第208話 傍らで

「あなた、具合はいかが ?」

「やあ、大分いいよ。もう少ししたら歩き回れそうだ」


 ダルヴィマール侯爵は愛妻の声に弱々しく笑う。


「無理はなさらないでね。お仕事のほうはスケルシュが回してくれているから心配はないわよ」

「心配なんてしていないさ。報告はもらっているしね。それに彼なら間違いない判断をしてくれるだろう」


 よいしょとベッドの上に体を起こす。

 侯爵夫人がその背中にクッションを差し入れる。


「僕はいいんだが、ルチアとカジマヤーの様子はどうだい ?」

「ルチアちゃんは大丈夫。でも・・・」


 若いせいか起き上がれるほどに体力は回復している。

 だが、眠り続ける近侍の側を離れようとしない。

 無理矢理に自室に戻さないと食事も取ろうとしない。


「どうも私たちの知らないところで色々とあったらしいわ。侍女たちが私の口からはとても・・・なんて涙ぐんでるし。まあ、カジマヤーがルチアちゃんのことを好きなのはわかっていたけれど」

「片思いらしいねえ。今度のことでルチアも少しは彼の大切さがわかったんじゃないかな」

「だといいけれど、あら ?」


 侯爵夫人はサイドテーブルに置かれた小瓶に気が付く。

 何には真っ赤な錠剤が入っている。


「ああ、それは彼らの国の血を増やす薬だってさ。一日一回食後に飲むように言われている」

「そう・・・こんなものを用意してくれたのね。優しい子たちだわ」


 今度の襲撃の仇は正々堂々理由をつけて取ると言明している近侍達。

 

「御前もお方様も、お心安らかに報告をお待ちください」


 そう言って微笑むあの二人の目には、並々ならぬ覚悟が伺えた。

 だが、もう誰にも傷ついて欲しくないという気持ちもあり、無茶だけはしてくれるなと思う。


「そう言えばそろそろ西のお方が来るころじゃないかい。出迎えなくてもいいのかな」

「それは彼らに任せてあるわ。わたくしはこちらで良いの」


 侯爵夫人は夫の膝にペタンと顔を乗せる。


「二度と心配をかけないで頂戴」

「結婚前に散々心配かけられた身としてはなんと返したらいいんだろうね」


 宰相閣下はクスクス笑いながら妻の髪なでる。


「カジマヤー、目を覚ますかしら」

「ああ、なんとか戻って来て欲しいものだね」


 自分が身動きできない今、近侍達に頼るしかない。

 歯がゆくもあったが、任せられる力強い人材が必要な時に存在してくれたことに感謝する宰相閣下だった。



「お嬢様、皆様お揃いでございます」


 ナラさんに案内されて入ってきたのは、ギルマス、おじいちゃま先生、そして西のエルフの代表アマドール様だ。

 私は立ち上がって挨拶をしようとするが、ふらついて立つことが出来ない。


「ルー」

「ギルマス、アルが、起きてくれないんです。顔も手も、冷たくて。全然動いてくれないんです」


 ベッドの向こうのギルマスにしゃくりあげながら訴える。

 昨日も一昨日も一杯泣いたのに、今日も涙が止まらない。

 脱水症状を起こすといけないから水分を取りなさいとナラさんに言われるけれど、泣きすぎでそんなのになるなんてあるのだろうかとボーっと渡された水を飲んだ。

 

「おかしいですね」


 アマドール様がボソッと言う。


「魔力量は確かに少なくなっています。枯渇、と言ってよいのかわかりませんが、とても少ない。しかしそれ以上に問題なのは、魔力が停止していることです」

「魔力が停止・・・」


 どういう事だろう。


「魔力とは血のように体の中を巡っている物。脈動し流れている物。それが彼の場合、動いていないのです。これは私は初めて見る現象です」


 あちら現実世界にも極々微量だが魔力が存在するのは知っている。

 そしてそれを動かすことが出来ることも。

 だが、止まっているというのはどういう意味かわからない、


「簡単に言うと息をしていないということです。空気を吸えなければ、窒息して死に至ります。このまま放置すればもしかしたら命は・・・」

「そんな・・・」 


 アマドール様の言葉に、ギルマスの登場で一度は止まった涙がまたあふれ出す。

 部屋の隅に控えて居ディードリッヒ兄様が新しい手拭を持ってきてくれる。

 最初はハンカチを使っていたけど、こちらのハンカチの吸水性のなさに手拭に切りかえた。

 私の横の籠の中には手拭が山盛りになっている。


「なにか、方法はないのですか。ギルマス、ローエンド師」

「魔力が足らないのなら、お嬢が以前したように譲渡すればええ。じゃが、動かすとなると・・・思いつかぬ」


 譲渡。

 あちら現実世界でおじいちゃま先生にやったみたいに ?

