第198話 閑話・ 一方そのころ現世では・ 人は変わるもの 変われるもの

 午後の一時ひととき

 昨日から掛かりきりの作業が一息ついた。

 首を回してコリを取る。

 さて、お茶でも飲もうかという時、部長が顔を出した。


「すまんが例の面倒な客が来るんだ。誰か茶を淹れてくれ」


 仕事中の部下が立ち上がろうとするのを止める。


「自分がやろう。丁度区切りがついたところなんだ」


 でも、と言う部下に仕事を続けなさいと指示して給湯室に向かう。

 お客は三名。

 それなりの年齢の意識高い系のご婦人たち。

 月に一度はやってきてクレームをつけていく常連だ。


「ですから、ポスターやら張り出すのは止めて欲しいんですよ。子供たちにあんなものを見せたくないんです」

「しかし、公序良俗に反しているわけでは・・・」

「それ以前の問題ですわ。ここのところ持ち上げられて、いい気になってるんじゃございませんの」

「なんといっても学校近くにこのような施設・・・あら、いい香り」


 ノックの後に入ってきたのは三十路みそじ前の若い男だった。

 トレーではなくワゴンに茶器を乗せている。


「いらっしゃいませ、奥様。お久しぶりでございます」

「あ、あら、そうね。そう言えば先月は会わなかったわね」


 出張で留守にしておりました、と男は紅茶を淹れながら笑顔でこたえる。


「どうぞ。粗茶でございます」


 三人のご婦人はそれを一口飲むと目を見開いて顔を見合わす。


「おいしい・・・。なんてお味なの」

「福々しい香り。こんなお紅茶、頂いたことがないわ」


 ウットリとその味と香りを楽しむ三人。

 が、自分たちが何をしにここへ来たのかを思い出す。


「こ、こんな高級茶葉を普段使いにするってどうかしら !」

「貴重な予算で贅沢なんて、大問題ですわよ !」


 抗議の声に男はニッコリと微笑んで告げる。


「奥様、こちらはティーパックでございます」

「ティーパック ?」

「黄色い箱の物でございますよ」


 スーパーの棚に並んでいるデイリーな一品。

 男はワゴンからそれを取り見せた。


「そんな、ただのティーパックがこんなに美味しいなんて」

「そうよ。本当は特別な茶葉なんでしょう ?」


 いいえと答えた男は、ポットの中身を見せた。


「ティーパックの中身を袋から出して使用いたしました。こちらのメーカーは普段使いとは言え良い茶葉を使っております。すぐに抽出ちゅうしゅつ出来るよう細かい葉になっておりますので、どのあたりで蒸らしを止めるかの見極めが難しゅうございました」


 後は目の細かい茶漉しを選ぶことでしょうか。

 ではどうぞごゆっくり。

 そう言うと男はワゴンを押して出ていった。


「係長、年明け辺りからなんか変わったよな」

「先輩も気が付きました ? 見た目は変わっていないのに」

「なんかちょっとした動作がグッとくるのよね。手袋はめるときとか」


 どちらかというと粗野な方だったのに、近頃は洗練された所作で各職場で噂になっている。

 人間いくつになっても成長できるよい見本と、上層部では彼を見習うよう部下たちに勧めていた。

 

