第247話 備えよ 常に

「なんでこんなことに・・・」


 アンシアちゃんが無念そうにテーブルにうつ伏す。

 彼女の前には数枚の瓦版。

 そこにはグレイス近衛副団長とダルヴィマール侯爵家侍女との恋物語が綴られている。


「変だと思ったんですよ。早くお屋敷に帰りたいって言ったのに、まあまあって乗合馬車に近寄らせてくれなくて」


 グズグズとあちこちより道して、夕四つの鐘がなってかなりたってからの帰宅となった。

 休暇の使用人は昼三つまでの帰宅が義務付けられているが、なぜかどこからも叱責はなかった。


「なんでこんなに正確に再現されているんですか。ケーキの上の小さなキャラメリゼとか、あたし気が付かなかったです」


 うん、だって全体の写真撮ってから、二人の食べたケーキとかお料理とか取材したし。

 その日のうちに待機していたベナンダンティの絵師さんに渡したし。

 ダルヴィマール侯爵家と近衛騎士団が、一丸となってプロデュースしたデートだったんだよね。 


「家族に誤解されちゃう。どうしよう」

「素敵な絵だわ。きっと王都中の女の子が憧れるわ」


 そんな悪だくみはおくびにも出さず、ウットリと溜息をついてみせる。

 ホントに素敵なのよ、このイラスト。

 ネット絵師さんのベナンダンティが根性入れて書いたものを、さらに根性入れた彫師さんと刷り師さんが、各工房で競い合った結果の結晶。

 お料理やお菓子を挟んで談笑する二人。

 ショーウィンドウの中を覗き込む後ろ姿に、ガラスに映った二人の笑顔。

 絵入り瓦版の、いえ、絵画美術の常識を覆す表現に、大御所と言われる画家の皆さんが歯軋りしたらしい。


「去年はものすごく殺伐としていたのに、一体今年はどうしたんですか。春だからって、のぼせ過ぎじゃないですか、瓦版屋」

「あー、それはね」


 今年から瓦版工房は登録制になったのだ。

 好き勝手書かれては人生を壊されてしまう民もいるということで、噓八百を垂れ流す工房を排除する目的があった。

 報道の自由と正確さ、平等と人権の尊重。

 もちろん書いていいことと悪いことのガイドラインもあって、それに抵触しなければとりあえず文句は言われない。

 ただし苦情が入り、そのクレームが正当なものであれば、大きく謝罪広告を載せなければならないという決まりもある。

 そうやって正式に開業許可をもらった瓦版工房が、春の大夜会を前に王宮に集められた。


「昨年は王都も王宮も騒がしく、心の重い年でありました。皇后陛下にはそれを深く悲しみとされ、本年度は民の心が明るくなるような、そのような記事で王都を盛り上げるようにとの仰せ。しっかりと励むように」


 筆頭女官からの言葉に恭しく頭を下げる一同。

 明るい話題と言ったら、あれしかないよな。


「という訳で、工房の方々は報道とは別に、ゴシップコーナーとか家庭用記事とかにも力を入れるようにしたんですって。アンシアちゃんのもその一つかしら」


 ゴシップと言っても、茶化したり煽ったりするのではなく、温かく見守る方向で。

 バルドリック様は公人だけど、アンシアちゃんは違う。

 だから名前は出さないという申し入れを侯爵家からしている。

 一応お伺いはたててくれたのよ ?


「名前って、去年のアレで丸わかりじゃないですか。お姉さまとアルのことはいいんですか」

「それは来年の秋だもの。今年はアンシアちゃんのことで一杯じゃないかしら」


 そうじゃなくてぇっ、と叫ぶアンシアちゃんだが、ここは犠牲になってもらわないと。


「北と南を探して絆しなくちゃいけないのに、お姉さまもみんなも随分とのんびりですね」

「それはそうだけど、だからと言って何かクエストとかあるわけじゃないし、こちらからは動きようがないのよね」


 実際どうしたら北と南のお方が出てきてくださるか、さっぱりわからないのだ。

 そうなったら去年できなかった普通の暮らしをするしかない。

 侯爵令嬢としての義務。

 冒険者としての仕事。

 後はシジル地区の特産品の企画。

 

「そういえば兄さんたちも公人ですよね。ディー兄さん、こないだのデートとか取材されなかったんですか」

「デート ? そんなものしていないぞ」

「うそっ ! フロラシーさんと出かけたじゃないですかっ ! 」


 ベナンダンティのフロラシーさん。

 ヤニス洋装店王都支店の店員。

 昨年までは臨時店長を務めていたが、この春正式に店舗が開設され、めんどくさい立場からただのデザイナー兼売り子兼縫子に降格になった。

 うっとおしい作業をしなくて済むと本人は大喜びだ。

 ちなみにその店舗は、昨年どうしょうもない生地を売り込みに来て我が家から切られた老舗が入っていた場所だ。

 春物にもかかわらずおススメされた土留め色は、侯爵家もお買い上げと言われてもやはり若いご令嬢には受け入れられなかったようだ。

 お母様がすぐにお茶会で娘のために明るい色を選んだと話しまくった結果、あっというまに閑古鳥が鳴いてどこかへ消えていった。

 仕入れの失敗を誤魔化そうとしたからだ。

 我が家で買い入れた布地は、孤児院のカーテンになっている。

 で、ディードリッヒ兄様とフロラシーさんなんだけど。


「確かにフロラシーとは出かけたが、商業地区の卸問屋巡りだぞ。夏秋物の素材の確認だ。俺はヤニス洋装店のアドバイザーもやっているからな。艶っぽい話は一切なしだ。残念だったな」


