第204話 望みの代償

 その人は泣いていた。

 血まみれの、護身用のショートソードを構えて。


「ご、御前、お許し下さい。でも、こうしないと あのお方が幸せになれないのです。でも、こんなこと、したくない。したくないのに、しなくちゃいけないんです」


 傷口が熱を持ってドクドクと脈打っている。

 噴き出した血が目に入って視界が半分赤い。


「どうして、しなくちゃいけないんですか。教えてください。なんで私はこんなもの持ってるんですか」

「御前っ !」


 従者席から降りてきた兄様たちが、こちらの異変に気づいて駆け寄ってくる。


めてください。めさせてください。でなきゃ、お願いです。私を殺してくださいよ」


 ガタガタ震えながら剣をふりあげる。

 マーカーは赤くなったり青くなったり、点滅を繰り返している。


「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、誰か、助け・・・っ !」


 カランと音を立てて剣が落ちた。

 ヤコボおじさんは血だらけの床に倒れこむ。

 

「御前っ ! しっかり !」

「誰か、御典医を !」


 兄様たちがお父様を屋敷の中へ運ぶ。

 私はアンシアちゃんの肩を借りて立ち上がる。

 血を流しすぎたのかクラクラする。

 体が震えて力が出ない。

 吐き気がする。

 落ち着け、私。

 私はベナンダンティだ。

 死なない。

 大丈夫。

 一晩寝れば元通りだ。

 屋敷に入るとき、何かを銜えた桑楡そうゆがヤコボおじさんのそばにいるのがチラッと見えた。

 


 久しぶりにお嬢様が登城された。

 ここ一週間ほど近侍全員が寝込み、春から何度か繰り返される同じ症状に、屋敷の者たちは何かの呪いに罹っているのではないかと噂していた。

 正解にたどり着いてはいたが、それはあくまで冗談の延長。

 お元気な笑顔で出かけられたお嬢様に、一同やっと日常が戻ってきたと安堵していたが、玄関前がバタバタと騒がしい。

 バンっと荒々しく扉が開けられる。

 入ってきたのは今朝御前の護衛として出ていった騎士だ。


「御前が暴徒に襲われました ‼」

「 ! どういうことです ?」


 そろそろお帰りのお迎えをと集まっていた召使の間から、家令のセバスチャンが現れる。


「ご帰宅途中に突然群衆に囲まれました。雲霞の如くお馬車を取り囲む群衆にもうだめかと諦めかけたところで、ルチアお嬢様の近侍が現れて・・・。暴徒らの一部は拘束、御前にはお怪我もなくご無事でございます。ただ護衛数名が負傷しております。御典医の用意をお願いいたします」


 家令が目で合図をすると侍従たちが動く。

 改めてお出迎えをと外に並ぼうとすると、再び玄関扉が勢いよく開けられる。

 飛び込んできたのは真っ青な顔の副官だ。


「か、閣下が、閣下がっ !!」

「落ち着いて下さい、副官殿・・・御前っ ?!」


 ルチア姫の近侍に抱えられた御前の姿に、侍女たちが悲鳴を上げる。

 ダルヴィマール侯爵の左胸が血に染まっている。


「御前はご無事と報告が来たばかりです。一体何があったのです」


 家令たる者、部下が怯えていても慌てず冷静に対処しなければ。

 叫びたい気持ちを抑えて、セバスチャンは若者たちに聞く。

 それには答えず、御前を床に横たえた近侍達は外に飛び出していく。

 そして今度は白いドレスを真っ赤に染めたルチア姫を抱えて戻ってきた。


「お嬢様っ ?!」

「ヤコボが外で血まみれになっている ! 御前と姫はご無事、ああっ ?!」


 飛び込んできた騎士が自分の主の姿を見て叫び声をあげる。


「静かに !」


 家令は深呼吸をして指示を出す。

 

