第205話 彼女と彼氏の事情
「大変だ、大変だ !」
朝、王都の大広場。
瓦版屋の二人が中央の池の縁に立って出勤前の人々に大声で呼びかける。
「ついにダルヴィマール侯爵とご令嬢が襲われた ! 宿敵エリアデル公爵夫人の手の者かと思ったら、実は公爵夫人は偽物だった ! 本物の公爵夫人はどこへ、そしてお二人のご容体は。ウチのコネぜーんぶ使って取材した内容は、みんなこれに書いてある。一枚百円だ。さあ、買った、買ったッ !」
「おう、一枚くれっ !」
「こっちは二枚だ !」
数百枚の瓦版はあっという間に売り切れた。
時を同じくして城下町のあちこちで瓦版屋が売りに立つ。
宰相閣下とルチア姫の襲撃事件は瞬く間に王都中に広まった。
◎
「ルー、楽になった ?」
フッと痛みが引いた。
目を開けるとアルの目と合う。
「今日は辛いけど、明日には良くなってるから」
そういうアルの顔は真っ青だ。
こんな顔色、今まで見たことがない。
「アル、顔色が悪いわ」
そう言う私に満足そうに微笑むと、アルがゆっくりと覆いかぶさってきた。
「アル ? アル、ねえ、どうしたの、アル ?!」
アルの頬が私のむき出しの肩に落ちる。
冷たい。
声をかけても返事がない。
おかしい、
何があったの。
魔力枯渇の一歩手前。
「魔法の使いすぎ・・・?」
アルはお父様のケガを治してから来てくれた。
そして続いての私の治療。
思い出せ。
あの時は力が抜けてフラフラだった。
熱を測ったら平熱よりかなり低くて、養護の先生が体が冷えたんじゃないかと言っていた。
冷え切ったアルの体。
でも、私の時と明らかに違う。
私は自分の意思で
そして
アルは気を失っている。
「部屋に連れていきましょう、兄さん」
「そうだな、自分の部屋で休ませてやろう」
兄様たちがアルの体を私から引き離そうとする。
待って。
なぜ気が付かないの ?
私たち、ベナンダンティでしょ ?
おかしいでしょ。
それ以上は命にかかわる。
おじいちゃま先生はそんなことも言っていた。
不安な気持ちが湧いてくる。
「待って、兄様」
アルの腕を掴んで兄様たちを止める。
命にかかわるって、魔力枯渇で死んじゃうの ?
このまま、会えないまま、逝っちゃうの?
「連れていかないで。ここにいさせて」
「お嬢様、それは出来ません。自分の部屋に戻さなくては」
エイヴァン兄様がそう言って私の手を外そうとする。
ダメ。
行かせない。
ちゃんと説明したいけど、だるくてうまく言葉が出ない。
「部屋に行っちゃったら、私、会いにいけない。やだ、だめ。アルはここにいるの。どこにもいかせない」
アルの左腕をギュッと抱きしめる。
行かせるもんか。
私の知らないうちに死んじゃうなんて、絶対許さない。
「連れていかないでっ ! 私のアルよ ! 取らないでっ !」
「お嬢様、ご心配には及びません。ただ気を失っているだけです・・・あ・・・」
ディードリッヒ兄様の表情が変わる。
気が付いてくれただろうか。
今、アルがとてもおかしな状況にあるって。
「お願い、ここに置いていて。私から離さないで」
涙がポロポロ出てきて、まだ血だらけの顔がさらにグチャグチャになる。
今の私はゾンビ映画の第一犠牲者みたいになってるに違いない。
それでも、今この手を離しちゃいけない。
「私のアルに触らないでよぉっ !」
◎
侍女長メラニアの指示で、アルは同じフロアの空き室に移された。
お嬢様の精神安定の為にも、何時でも顔を見ることが出来る環境が必要だろうという判断だった。
靴を脱がせ服を緩めてやる。
少年は本当に意識がないようだった。
「おかしい。意識はないのに
「全然気が付きませんでした。
何かを訴えるように必死でアルにしがみつく妹。
絶叫するその声に、やっと弟の異常な状態に気が付いた。
この部屋を借りることが出来てよかった。