 あの時は魔力をとてもはっきりと感じた。

 あれが出来れば、こちらでもアルに魔力を渡すことが出来るのかな。

 体の中の魔力に意識を集中する。

 そしてそれを アルの手を握っている自分の手に集める。


『やめよ。それは無駄だ』

「誰 ?」

 

 おじいちゃま先生かな、とお顔を見ると自分ではないと首を振っている。


『どうした、娘。この声に聞き覚えはないか』


 キョロキョロと周りを見回すが、私たち以外に誰もいない。

 兄様たちが身構える。


『やれ、なんと薄情な。せっかく声をかけてやったと言うに。もっとも手遅れであったがな』


 声、手遅れ・・・。


「もしかして、ヤコボおじさんに襲われたときの ?」

『思い出したかの』


 ニヤッという感じで返事が返ってくる。


『その小童は魔力枯渇の一歩手前。このまま停滞が続けば命はない』

「 ・・・」

『信じたくないか ?』


 信じたくない。

 何か助かる方法があるって言うなら、そっちなら信じる。


『一つ聞いておくが、生き残るのはお主自身が良いか。それともその小童に助かって欲しいのか』

「アルがいい」

「ルーッ ?!」


 私が即答すると兄様たちが叫ぶ。

 でも、私の気持ちは決まってる。


「アルが生きてくれなきゃいや。アルが笑ってくれてなきゃ、嬉しくない。助かるなら、アルがいい」


 ベナンダンティになったその日から、ずっとそばにいてくれた。

 辛いときも楽しい時も、いつだってアルがいた。

 アルが支えてくれたから、冒険者としても侯爵令嬢としてもやってこれた。


 君、誰 ?


 あの一言で、ずっとつないでいた手が、消えた。

 アルは私がいなくても生きていけるってわかった。

 でも、私は、アルがいないとダメだ。

 もしかしたら、目が覚めても私のことを思い出さないかもしれない。

 友達には戻れないかもしれない。

 それでも、アルには笑っていて欲しい。

 だから。


「アルがいいの。アルじゃなきゃダメなの。お願い、助かる方法があるなら教えて !」



 気が付くと真っ白い世界に立っていた。

 あちら現実世界からこちら夢の世界に来るときに通るはざまの部屋。

 似ているけれど、ここには壁がない。


 あの声の人は、私の覚悟を聞いてギャハギャハと笑った。


『良い良い。かわいいの。だがな、娘のやり方では八割方空気に消える。せっかくの魔力が無駄になるぞ。きっちりと渡すことが出来れば、魔力も自然に動き出す』

「ならどうしたらいいの。ちゃんとした方法があるの ?」


 あるぞ、と言うがその人はただでは教えないと言う。


「何かあげられる物があればいいけど。欲しい物はある ? 命とか、魂とか」

『そんなものをもらっても使い道がないわ』

「え、だって、物語とかだと定番でしょう ? 願いが叶ったらその人を好き勝手つかうとか」

『思い通りになる相手ほどつまらぬものはないぞ』


 じゃあ、何が欲しいの ?

 そう言うとその人はしばらく考えてからこう言った。


『我らは異形の者。姿を見れば誰もが怯え、気を狂わせる者もいる。どうだ、吾の姿を見て怯えずに挨拶することが出来るか』


 確約は出来ない。

 正直に言った。

 でも、慣れたら大丈夫かも。


『正直者よ。よかろう、では三回までは許そう。では、そこの若い娘二人。席を外せ』


 なんでナラさんとアンシアちゃんが同席してはいけないのかわからないが、二人が退出すると私にベッドに顔を伏せさせた。


『今からお主の意識を切り離す。全て終わったら呼び戻してやろうほどに、しばらくあちらで楽しく過ごすが良い』


 そして冒頭に戻る。

 空は白い。

 地面も白い。


「うーん、テレビとか映画だったらドライアイス炊いていそう」

「うん、そうだね」

「 ! 」

「やあ、ルー。元気 ?」


 目の前に、アルがいた。                

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