第183話 踊りという名の戦い
エリアデル公爵夫人はなぜ自分がこれほどイラついているのかわからないでいる。
ダンスは数えきれないほど踊ってきた。
お相手も数知れず。
だが、今隣にいる侍従は義務的に踊っていた男たちとは違う。
常に自分を見ている。
決して目を逸らさない。
侍従のその眼差しはやさしく、主を貶める相手を見る目ではない。
これまでのことを考えると睨みつけられても当然なのだが。
夫人は今までになく不安にかられた。
◎
たかが侍従が踊れるのか。
集まった人々は興味津々でフロアを眺めていた。
エリアデル公爵夫人が何を考えているのかは誰もがわかっていた。
彼女が望んだような結果が出るのか、またルチア姫が悲しい思いをするのか。
だが、ダンスが始まるとそれは杞憂に終わった。
殿方が自分の腰に手を当てている中、侍従は上着の襟に手を添えて踊り出すと、視線はその動きに集中した。
殿方の長めの袖が翻る。
ディードリッヒは執事服なので翻らない。
体の線にそった服なので、動きが他の殿方よりもはっきり見える。
見る人が見れば、舞踏教師並みの実力は明らか。
そしてなんと言っても動きや仕草が、踊れていればいいという他の殿方とまるで違うのだ。
公爵夫人を見送る様に顔を残したターン。
決して触れ合わないダンスなのに、まるで手を貸しているかのような身のこなし。
共に踊る相手を尊重し労わるように。
ダンスを教わるときに男性が必ず言われる言葉だ。
けれど、そのうちに忘れてしまう。
そんな簡単なことを体現している。
失敗を誘おうとする夫人の動きに惑わされることのない足取り。
そして何より、パートナーである夫人を見る目は小さな妹か娘を見るかのよう。
失敗させたいのかい ?
いけない子だね。
ちゃんと踊らないとだめだよ。
そう言っているかのような笑顔と視線。
公爵夫人が段々苛立ってくるのが目に見えてくる。
そしてついに夫人が動いた。
「わっ !」
「きゃっ !」
夫人の手が侍従の手に触れた。
偶然かと思われたが、その後何度となく掠る様に触れる。
公爵夫人の顔がどうだと言うように歪む。
侍従の動揺を狙っているのだろうが、ダンスの時に体が触れるのはご法度。
たとえ男性側から触れられたとしても、はしたない女、身持ちの悪い女と呼ばれてしまう。
男性にそうさせた女が悪いのだと。
そこまでしてルチア姫を陥れたいのか。
夫人がもう一度触れようとした時、侍従がその手をキュッと握った。
『『『キャアァァァァァッ !! 』』』
ご婦人方の声にならない悲鳴が上がった。
自ら差し出しておきながら、エリアデル公爵夫人はその手を振り解こうとした。
が、侍従は手を離さず夫人をリードする。
そうそう。
そこでクルっと回るんだよ。
上手にできたね。
さすが私の娘だ。
男女の踊りのはずが、そんな会話が聞こえてくるようだ。
人々は思わず知らず二人の踊りに見入った。
「すてき・・・」
ご令嬢の一人がホゥっと呟く。
「私もお父様とあんな風に踊りたい」
私も ! 私もよ !
