第169話 閑話・彼女が彼と手をつなぐわけ

「ねえ、見た ? またお嬢様とカジマヤー君が手をつないでいたわ」

「見た見た。仲良しさんよね」


 みんな気づかないふりをしているが、ルーとアルが手をつないでいるのは屋敷内ではよく見られる風景だ。


「セバスチャン様やメラニア様にお聞きしても癖だからでおしまいだし、彼、お嬢様とどういう関係なのかしら」

「そうね、第一その癖って言うのがよくわからないのよ」


 休憩時間におしゃべりで盛り上がるのはどこの屋敷も同じ。

 特にこの春お屋敷に迎えられたお嬢様については侍女たちの噂の的だ。


「あなた方、そろそろ休憩時間はおしまいよ。次の子たちと交代しなさい」

「あ、ナラ。ちょうどいい所に来たわ。あなたなら聞いているんじゃない ? お嬢様とカジマヤー君が手をつないでいる理由」

「知らないわよ。そんなことお聞きできるわけがないじゃない」


 筆頭専属侍女も知らないのかと、侍女たちは残念がる。

 もちろん知っていてもそんなことをペラペラ話すわけはないのだが。

 と、そこへ見習メイドが現れた。


「あ、ナラさん。お嬢様が明日の夜会用のお衣装のことでお呼びでしたよ。休憩が終わったら来て下さいって仰ってました」

「そう、すぐにうかがうわ。アンシア、あなたはこのまま休憩に入りなさい」


 はいと返事をした新人を先輩メイドが取り囲む。


「アンシア、あなたなら知ってるわよね。お嬢様がカジマヤー君と手をつなぐ理由」

「ちゃっちゃと話して。使用人みんなの疑問なのよ」


 いきなり囲まれたアンシアは何を聞かれているのかすぐには理解ができない。


「あの、カジマヤー君とお嬢様が手をつなぐ理由って、あの、癖ですけど」

「そんなことはわかってるのよ。その癖がどういう理由で癖になったか知りたいの !」


 入れ替わりで休憩に入ってきた侍従たちも面白そうに耳をそばだてる。

 こういうことは知っていて損にはならない。

 主に使えるためには必要なことだ。


「そんなこと言われても、あたしが出会ったときにはもう手をつないでたし、なんでって言われても・・・あっ !」


 アンシアは思い出したと手をうった。


「兄さんたちとも話したんですけど、お嬢様は別にカジマヤー君と手をつないでるつもりじゃないみたいなんですよ」

「何それ。もしかしてご自分では手をつないでいるって気づいてらっしゃらないの ?」


 そうなんですと見習は続ける。


「兄さんたちと出会う前はカジマヤー君と二人で逃避行していたのは先輩たちもご存知でしょう ?」


 室内にいる全員がウンウンと頷く。


「その時に、一度はぐれてしまったことがあったんですって。知らない街で三日くらいお互いを探してさ迷ってたって。ようやく出会えてからはもう二度と離れ離れにならないよう手をつなぐようになったそうです、カジマヤー君が言うには」

「それは・・・手をつなぐわね」

 

 そうでしょう ? アンシアは納得してくれましたかと笑う。


「もうカジマヤー君の左手って、お嬢様にとっては安心とか癒しとかの意味があるんじゃないかと思うんですよ。こちらに来てすぐの頃は隠れるようにして手をつないでいましたし、今もちょっと握るだけでホッとしたお顔になりますしね」


