『四方の王』編
第240話 春がきた
王都オーケン・アロンの目抜き通りを小さな可愛い馬車が行く。
「宰相閣下の馬車だ」
「あれはルチア姫のお印だ。ほら、銀色の眉月が光ってる」
いつも通りディードリッヒ兄様とアルが馭者台。
エイヴァン兄様が従者席。
向かいの席にはアンシアちゃんが座っている。
「よかったの ? ご実家に帰らなくて」
「いいんですって。だって、こんな面白いものを見逃すわけにはいきませんもの」
たった三か月会わなかっただけで、アンシアちゃんはすっかり大人っぽい顔になっていた。
気候が厳しい北の国での活動で、きっと実力も自信もつけてきたのだろう。
すでに見習ではなく、正式なメイドの制服を着ている。
きれいな足を見れずに、残念がる殿方も多いのではないか。
「お姉さまもあちらで随分ご活躍されたそうじゃないですか」
「活躍と言うか、騒ぎがあったと言うか。あははは、色々とね」
ええ、まあ、いろいろあったのよ。
これはまた別の話ってことで誤魔化す。
「お母様たちはもうお着きになったかしら」
「先ほどの村を二日前に通ったとのことですから、もうのんびりされているんじゃありませんか」
お母様はヒルデブランドから、私たちは隣村での合流。
カウント王国からの帰朝後、ヴァルル帝国までの旅の間にお世話になった方を訪ねるという名目で留守にしていた。
そこからの直接の帰還ということになっている。
お母様とは年越しから三か月ぶりとなる。
びっくりするだろうなあ。
私も驚いたもん。
ゆっくりと馬車が止まる。
いつも通りエイヴァン兄様がドアを開けてくれる。
先にアンシアちゃんが降りるのも同じだ。
「お帰りなさいませ、ルチアお嬢様」
「ただいま戻りました。セバスチャンさん、皆さん」
後ろで兄様がステップを仕舞いドアを閉める。
ディードリッヒ兄様たちも馭者席から降りてくる。
「アンシア、冬の間に随分大人の女性らしくなりましたね。見違えましたよ。正式な侍女への昇格おめでとう」
「ありがとうございます、セバスチャン様」
私の後ろにみんなが並ぶ。
すると居並ぶ屋敷の人たちがザワザワし始める。
「お嬢様、見かけぬ者がおりますが、新しい侍従ですか。それとカジマヤーの姿が見えませんが」
「さあ、どうかしら」
アンシアちゃんが目を輝かせてワクワクしているのがわかる。
兄様たちも朝からこの瞬間を楽しみにしていた。
当事者のアルはとても恥ずかしいと言っていたけれど、いつも通りの落ち着いた様子だ。
「セバスチャンさん、よくご覧なさいな。さあ、目の前にいるのはだあれ ? 」
私はアルを呼び寄せ、セバスチャンさんの前に立たせる。
はじめ不審な顔をしていたセバスチャンさんだったけれど、ハッと驚きに目を見張った。
「まさか、いや、君は、カジマヤーですかっ ?! 」
「はい。お久しぶりでございます。ただいま戻って参りました」
ダルヴィマール侯爵邸表玄関が、一気にパニックに陥った。
◎
私がイギリスから戻ってアルのお家に付いた日。
家にはお母様と
「
「え、病気なんですか。でもそんなこと何も・・・」
「うーん、とにかく会ってくれる ? そしたらわかるわ」
お姉さまに言われて、自分の部屋より先にアルの部屋へ行く。
「アル、私よ。入ってもいい ? 」
「ルー ? どうぞ、入って」
アルの部屋に入るのは初めてだ。
いつもアロイスの部屋で会っていたから。
十畳ほどのフローリングの部屋の隅にベッドがある。
反対側には机と本棚。
アルは体を起こそうとするが、怠いのか頭を枕に戻してしまう。
「アル、大丈夫 ? ずっと連絡が取れないから心配していたの」
「ごめん、ルー。体調が悪くて、全然動けなかったんだ。スマホ見るのが精一杯で」
扉を閉めてベッドに近づく。
「ただいま、アル・・・って、誰 ? 」
◎
「驚いた。見違えたよ、カジマヤー」
「本当に驚いたわ。男の子ってこんなに変わるのねえ」
お父様とお母様がびっくりお目目でこちらを見ている。
ここは家族の居間。
だけど今はセバスチャンさんとメラニアさん。そして手の空いている使用人の皆さんが集まっている。
みんなアルのことが知りたくてしょうがないって感じだ。
「年明けにはまだアンシアと同じくらいだったのに、たった三か月でこんなになるなんて、ねえ」
私の後ろに立つアル。
『リンゴの君』と呼ばれていた秋までの姿はない。
背は兄様たちと同じくらいになり、燃えるような髪の色は同じだけれど、サラサラとしたそれは肩の下まで伸びて、白いリボンで一つに結んでいる。
「お母様、違うんです。前と同じだったんです、二十日ほど前までは」
「二十日 ? たった二十日でこれほど変わったと言うの ? 」
二年生の修了式の一週間ほど前から体調がおかしかったと言った。
「なんだか目が回るっていうか、血の気が引くっていうか。それと何だかあちこち痛いような気がしてたんだ」