そんな小さな声がさざ波のように広がっていく。
その場にいる父親たちは日頃あまり接触のない娘からの言葉に驚いた。
「娘と手をつないで踊る・・・」
「そう言えば娘の背が腰より上になってからは、手をつないだことはありませんでしたなあ」
「少し照れますが、悪くないかもしれません」
音楽が止まりダンスが終わる。
会場の人々は大きな拍手で称える。
参加者が三々五々戻っていく中、侍従は公爵夫人の手を取り彼女を席へと送って行く。
「お相手、ありがとうございました。奥方様」
「!」
侍従が夫人の右手を取り、口を近づける。
エリアデル公爵夫人の顔が一気に赤く染まる。
青年侍従はその様子を愛おしそうに見つめると、一礼をして主の下に戻って行った。
その姿に会場中のご婦人がうっとりとため息を漏らした。
◎
「聖水、くれ・・・」
ダルヴィマール侯爵家の私の部屋。
ディードリッヒ兄様がソファに横たわっている。
顔色が悪い。
部屋に下がるまでは普通にしていたのだが、居間に移って扉が閉まったとたん崩れ落ちた。
「服、緩めるぞ」
エイヴァン兄様がタイを解いてシャツのボタンを外す。
アンシアが聖水と小皿を持ってくる。
「ディー兄さん、どうぞ」
ギルマスがしたように額に聖水を塗り、残ったものを一気にあおる。
苦し気な兄様の額から、黒い靄が噴き出す。
自分の時を思い出し、体が硬くなる。
「助かった・・・」
兄様の顔色が少し良くなった。
アンシアちゃんに促されて私たちも聖水をいただく。
ディードリッヒ兄様ほどではないが、ピンポン玉くらいの大きさの霧が出てきて兄様の物に加わる。
「ルー・・・」
「はい、兄様 ?」
「すまんな」
ダルそうに起き上がった兄様はソファに座りなおす。
「たったこれだけの穢れでこの有様だ。お前の穢れはバランスボールより大きかった。どれだけ辛かったか。気づいてやれずに悪かった」
ディードリッヒ兄様の穢れはバレーボールくらいの大きさだ。
でも、その禍々しさに大きさは関係ない。
「もう、大丈夫ですか」
「ああ、楽になった」
良かった。
辛いんだよね、あれ。
ギルマスがいなかったらどうなっていたか。
「ルチアちゃん、入ってもいいかしら」
扉の外からお母様の声がする。
アンシアちゃんが慌てて扉を開けに走る。
「お疲れ様。今日は大活躍だったわね、カークス」
全員立ち上がって迎えるが、ディードリッヒ兄様は立ち上がることができない。
「辛そうね。構わないわ。座ってらっしゃい」
兄様は急いで身なりを整える。
お母様は兄様の顔色の悪さと、部屋に浮いている黒い霧に眉を顰める。
「これは、何 ?」
「・・・エリアデル公爵夫人の、呪いによる穢れ、です」
フワフワと漂うそれをお母様が突っつこうとするので慌てて止める。
「ねえ、この後どうするのかしら」
「窓を開けておけば、勝手に呪い返しに行ってくれるそうですが」
「ふーん」
お母様はしばらく霧の玉を見つめていたが、テーブルに置きっぱなしになっていた聖水を右手にジャバジャバとかけた。
「窓を開けてちょうだい」
アルが慌てて窓を開ける。
するとお母様がいきなり
「スパーイクッ !」
と叫んで霧を外に叩き出した。
霧はビュンっと飛んでいくと、途中で二つに分かれてどこかへ消えていった。
「あんな物を何時までもそばに置いておいてはだめよ。さっさと追い出さなければ」
アンシアちゃんが差し出した布で手を拭きながらお母様は言う。
「今日は本当に頑張りましたね。皆も疲れたでしょう。明日は特に用事もないから休日にしましょう。ゆっくり休むのよ。特にカークス」
「はい、お方様」
まだ辛そうなディードリッヒ兄様を、お母様は優しく労う。
「思った以上の効果があったわ。予想以上よ。これ以上ない仕事をしてくれました。これでしばらくは公爵夫人も大人しくなることでしょう。臨時ボーナスを出すわ」
「ボーナス・・・」
お母様は立ち上がり、アルが扉を開ける。
「一日休んで英気を養いましょう。来週には西の大陸からお客様がいらっしゃるから、また忙しくなるわよ」
では早く休むのですよ、と言ってお母様はご自分の部屋に戻って行かれた。
それと入れ替わりにナラさんが軽食と飲み物を持って現れる。
私たちは今日の成果に小さく乾杯した。
数日後、その夜会の記事が大々的に瓦版に載った。
ダルヴィマール侯爵家子飼いの工房の物はイラスト入り。
もちろんベナンダンティの絵師さん渾身の一作だ。
評判が良かったので、後日浮世絵仕様で販売したら売れに売れ、当然ディードリッヒ兄様に売り上げの一部が払われた。
「誰だよ、これ。絶対俺じゃないだろう」
手を振れてはいけないとされていたダンスだが、この年から父親と娘であれば問題なしとされたのはまた別の話。
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