そうでなければベナンダンティの誰かが来ても容態を見てもらうことができなかった。
「ギルマスを呼ぶか」
「そうですね。何かご存知かもしれません」
「兄さんたち、アルの様子はどうですか」
ノックをしてアンシアが入ってきた。
「お姉さまはやっと落ち着きました。でもアルのことが気になるみたいで、じいさん先生を呼んでくれといってます」
「じいさん・・・ローエンド師か。確かに」
「それより、ちょっとややこしいことになってるんですけど」
アンシアは兄二人を呼び寄せて小声で告げる。
「お姉さまとアルの関係についてみんな知りたがってます。めちゃくちゃ愛称呼びでため口きいてたじゃないですか」
「・・・忘れてた」
非常事態だったのでアルのいつもの口ぶりに気が付かなかった。
「それとアルを連れ出そうと扉を開けたままだったでしょう。お姉さまの熱い叫びも下まで響いてて、一体あの二人は何なんだって集まった召使が騒いでいます」
しまった。
やっちまった。
今までと違う馴れ馴れしい態度は、確かに色々な憶測を生むに違いない。
「何か納得してもらえる設定を考えないと後々面倒ですよ」
冷静なアンシアの意見に男二人は黙る。
設定。
どんな設定なら納得してもらえるんだ ?
恥ずかしながら二人とも、恋人のいない歴=年齢だ。
どちらも職場は違えど仕事に邁進すればするほど異性との出会いがなくなる職業。
優秀な人材ほどお一人様率が上がるという恋愛ブラック企業所属の二人に、少年少女の純愛設定など考えられるはずもない。
「・・・仕方ないですねえ、兄さんたち。それじゃ、こんなのはどうですか ?」
役立たずの兄たちに末っ子の妹が手を差し伸べた。
◎
憔悴した表情でルチア姫の近侍が階段を降りてくる。
階下の家令と侍女長に気が付くと近寄ってきて報告をする。
「お嬢様は落ち着かれました。ですがカジマヤーが・・・」
「原因は分かりませんが、意識を失ったままです」
お嬢様にはアンシアが、カジマヤーにはナラが付いているという。
「我々が出遅れたせいで御前とお嬢様があのような目に・・・」
「この責はいかようにも・・・」
深く頭を下げる二人に、家令のセバスチャンは肩を叩いて慰める。
「ヤコボが賊の仲間だったとは、私も気づきもしませんでした。まして仕えて日の浅い君たちでは無理でしょう。お二人とも傷は塞がって、後は体力の回復を待つだけです。あまり自分を責めてはいけませんよ」
「ですが・・・」
「それより聞きたいことがあります」
家令のセバスチャンはギロッと二人を見る。
「お嬢様とカジマヤーの関係です。もちろん、君たちは知っているのでしょう。説明しなさい」
「・・・」
「大切なことです。私たちは知っている必要があるのですよ。それとお嬢様は君たちを時々兄様と呼んでいますね。その説明もいりますよ」
近侍達は顔を見合わせる。
「私たちは元々お嬢様の家庭教師でした」
「義務教育とその次の三年間は親に学費を出してもらいました。ですが、高等教育は親元を離れたこともあって、学費以外に生活費を必要としていました」
近侍の二人はそう説明を始める。
「それを稼ぐためにお嬢様の教師役をしていましたが、幼馴染ということでカジマヤーの教育支援も一緒に引き受けていたのです」
「始めは先生と呼ばれていましたが、二十歳前の学生の身ではその呼び方は恥ずかしく、住み込みで働いていたので、お嬢様は家族の一員として兄様とお呼び下さるようになったのです」
ヒルデブランドへの旅の間、兄弟姉妹という設定で過ごしていたので、今でも時々それが出てしまうことがあるという。
そういえばアンシアもたまにお姉さまと呼んでいることがあった。
「カジマヤーについてですが、本人の許可なくお話してもよいものかどうか」
「だが兄さん、知ってもらっていたほうがあれのためにもなるのでは」
二人は仕方がないというように思い口を開く。
