもいいのよね」


 後ろに控えていたアルが盛大に沈み込んだのを、兄たち二人がよしよしと慰めた。


 お姉さまはアルの手が好きだ。

 この春に合流してしばらく、とても悲しそうにアルのことを見ていた時期があった。

 先輩侍女とみんなで、一体何があったのかと聞きだしたのだが、その答えが「アルと手を繋げない」だった。


「前は手を出すとアルの手があったのに、今はないの。手を繋ぎたいのに、アルの手がそこにないの。私、アルに嫌われたのかしら」


 冒険者姿になってもらって招き入れた召使の休憩室。

 姉はポロポロと真珠の涙を零した。


「お姉さま、アルってこの春までに背が伸びましたよね」

「ええ、あっという間で、痛がる姿を見るのが辛かったわ」


 それはわかっているらしい。


「二十センチも背が伸びれば、手の位置だって変わりますよ。今まで通りってわけにはいきません」

「でも・・・」

「嫌がらせで背を伸ばす人なんていませんよ。なんですか、その人間離れした技は」


 先輩たちはヤレヤレと溜息をつく。

 このお嬢様はどれだけ天然なんだろう。


「あれ、どうしたの、こんなところで」


 人払いしていたはずの休憩室に侍従姿のアルがやってきた。


「丁度よかった。アル、あなたからお姉さまに手を繋げない理由を教えてあげてちょうだい」

「手を繋げない・・・って、ああ」

「頼んだわよ。さ、先輩たち。あたしたちは失礼しましょう」


 ぞろぞろと隣の部屋に引き上げていく侍女たち。

 アンシアは一番最後に部屋を出て、静かにドアを・・・閉めない。

 先輩たちと一緒に少しだけ開いた隙間から息を殺して観察する。

 アルはルーに合わせて冒険者姿に変身する。


「ルー、あのね。僕も何だかおかしいと思ってたんだ。このところ手を繋いでないって」

「アルも ? 」

「ちょっと並んでみようか。ほら、鏡の前に来て」


 部屋の隅の姿見。

 普段は仕事前の身支度に使われている。


「じゃあいつも通りに手を繋いでみよう」


 二人は同時に手を伸ばす。

 しかしその手の間は十センチ以上開いている。


「これじゃあ、繋げないわけだわ」

「うん、僕が手を伸ばしても無理だ」


 困ったね。

 うーん、と真剣に悩む二人。


「そうだわ。私が少し上に手を伸ばせばいいのね ? 」

「そうか。じゃあ、僕の手がここだから」

「私はここまで上げればいいかしら」

「うん、これなら前と同じだね」


 何度も手を繋いで一番いい位置を確認する二人。

 

「アル、嫌われたかもしれないなんて、勘違いして恥ずかしいわ」

「僕がルーを嫌いになるわけがないじゃない」


 これで元通りねと微笑む二人。


「でもアルの手、すごく大きくなっちゃったわ」

「うん、でもこれでもうルーの手をうっかり離したりしないよ。それに、もう一つ良いことがあったんだ」


 アルは両手をグーパーしてみせる。


「手が大きくなったから、弾ける曲が増えたんだ。指が届きにくくって諦めていた曲が、思う通りに弾けるようになったんだよ」

「まあ、本当 ? 」


 じゃあ聞いてくれる ?

 ドレスに戻ったルーと部屋を出ていく時、侍従姿に戻ったアルはクルッと覗き見集団を振り返った。

 そして軽くウィンクすると親指を立ててサムズアップする。

 アンシアもそれにぐっじょぶで応える。

 お姉さまの機嫌が簡単に治った。

 侍女一同ホッと胸をなでおろす。

 さすがアルだ。

 

「あれで恋してないって、おかしいわよねえ」

「あら、あれはどう見ても恋する乙女の顔よ。お嬢様にご自覚がおありでないだけで」

「カジマヤー君も苦労するわねえ。でも侍従では次期当主のお嬢様と結婚できるわけではないし」


 ワイワイとおしゃべりしながら三々五々持ち場に戻る侍女たち。

 風に乗ってアルのピアノの音が聞こえてきた。



「で、団長様のご子息とはどうなってるんだい」


 母の声でハッと現実に戻る。


「瓦版でずいぶんと取り上げられているけれど、実際にはどうなんだい。親御様がわざわざ挨拶に来て下るってことは、あちらは決して物珍しさで声をかけておいでではないってことだよ」

「それは・・・そうだけど。でも、お付き合いとかしてるわけじゃないわ。お嬢様のお供をしているときにお声がけいただくだけで」


 ごきげんよう。今日もお元気そうですね。

 今年のダルヴィマール杯は出場されないそうですね。残念です。

 そう言えばもうすぐお誕生日ですね。


 そんな一言二言の会話しかしていない。

 昨年の周りを顧みない求婚で、自分がどれだけ迷惑していたかを兄さんたちに窘められたのだろう。

 今は丁度いい距離感になっている。

 距離ありすぎで、去年のいけいけドンドンはなんだったんだろうと思う。

 諦めたと思っていたがそうではなかったか。


「明日はお屋敷に戻るんだろう ? ギルドには顔を出さなくてもいいと知らせがきたよ。お迎えが来るってさ」

「お迎え ? そんな話は聞いてないけど。誰が来るんだろう」


 兄さんたちかな。それともアル ?

 まさかお姉さまはないよね。

 

 翌日アンシアの家のドアを叩いたのは、カジュアルな服装のバルドリック・デ・デオ・グレイス公爵子息。

 え、あれ ? なんでこの人が ? 

 とよくわかっていないアンシアは、彼に連れられてランチをしたり、ウィンドウショッピングをしたり、お茶したり。

 夕方になってからダルヴィマール侯爵邸に送り届けられた。

 後で侯爵夫人にあれが正真正銘、真っ当なデートだったと指摘され、しまった、既成事実を作っちまったと頭を抱えるアンシアだ。

 翌々日、『近衛騎士団副団長、ついに想いを遂げる。仲睦まじいお二人の姿』と、絵入りの瓦版が増刷につぐ増刷で版元は嬉しい悲鳴をあげた。 

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