 そう言われてアンシアちゃんはほっぺたを膨らませる。

 私はそんな彼女励まそうと出来るだけ明るく言ってみた。


「明日は久しぶりの重役会議。気を取り直してがんばりましょうね」



 いつものひきこもり部屋。

 重役とは皇帝陛下ご夫妻、宰相夫妻、ヒルデブランドのギルマス、そして私たち五人だ。

 ご老公様は今年は王都には来られなかった。

 さすがにそろそろ体力がもたないらしい。

 奥様の眠る領都で過ごしたいと仰った。

 どれだけ愛妻家なのかと思う。


「カジマヤーのお披露目では盛大に驚いていただきまして」

「いやあ、演技じゃないぞ。本当に驚いた」

「一人見知らぬ者を連れて行くから対処よろしくなんて、まさかの隠し玉だったわ、カジマヤー」


 侯爵邸で驚かれ、春の大夜会で驚かれ、グランドギルドでも驚かれと、社交界の話題を独り占めしてしまった。

 もう『リンゴの君』とは呼べないということで、新たに『春風の君』の二つ名をもらった。

 背は伸びても謙虚で誠実で爽やかな雰囲気は変わらないということだ。

 若いご令嬢と侍女さんたち。

 そしてもう成人してしまった息子さんを持つ奥様方に人気だ。

 エイヴァン兄様はその仕事ぶりと剣技で、騎士様と一部の文官さんに人気がある。

 ディードリッヒ兄様は刺繍でご婦人全般はもちろん、丁寧な指導で宗秩省そうちつしょうの皆様から絶大な信頼を得ている。

 アンシアちゃんはもちろん近衛騎士団だ。


「私だけ全然成果をだしていないわ」


 仲良しのお友達はいないし、崇拝してくれる殿方もいない。

 去年は『君子危うきに近寄らず』で、まして凡人の自分たちはまきこまれるわけにはいかないと遠巻きにされていた。

 そのうち兄様たちが本領発揮で頭角を現し、私の側にいれば兄様たちと比較されるからとますます近寄らなくなった。

 貴族男子が他国の貴族筋とは言え、ただの近侍に後れを取ってはならないのだ。

 そして私と結婚すれば次代の侯爵の父となれるが、もれなく兄様たちもついてくる。

黒衣の悪魔ブラック・デビルズ』に睨みを利かされながらの新婚生活。

 いろいろ積まれてもご免こうむりたい。

 そんなわけで私には浮いた噂一つないのだ。

 別にモテたいわけじゃないからいいけどね。

 釣り書きを送ってくるのはもの知らずか怖いもの知らずだとお母様は言う。


「ルチアちゃんは旗頭はたがしらですもの。自分が率先して何かしなくてもいいのよ」

「ええ、あなたはみんなに囲まれていればいいの」

 

 皇后陛下とお母様がそう言って下さる。


「アンシア。意図せずとは言え、あなたの気持ちを無視して盛り上がってしまったのは申し訳ないと思っています。ですが、これは必要なことなのです」


 皇后陛下がアンシアに謝ってしまう。

 とんでもないというアンシアに陛下が続けて仰る。


「祠の修復。初代皇帝の残された物を守るとされていますが、住民たちは直に気付くでしょう。冒険者たちが守る物がどのようなものか。修復の頻度が上がれば、王都には不安が広がる。それを払拭するのは明るい話題なのです」

「・・・」

「事から目を逸らさせるだけと思うでしょう。けれどあたしは瓦版の力で、王都民の力を集結させることが出来ると考えています」


わたくし』ではなく『あたし』と仰る。

 皇后陛下が真剣に話して下さっている。

 アンシアちゃんの顔が真剣になる。


「流言飛語の恐ろしさ。ベナンダンティのあなたたちならわかるでしょう」


 ギルマスが少し顔を歪ませる。


「あたしの祖父は当時としては珍しく数か国語を話し、何度も渡航した人でした。そのうち日本語で会話するよりも外国語のほうが楽と言うほどの人だったと聞いています」


 新しい赴任地に行くまでの数日。

 その時、災害が起こった。

 関東大震災である。


「酷い噂があっという間に広がりました。外国人が井戸に毒を入れたと。そして何人もの人が命を奪われたのです。その中の一人になりかけたのが祖父です」

「・・・」

「日本人だという証拠を出しても問答無用で首に縄をかけられたのです。待ち合わせをしていた親戚が来なければそのままあの世行きだったと伝え聞いています」


 そうしたら父も自分も生まれていなかった。

 そう言う陛下のお顔は、いつものお優し気な様子が消えている。


「わかりますか。いざという時に噂に惑わされずに動くことができるよう、マスコミの力を利用したい。瓦版の信用度を上げ、いざというときにどう動くか。それを周知徹底させたいのです」

「今もありませんか。春の交通安全運動とか。あんな風に各瓦版を通じて啓蒙運動ができればと考えているのよ」


 その為には瓦版を読むという習慣をつけなければ。

 お母様が続ける。 


「まずは一つの出来事をを見守ることから。次に困っている人を助けようというムーブメント。最終的には自分たちが住む王都、仲の良い隣近所、それらへの愛着。そこからいざというときにパニックを起こさず助け合うことができるようにしたい。目指すは日本よ」

「もちろん倫理観や価値観の違いで難しいとは思う。でも、東京で出来たことが王都でできないはずはないわ。せめていざという時の為の避難体制だけは作っておきたいわ」


 祠の崩壊はゆっくりとではあるが早まっているとの報告もある。

 ただ明るい話題をという話が、裏にはいろいろと隠されていた。

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