春休みに入って初日。
突然の痛みで目が覚めた。
それからずっと体中が痛くて起き上がれなくなって、寝たきりの生活になってしまった。
親の病院で検査してもらったら、極度の貧血。
他に悪い所は見つからなかった。
寝ても起きてもミシミシという音がしているようで、
「とにかく全身の痛みで動くことが出来ず、馬車の中で休んでもらっていました。夜も十分眠ることが出来ず、やっと動くことが出来たのが一昨日です」
「もしかして、成長痛かしら。女の子にはあまりないけれど、男の子にはあるって聞いているわ。それがたった二十日でこんなことに ? 」
男子、三日会わざれば
こちらでその変化を見ていた兄様たちは、日に日に変わって行くアルに驚きよりも恐怖すら感じていたそうだ。
「様子を見に行くたびに顔が変わってるんだぞ。はじめは新ての呪いかと思ったくらいだ」
宿の部屋で久しぶりにあったエイヴァン兄様がやれやれと説明してくれた。
「
「俺も少しですが痛みはありましたよ、兄さん。ただ一年近くかけてゆっくり背が伸びましたからね。貧血も起こしませんでした」
ディードリッヒ兄様も男の子にはよくあることだと教えてくれる。
こちらでは成長が落ち着いているが、あちらではまだ続いている。
お父様の病院の内分泌外来の先生方が、興味津々で毎日訪れている。
だがこの急激な成長は、やはりベナンダンティならではなのではないか。
それはこれから来る新人さんの調査待ちとなる。
「カジマヤーはずるいな。なんでそんなに急にカッコよくなるんだよ」
「恐れ入ります」
お父様とお母様の間で口を尖らせているのはマックス君だ。
秋から騎士養成学校に入学するので、領都からこちらへ出てきている。
六年間の学生生活を終えたら、二年間の修行をしてから皇室に婿入りする。
もうヒルデブランドに戻ることはない。
「僕もちゃんと背が伸びるかなあ」
「お父様も背が高いんですもの。あなたもちゃんと大きくなりますよ」
だから好き嫌いせずになんでもいただくのですよとお母様に言われ、マックス君はゴニョゴニョと呟いて黙ってしまう。
どうやら苦手な食材があるようだ。
「明後日のお披露目の儀は欠席で良いの ?
「お母様、目立たなくてはいけないのはお披露目されたご令嬢方ですわ。私たちはその後の春の大夜会からの出席にいたします。例のお約束は陰からこっそりと拝見しますね」
アンシアちゃんがバルドリック様と知り合うきっかけになった、毎年恒例のドッキリ企画。
これは見なくちゃね。
今年も『ヴァルル解放同盟』が出演するのかしら。
「カジマヤーも驚いたけど、こちらもびっくりだわ」
エイヴァン兄様の肩には
「もうしーちゃんとは呼べないわね。なんて立派になって」
いつまでもヒヨコ形態ではおかしいだろうということで、こちらも成鳥に変化している。
元の姿も鶏なんだけど、この際だからカッコよくしようと相談したりネットでアンケートを採ったりした結果、天然記念物のオナガドリになった。
尻尾の長さは八メートルだ。
「真っ赤な鶏冠に真っ白な長い尾。神々しくすらあるわ」
「素晴らしい。あちこちに止まり木をおかなければいけないね。営繕課のものに作らせよう」
「僕はしーちゃんが好きだったのに」
マックス君だけが残念そうだ。
「そう言えばリンリンには会った ? 」
「ええ、はい、もう、会いました」
表玄関でアルの姿に屋敷の皆さんが驚愕していた時、遠くからドスドスという音が響いてきた。
それはドンドン近くなってきて、そちらに顔を向けると、巨大な大熊猫が突っ込んできた。
スピードを緩める気が全然ない様子に、全員急いで階段の上に避難。
そのまま馭者席に乗り込もうとしていた馬丁のお兄さんに思いっきり抱きついた。
「・・・まだ自分が抱っこしてもらえる大きさだと勘違いしているらしく・・・」
「・・・日に何人かは犠牲に・・・」
使用人の皆さんの報告では、庭掃除などしていると突然抱きつかれて構い倒される。
パンダ好きなら本望なのだろうが、怪我人が出ていないだけで、その後の業務が成り立たないくらいきついらしい。
これは躾が必要なのではないだろうか。
「モモちゃん、お願いできる ? 」
「キュピッ ! 」
モモちゃんがスチャッと手を挙げて出ていった。
兄貴分のモモちゃんの言うことなら、リンリンも聞いてくれるだろう。
「さあ、これで家族全員揃った。今年は何事もなく、何かに巻き込まれることなく、仲よく平和に暮らしていこう」
お父様、何気に私たちをけん制しないでください。
私たち、去年は何もしてないですからね ?
あっちが勝手に突っかかってきただけだし。
こうして私たちの王都生活二年目が始まった。
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