 ここのところの疑問も晴れてみれば確かに『癖』だった。


「よほど心細い思いをなさったのね。」

「・・・なんだかお気の毒ね、そんな話を聞くと」

「カジマヤー君しか頼れる人がいなかったんですものね」


 まだここはお嬢様にとって心安らぐ場所ではなかったのか。

 侍女たちはお嬢様に少しでも寛いでいただけるよう、今まで以上に心をこめてお世話をしようと誓い合った。


「てな具合に説明しておきましたので、皆さんもそのつもりでいて下さい」

「たすかったよ、アンシア」

「ありがとう、アンシアちゃん」

「じゃなくて、これからはこの部屋以外での手つなぎは禁止だ。わかったな、馬鹿ップル」



『なにをするっ、この若造っ !』

「キュピーッ、ピッ !」

『黙れ、爺と言われる年ではないぞっ ! まだ生まれて四百年じゃっ !』

「キュッキュッキュッ !」

『自分はピチピチの二歳じゃとっ ! 毛皮で覆われておるくせによう言うわっ !』

「キュッビビッキュッ !」

『娘の頭は吾のものじゃっ、引っ込め、小童こわっぱっ !』


 四百歳と二歳の不毛な戦いは続く。



 ルーの朝は早い。

 起床時間は四時だ。

 目が覚めるとまずキッチンの水道を全開にする。

 夜中に滞った水を捨てて新鮮なものに変える為だ。


 軽く顔と手を洗ったら、まずはお米を研ぐ。

 毎朝四合。

 ルーのお米研ぎは少し変わっている。

 ボールにセットしたザルにお米を入れる。

 幼稚園の時に上手に水切り出来なくてこの方法にした。

 力がないから、水切りの時どうしてもお米をこぼしてしまうのだ。

 一粒のお米には七人の神様が宿るという。

 そう思うと一粒たりとも無駄にしてはならない。

 ザルを使えばお米を無駄にすることはない。

 この方法にたどり着くまで、一体何人の神様を闇に葬ったことだろう。


 最初にミネラルウォーターを注いですぐ捨てる。

 一番最初にお米が吸うのは美味しい水が良いからだ。

 次からは普通に水道水だ。

 と言っても前夜に汲み置いてカルキ抜きはすませてある。

 お米を研いで水を捨てる。

 もう一度水にさらして捨てる。

 汚れた水を吸い込まない為にだと、小学生の時にお米屋さんに教えてもらった。

 それを四五回繰り替えし、最後にお米と同量のミネラルウォーターを入れる。

 キッチンタイマーを三十分にセットして浸水させる。

 その間に身支度を整える。

 お弁当箱を人数分用意、昨日のお夕飯の残り、冷凍しておいた野菜を自然解凍。

 ここで大体五時。

 炊飯器を早炊きでスイッチを入れる。

 お弁当用のおかずを作る。

 卵焼きの味付けは塩だけ。

 これはあちら夢の世界で気に入って、それから作り始めた。

 野菜はレンジでチンして、今日は市販のドレッシングであえる。

 メインのおかずはシュウマイだ。

 昨日たくさん作ったものだ。

 この辺でご飯が炊きあがった。

 ニ三分置いてから再炊飯する。


 ルーは予約炊飯は使わない。

 なぜなら小学校一年生の時に恐ろしい体験をしたからだ。

 それは節水制限の出たとても暑い夏休みだった。

 夜、朝ごはん用にお米をセットしたルーは、明け方おかしな音を聞いた。

 ボコッ、ボコッという気味の悪い音がキッチンから響いてきたのだ。

 それは炊飯器から聞こえてきた。

 恐ろしくて恐ろしくて、炊飯器のコンセントを引き抜き、布団に戻り毛布をかぶって朝を待った。

 翌朝、さらにボコボコと音を立てる炊飯器に恐怖して、お隣のおばさんに助けを求めた。

 お隣のご夫婦と恐る恐る炊飯器を開けると、中のお米は発酵していた。

 以来、ルーはどんなに眠くても早起きしてお米を研ぐ。

 あの日の恐怖は消し去れないでいる。

 真夏には氷水を使って炊飯する。

 それくらいトラウマになる出来事だった。

 

 前日から水に漬けておいた昆布と鰹節で出汁を取る。

 ネギはレンジでチンして火を通す。

 火が通るまでグツグツしていては時間がかかる。

 絹ごし豆腐を五ミリ角に切って鍋に入れる。

 ネギと出汁を加え、味噌を溶いて御御御付おみおつけを作る。

 後は作り置きのお惣菜をテーブルに並べるだけだ。

 

 三人分のお弁当と朝食が出来る。

 六時前、洗濯機のスイッチを入れる。

 官舎住まいの時にはローカルルールがあった。

 六時前には洗濯機は回さないように。

 ルーは経験がないのだが、夜の八時を過ぎたらトイレは流さないようにという官舎もあるそうだ。

 気を使いすぎにもほどがある。

 民間のマンションに越してきて、新品の洗濯機に変えて、自由度は増えた。


 六時半。

 朝食とお弁当の支度は整った。

 両親が起きてくる。

 学生をしている両親は提出物がたくさんある。

 昨日も遅くまで作業をしていたのだろう。

 その姿があちら夢の世界のお父様と被る。


「おはようございます。お支度は済んでいます。朝ごはんを頂きましょう」


 今日も一日、良く過ごそう。

 ギルマスがいつも言っていることだ。

 ルーの一日が始まる。

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