「カジマヤー、いえ、アロイス様は千年続く治癒師のお家のご子息です」
「お嬢様のお家とは家族ぐるみのお付き合いをされていて、物心つく前から仲良くされていたそうです」
千年。
この国の大貴族でもせいぜい五六百年。
ただの赤毛の少年侍従と思っていた使用人たちは驚きの声を上げる。
だが、続く言葉にさらに驚愕する。
「二十歳になったとき、お嬢様の許に婿養子に入られるはずでした」
◎
近侍達の重たい口を無理矢理開かせて聞いたお嬢様と少年侍従の関係。
「まさか許嫁とは思いもしませんでしたわ」
「国に戻れば元大貴族のご子息。そんな方がわざわざ侍従になど」
私たちと合流したときに国にお戻りになるようお勧めしたのです。
ヒルデブランドに着いた時も。
侍従になることにも反対はしたのです。
召使であれば、お嬢様との結婚などない。
一度帰国して、後からお迎えにいらしてはと。
ですが、どうしてもお嬢様と離れたくないと仰って。
「しかもお嬢様はご自分に許嫁がいることをご存知ないと」
「長じて別に好いたお方が現れたときに悩まないようにとは、双方のご両親の御考えはわかるとして、よく当事者のカジマヤーが承知したものです」
それだけお嬢様を好いておいでなのです。
未来のことなどよりも、今のお嬢様のお力になりたいと、それだけなのです。
「お嬢様はカジマヤーの気持ちには気づいておいでではないようですわね」
「カジマヤーもあの若さでよく隠しきっていました。同じ男として頭が下がります」
今後の事はご当主ご夫妻によく相談しなければ。
家令と侍女長はこの件に関して外に漏れないよう、しっかりと根回しを指示した。
◎
「ごまかせましたかね」
「多分な」
エイヴァンとディードリッヒは表の血糊を処理する。
水で流してもいいが、血の匂いはいつまでも残るものだ。
魔法で取り除いたほうが確実で早い。
「侍女たちが涙ぐんでいましたね」
「侍従たちも同じだぞ。つか、アンシアのやつ、よくもあんな設定を考えたな」
メチャクチャ安易な後付け設定。
文章にすれば怪しさ満載だが、アンシアの言うように少しずつつっかえるように話すといかにもそれっぽい。
セバスチャンとメラニアが簡単に信じた。
ルーは婚約を知らないという設定で、彼女にバレても問題ない。
後はアルに自分の設定を覚え込ませるだけだが、問題の本人が意識不明なのだから彼から綻びが出ることもない。
とりあえずはめでたしめでたしだ。
「ミャア」
植木の陰から可愛い声がして白い毛皮が見え隠れする。
「
ガサゴソと葉っぱまみれになった小竜が現れた。
「わっ、お前なんてもの咥えてるんだ !」
ペッと吐き出したのは人の手だ。
「まさか、いや、そうか」
あの時、短剣をふりあげた御者が突然倒れ込んだ。
ルーが反撃したのかと思っていたが、家令はヤコボの手が千切れていたと言っていた。
「お前があいつの手を封じたのか。よくやったぞ、
もう一太刀浴びていたら、御前の命はなかったろう。
褒められて嬉しいのかミャアミャアと跳ねまわる白竜。
エイヴァンは血のついた毛を魔法で綺麗にしてやる。
ディードリッヒは放置された手を炎で焼き消した。
「じゃあ、お前のご主人様のところへ行こう。心配しているぞ」
二人は先ほど出てきた正面玄関ではなく、裏の使用人用の出入り口にまわる。
「なあ、ディー。俺たちは一体どこまで行くんだろうなあ」
「皆目見当がつきません」
去年の夏に現れた少女。
そこから山道を転がる石のように色々な物に巻き込まれていく。
悠々自適な冒険者生活は今はもう昔の話だ。
「まあ、責任を持って巻き込まれてやるがな」
「それが係累の務めですからね」
どこからかヒヨコの
波乱万丈な一日はなんとか終わろうとしていた。
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