第180話 栗ようかんと墓碑銘

「カウント王国とダルヴィマール侯爵家との関係、ですか ?」


 エイヴァンとディードリッヒは武闘會出場者も含めて、彼らを取り囲むいかつい老人たちに身構える。

 全員が若い頃は一騎当千。

 二人の祖父の年代だというのに、試合で見せた力量はまだまだ現役。

 侮ってはならない。


「ローエンド師に聞いても関わりはないとのこと。あなた方は何をご存知なのです」

「ローエンドはなあ。あやつに聞いても何もわからぬよ。学術バカだからな」


 当代の学者の中では最高峰の頭脳と言われている師をバカ扱いか。

 若者は顔を見合わせた。


「儂らは軍人じゃ。何年も戦争は起こっていないが、いつ起きるかわからん。だからこそ大切なのは情報じゃ」

「他国で起きた小さな出来事が大きな戦に繋がる。いつでも対応できるよう、収集には力をいれておる。たとえそれが醜聞だとしてもな」


 ヒルデブランドの栗ようかんは歯の浮く甘さがたまらんのう。

 老騎士は菓子を一口食べると緑茶をズズッとすする。


「ローエンドは噂だのの世俗的なものに一切かかわらん。それでは表面的な出来事しかわからん。あやつくらいこの件に向かない奴はおらんよ」

「なんでまたあいつを頼ったんじゃ。とっととここへ来れば良いものを。なあ ?」


 老騎士たちはドッと爆笑する。

 若者たちは口をアングリと開けて呆然とする。

 だが、すぐに気を取り直して同じ質問する。


「わかりました。それでは皆さんはローエンド師と違って何をご存知なのですか」

「なーんも知らん」

「はい ?」


 老人たちはニヤニヤと二人を見下ろす。


「今言ったことがヒントじゃよ。そこから先はお主らの仕事じゃ。欲しい資料があれば声をかけろ。ただし対価は払ってもらうぞ」

「対価、とは ?」


 金か、物か。


「訓練に付き合ってもらおう。同じ時間だけ資料庫を解放する。それでどうだ」

「・・・いいでしょう。よろしくお願いします」


 と頭を下げた途端二人は両腕を拘束される。


「何をするんですか !」

「だから訓練じゃよ。さ、訓練所にいくぞ」

「は ? 今からですか?」

  

 大柄なじーさんたちにグイっと腕を掴まれて、問答無用で引きずられて行く。


「ちょっ、ちょっと待って下さい。なんで私たちだけなんですか。お嬢様たちはいいんですか」

「は ? 決まっとろう。お嬢の前でローエンドの悪口を言うわけにはいかんからのう」

「ローエンドはお嬢の家庭教師じゃろ ? 不信感を抱かせてどうする。試合で手抜きしていたお主らで十分じゃ」


 教師と生徒の信頼関係を崩してはいけない。

 理屈はわかる。

 わかるのだけれど。


「ピーピー」


 僕も行くよ、と言いたげにしーちゃんがエイヴァンの頭に乗る。

 そうやって二人はズルズルと訓練所に連れ込まれた。


 

黄金の黄昏ゴールデン・ダスク騎士団』のサロン。

 本来団員が集まるそこは、現在ローエンド師と弟子の勉強部屋になっている。

 隊舎の北側にあるので少し寒い。

 団員の皆様は南側の陽当りのいいサンルームをサロン替わりにしているそうだ。

 縁側で日向ぼっこみたいな感じ。

 いいなあ。

 ちょっと憧れる。

 庭先から孫が遊びに来たりしてね。

 犬とか猫とかいたらさらにいい。

 うちはマンションだからどっちも飼えないけどね。

 年を取ったらそういう暮らしもいいかも。

 そして横にアロイスとアルがいてくれたらな。

 サロンの扉を少し開けると、中から熱心な声が聞こえてくる。

 なんのお勉強だろう。

 