 数か月後。


「え、転勤 ?」

「はい、彼は昨日付で東京勤務に変わりました」


 週一でクレームをつけに来ていたご婦人たちは、目当ての人物の不在にショックを受ける。


「そんな・・・彼がいないんじゃここに来る意味がないわ」

「あのお茶をもう飲めないなんて」

「私の心のオアシスが・・・」


 無料の執事喫茶が無くなってしまった。

 ご婦人方はガックリと肩を落として帰っていった。

 その後クレームの数は激減する。


 安蒜あんびる止戈しか 。二十八才。

 千葉県松戸市出身。

 あちら夢の世界での名前はエイヴァンと言う。



「ちょっと待ってよ。なんでいきなり演目が決まってるんだよ。いや、なんで僕が出ることが決定なんだ ?」


 アルこと山口波音なおとは朝のホームルームで配られた計画書に目を丸くした。


「他のキャストはもちろん、大道具も折衝の担当も決まっていないのに、なんでだよ」

「ええっと、演目が決まった段階で、その役を演じられるのは山口君しかいないって全員一致で決まったの」

「その全員の中に、どうして僕が入っていないのかな ?」


 今年の文化祭。

 アルの学校は各クラスが演劇をするのが伝統だ。

 去年はシスターたちの冒険だった。

 今年は「白貴族」と書いてある。


「これ、僕は知らないんだけど、どういう話 ?」

「え、知らないの ?」


 貴族の正義感の強いお嬢様と、そのお屋敷に勤める召使たち。

 お嬢様の命を受け、執事やメイドが社会の悪を密かに懲らしめる有名なコミックだ。

 ヒロインのお嬢様よりも一癖も二癖もある執事たちに人気が集まり、アニメや実写映画、二.五次元ミュージカル、ドラマにもなった。

 もちろん海外でも人気がある。

 今回アルのクラスがやるのは二.五次元バージョンだ。


「山口君にはメインの執事アルフレッド・ガブリエルをやって欲しいの」


 差し出されたイラストは長身のイケメンが描かれている。


「僕じゃ無理だよ。まず背が足らない。第一こんなに大人っぽくないし」

「ううん、この雰囲気を出せるのは山口君しかいないって !」」


 お願い、うんと言って。

 クラス全員から土下座で頼まれたアルは、条件付きで引き受けることにした。


「文化祭が終わるまで、全員役になり切ること。お芝居に出ない人にも執事とかメイドとかの役を割り振って、校内にいる間は全員役のまま」


 二つ返事で引き受けたクラスメートだったが、それがどれだけ辛く恥ずかしいことか、一週間後に思い知るのだった。



「転勤シーズンだねえ」

「ああ、あいつ、もう着任したかな」


 先週一人が急病になり、長期入院のためポストが一つ空いた。

 それを埋めるべく同僚が東京へと発っていった。


「行きたくないっていってたなあ。現場にいたいって」

「あいつにデスク仕事なんてできるのかな。心配だよ」


 仕事は出来るがバンカラで豪放磊落ごうほうらいらく、下品ではないが言葉遣いが悪いから近寄りたくないと事務の女の子たちは言う。

 そんなあいつが秋口から少しずつ変わり始めた。

 まず言葉遣いが柔らかくなった。

 かなりの早口で何を言っているのか聞き取れないこともあったが、それが段々ゆっくりになり、はっきりと聞き取れるようになった。

 そしてドタドタとうるさかった足音が消え、仕事が丁寧になっていく。

 それとともにギラギラした表情が消え、私服も身綺麗になった。

 部下の扱いも格段に上手くなり、そんな彼に私事を相談する者も増えてきた。

 今回の転勤は彼の成長を認めてのもので、間違いなく同期の中でもトップの昇進だった。


「昔とは別人だもんな。なんだか顔まで変わったし」

「いつ美容整形したんだって噂がとんだよな」


 一緒に暮らしていたのだ。

 そんなものしている暇などないのは知っている。

 

「今じゃ女の子たちが顔を赤くして遠巻きにするようになったし」

「飲みに行ったら逆ナンされるし。転勤で泣いたやつがいっぱいいるぞ」

「人間、内面が変わると顔立ちまで変わるんだなあ。俺も性格改善しようかな」


 そのころ東京では。


「・・・お前、誰だ」

五関ごせきですが」

「いや、俺の知っている五関ごせきじゃない。あいつはそんな優男じゃなかった。おい、本物の五関ごせきをどこへやった !」


 着任の挨拶に行った先で先輩に詰め寄られる。


「誰かあっちに電話して確認を取れ。本物の五関ごせきの安否を確認しろ !」


 二時間後、元の職場から写真が送られてきて、やっと本人と認められたが、しばらくの間は偽物疑惑が晴れなかった。


 五関ごせきあきら。二十六才。

 あちらではディードリッヒと名乗っている。



「そこ、体がぶれてますよ。どうしました」

「や、山口。立ってるだけってきついんだけど・・・」

「執事たるもの主のお傍に二時間でも三時間でも立っているものです」

「あのお、座ってるだけってのも、ちょっとやばいかも」

「当家のお嬢様ともあろうお方がやばいとは何事でしょう。お仕置きが必要ですか」


 アルのクラス。

 授業時間は男子とメイド役の女子は全員起立。

 逆にお嬢様役は着席。

 アルのセシリアさん式修行で全員の姿勢が驚異的に良くなっていく。

 その結果として何名かのダイエットになったのはおまけの話。

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