「負傷した騎士は騎士団隊舎へ。御前とお嬢様はお部屋へお連れして・・・」

「ルーっ ?!」


 大きな声に全員が階段上に目をやる。

 姫の近侍の少年が真っ青な顔で駆け下りてきた。


「ルー ?! どうしたの ?! 何があったのっ ?!」

「あ・・・」

「今、治すから、動かないで」


 少年が姫の傷に手をかざそうとする。しかし姫がその手を避ける。


「お父様、が先・・・お父様を見て・・・」

「でもっ ‼」

「順番・・・間違え・・・ないで・・・」


 黒髪の近侍がルチア姫を抱きかかえる。


「すぐ行くから ! 待ってて、ルーっ !」


 少年が御前の服を脱がしにかかるが、血糊でうまく脱がせることができない。


「御前、お許しを。切ります」


 どこからかナイフを出すと御前の服を切り裂き、患部をさらけ出す。


「しばらくご辛抱下さい。すぐに楽になります」


 何かに祈るように目をつぶり手を合わせる。

 そして両手を傷にかざし小さく「治って」とつぶやく。


「凄い・・・」

「こんな綺麗に治るなんて・・・奇跡だ」


 傷が塞がると御前の顔から苦痛の表情が消える。


「ありがとう。楽になった」

「流れた血はすぐには戻りません。食事で造血効果のあるものを取ってください」


 そう言って立ち上がった少年の体がフラリと傾く。


「どうした ! しっかりしろ !」

「兄さん・・・ルーが待ってる。行かなきゃ・・・」


 階段に向かおうとする体を赤毛の近侍がグイッと担ぎ上げる。


「連れて行ってやる。もう少し頑張れ」


 そして軽やかに階段を駆け上がり、ルチア姫の部屋へと向かっていく。

 部屋の扉が閉まる音がする。

 階下の者たちはやっと肩から力を抜いた。


「セバスチャン・・・」

「御前、ご気分はいかがですか」

「ヤコボは、どうした」

「左手が千切れておりましたので、応急処置をして馬丁部へと送ったそうでございます」


 馭者の心配をしていると思った家令は、主を安心させるように告げる。


「セバスチャン、私たちを襲ったのはヤコボだ」

「・・・御冗談でございましょう」

「本当だ。だが、本人の意思ではなかったようだ。落ち着いたら話を聞かねばならない。それと娘は・・・」

「カジマヤーが向かいました。あの治癒魔法の力があればすぐに回復するかと」


 担架が運び込まれ、御前が自室に運ばれていく。

 そのころには話を聞きつけた召使たちが玄関ホールへと集まってきていた。

 

「セバスチャン様、御前とお嬢様は・・・」

「心配ありません。カジマヤーの魔法で回復しています。ただすぐに元通りとはいかないでしょう。早く回復されるよう、私たちもお力添えしますよ」

「カジマヤーが、お嬢様と、かなり親し気でしたが」


 それに答えようとしたとき、階上から悲痛な叫びがあがった。



 左の首筋から胸にかけてザックリ。

 ベナンダンティでなければ、当の昔に虫の息だったろう。

 僕はルーの手を握る。


「すぐに楽になるよ。大丈夫だよ」


 さらけ出された白い肩にむかって力の限りの魔力を注ぐ。

 気のせいか御前の時よりも効きが悪いような気がする。

 何だか思うように魔力が流れていかない。

 落ち着け。

 傷を塞ぐんだ。

 ルーはベナンダンティなんだから、傷さえ塞げば明日には元に戻る。

 上手く塞がらない。

 もうちょっと。

 あと少し。

 

「アル・・・ ?」

「ルー、楽になった ?」


 ルーが目を開けてくれた。

 傷は塞がった。

 もう大丈夫。


「今日は辛いけど、明日には良くなってるから」

「アル、顔色が悪いわ」


 心配してくれるんだ。

 嬉しいなあ。

 ああ、良かった。

 僕の大切なルーが元気になった。

 安心したら何だか眠くなった。

 フワフワして、どこかへ飛んでいきそうだ。

 ちょっとだけ、ウトウトしてもいい、かな。


「アル ? アル、ねえ、どうしたの、アル ?!」

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