「あの、ごめんあそばせ」


 ちょこっと顔を出すと討論の止まる。


「おお、来たか、お嬢」

「ごきげんよう、おじいちゃま先生。お邪魔でしたでしょうか」


 サロンには何人もの殿方がいて、黒板の前で話し合っていたようだ。


「いや、問題はない。そろそろ終わらせようとしておったのでな。さて、紹介しようかの」

「先生、ダルヴィマール侯爵令嬢を知らない者はいませんよ」


 先程まで白熱した論争を繰り広げていた青年たちがその場を片付けて椅子を勧めてくれる。

 アルとアンシアちゃんはお茶の支度をする。


「お嬢、こいつらは儂の弟子じゃ。こうやって集まってな、その時その時で気になったことについて学んでおる」

「おじいちゃま先生のお弟子さんと言うことは、わたくしにとって兄弟子ということですわね。仲良くしてくださいませ、お兄様方」


 兄弟子のことは『お兄様』と呼ぶことは『製作委員会』で決定している。

 私は反対したんだけど。

 だって兄様たちと被るんだもん。

 私の中では『兄様』の方が上。

 大切さが違うの。

 お茶とお菓子を配り終えたアルたちが私の後ろに立つ。


「それで、今日は何のお勉強を ?」

「数学じゃよ、ホレ」


 大きな黒板には文章題が書かれている。

 兄弟子それぞれの持つ小さな黒板には何度も書いては消した跡がある。  


一生の1/6は子供だった。

一生の1/12は青年だった。

一生の1/7を過ごしてから結婚し、

その五年後に子供が生まれた。

その子は父の半分の年齢でこの世を去った。

その四年後、彼は墓に葬られた。


「で、彼は一体何歳まで生きたのかという問題じゃ」


 えっとつまり『 x= 』で計算すればいいんだよね。

 だとすると答えは、


「「八十四才ですね」」


 あれ、アルとハモった。

 お兄様たちが目を丸くしている。


「では、二人ともその式を黒板に書いてみなさい」

 

 私とアルは左右に分かれて自分たちの式を書く。

 当然同じ物だ。

 違うのはアルは『 =x 』になっているところ。

 でも、それは全然問題ないし。


「ふむ、正解じゃ。よく暗算ができたの」

「恐れ入ります」


 アンシアちゃんが濡れたハンカチを差し出してくれる。

 アルも手を拭いて白手袋をはめなおす。


「お主らは何故お嬢をここに連れてきて一緒に学ばないのかと言っておったが、必要ないのじゃよ。この二人は祖国でしっかり教育を受けてきておるからの」

「でも、おじいちゃま先生、わたくしはこちらの文学にはあまり詳しくありませんわ。そちらの素養はまったく」


 恥ずかしそうに扇子で顔を隠す。


「そういったものは少しずつ積み上げていくもの。今すぐには無理じゃろう。焦らないことじゃ」

「はい、おじいちゃま先生」


 実はおじいちゃま先生にネットで相談されていた。


 ローエンド師のサロンに出入りを許されているというだけで、ものすごい英才扱いらしい。

 そして弟子であることを鼻にかけて、他の若者をバカにする奴がいると。

 その鼻っ柱をへし折っておきたい。 

 ついては先月から答えが出せない問題があるから、奴らの前で鮮やかに解いてもらいたい。

 できればアルも一緒に。


 そして先ほどのような事になったわけで。

 でも、どんな問題かは予め教えてはもらえなかった。

 解けなかったらどうするつもりだったんだろう。


「失礼ですが、ルチア姫。この計算式のようなものをどちらで学ばれましたか」

「学校ですわ」

「学校に通われていたのですか ?」


 こちらでは貴族の女性が学校に通うのは、家にお金がないからだと思われているそうだ。

 普通は家庭教師を雇う。

 一流の家庭教師の報酬はかなりの額らしく、貧乏貴族には払えない。

 お金がないから無料の学校に通う。

 だから私が学校と言ったら、一瞬馬鹿にしたような顔をした。

 あ、こいつだな。

 弟子であることを鼻にかけてる奴。


「義務教育と申しまして、七つから十五まで必ず通わなければいけないのです。国民の三大義務の一つですわ」

「ほお、三大ということは三つあるのですね。どのようなものか伺っても ?」

「教育、勤労、納税です。教育を受け、その知識で働き、その対価で税を治める。義務教育は最低限これだけは修めるようにと決められたものですわ」


 先ほどの計算式は十三才の時に習ったものの応用ですのと言うと、そいつの顔がピクリと引きつる。


「その教育は国民の誰もが受けるのですか。家の仕事を手伝わなければならない子供もいるでしょう」

「先ほどの教育というのは、教育を受けなければいけないという意味ではございません。子供に教育を受けさせなければいけないという意味です。すべての親は子供を学校に通わせる義務があるのですわ。家業を理由に学校に通えないなどありえません。そして三大権利というものもあるのです」


 ネットでどう説明し、どう説得するか。

 皆さんが楽しくシナリオを作ってくれた。


「生きていく権利、政治に関わる権利、そして教育を受ける権利。義務教育の終わっていない子供を雇うことは許されません。芸能関係以外で仕事の為に休む子供はおりませんのよ」

「では、そこの侍従も同じような教育を受けたというのですか」


 その通りですと答えると、そいつはますます黒い顔になる。


「住んでいる場所が近かったので、同じ学校に通いました。どちらが先に乗法の法則九九を覚えるかで競争しましたわ。ね、カジマヤー君」

「あれは八つの時でございましたか。お嬢様が先に覚え始められたので、負けてなるものかと必死でございましたよ。懐かしゅうございますね」

 

 侍従と令嬢が同じ学校へ通い、同じような教育を受ける。

 そしてそのレベルは今の自分たちよりもはるか上。

 自分は侍従にも劣るのか。

 奴の顔が段々下を向いていく。


「あの、ルチア姫。今いない二人の侍従も同じ教育を受けているのですか」

「もちろんですわ、お兄様」


 いかにも正直者の顔をした兄弟子が手を挙げて聞いてくる。


わたくしとカジマヤーは義務教育を終えた後に国を離れましたけれど、あの二人はその後、高度の教育を七年間受けております。ですから時間のある時には二人からその先の学業を学んでおります。とても厳しい先生ですのよ。わたくし、注意されてばかりなのです」


 もっと頑張らなくては、と言っておじいちゃま先生を見ると、よくやったとウィンクしてサムズアップしてくる。

 やはりあいつだったんだね。

 自信満々だった顔が今は青白くなっている。

 今の彼は自分の根幹が崩れていくのを止めることが出来ずにいるのではないだろうか。

 賢い自分、偉い自分。選ばれた自分。

 それを己自身で否定するしかない状況。

 かなりきついだろうな。

 

わたくしはまだまだ学ばなければいけないことがたくさんありますの。どうぞお兄様方の末席に加えて下さいませ。ご一緒に切磋琢磨していけたら、とても嬉しく思いますわ」



 それからしばらく、二時間くらいだろうか。

 お茶を頂きながらおしゃべりしたり、新しい問題にチャレンジしたりとゆったり過ごした。

 お兄様たちの勧めでアルも参加した。

 アンシアちゃんは立ちっぱなしは辛いだろうと部屋の隅に椅子を用意してもらった。

 こちら夢の世界では平民は足し算と引き算が出来れば問題がないようで、アンシアちゃんの教育もそこで止まっている。

 騎士養成学校と精華女学校では加減乗除を教えるそうだが、王立魔法学園では数学の授業はなかったそうだ。

 勉強大好きな彼女はうらやましそうにしている。

 

「失礼いたします、ローエンド師」


 扉を叩いてディードリッヒ兄様が入ってきた。

 

「他の皆様がそろそろ我が主と話したいと仰せです。お返しいただいてよろしいでしょうか」

「そうか。まだ解けていない問題が一つあるのだが」


 ディードリッヒ兄様は黒板をチラリと見ると、ひょいとチョークを取り上げて答えを書いた。

 答えだけを。


「兄さん、間の式も書いてくれますか」

「カジマヤー、問題があって正解がある。間の式は馬鹿でなければすぐに導き出せるはずだ」

「カークスさん・・・」


 お兄様方はかっちり固まっている。

 おじいちゃま先生は口を押えて笑いをかみ殺している。

 お暇乞いとまごいをして部屋を辞する時にチラッと見ると、止めを刺された例のあいつは真っ白に燃え尽きていた。

 合掌。


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 文章題は有名な「ディオファントスの墓碑銘」です。

 歌もあります。

 「ディオファントス・歌」で検索すると出てきますよ。

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