第158話 幼女は歩いた まっすぐ まっすぐ
エイヴァンはグレイス公爵家にいた。
「どうぞ、おかけになって」
「私は侍従でございますから、このままで結構でございます」
部屋にはグレイス公爵夫人の他に近衛団長、副団長のバルドリックがいる。
ダルヴィマール侯爵邸で報告を済ませたエイヴァンは、昨日迷惑をかけたグレイス公爵夫人へのお詫びに伺ったのだが、そのまま家族の居間に案内された。
「今回あなたに来てもらったのは、エリアデル公爵夫人についてなの」
「さようでございますか」
あの夫人が何をしようが自分には関係ないと素っ気ない返事をする。
「あなた方は今の彼女しか知らないかもしれないけれど、昨年の終いの大夜会までは、それはやさしい良い人だったのよ。春になってからの彼女はまるで別人。正直あまりの変わりように戸惑っているの」
「・・・」
「その理由が知りたいのだけれど、信用できる人がいない。だから・・・」
「私はダルヴィマール侯爵家の者でございます。こちら様のご事情に入り込むことはいたしかねます」
部屋を沈黙が包む。
「お話は以上でございましょうか。それでは私はこれで失礼させていただきます」
「待って。私は『スケルシュ』ではなく、『エイヴァン』に頼みたいの」
帰りかけたエイヴァンの足が止まる。
「息子に相談したら、貴族と平民、両方で動けるのはあなたくらいだろうと言ったわ。近衛騎士団長の依子貴族の中にはそういった後ろの仕事が出来るような者はいないのよ。清廉潔白を求められるから。別に汚れ仕事をしろと言っているのではないの。ただ、情報が欲しいのよ。その後のことはこちらでなんとかするわ」
エイヴァンは部屋の中にいる者たちを確認する。
公爵一家を除けば家令と侍女頭。
本来このような場にいる者ではない。
「彼らの口は・・・」
「固いわ。だからここにいてもらったの」
「正式な依頼ということでよろしいでしょうか」
「もちろん。報酬は弾むわ」
諦めたように肩をすくめると、エイヴァンは右手を高く上げる。
足元から立ち上がった光の渦が彼を包んで、それが消えた時、そこには冒険者姿の男がいた。
「では話を聞かせてもらおうか」
◎
その日シジル地区では朝から大騒ぎになっていた。
「ルチア姫がお倒れに・・・」
「やっぱり貴族社会は・・・」
小さな少女は店先で交わされる言葉に、自分の大好きなお姫様が大変な病気になったと理解した。
「おひめさま・・・」
そうだ、お見舞いにいこう。
店の中を見回すと、紫色の薔薇を見つけた。
とても珍しくて一輪しか手に入らなかったと父が言っていた。
お姫様の銀色の髪にきっと似合う。
シジル地区と王都を分ける門。
いつもはここを通る人はほとんどいない。
少女はそこを小走りに通り抜ける。
見つかったら連れ戻されるのだが、運よく抜けられたようだ。
そこからは大人の人に道を聞いてお屋敷を目指す。
「ルチアひめさまのおうちにいきたいの」
「ごびょうきなの。おはなあげたいの」
ある人は方向を教えてくれた。
またある人は途中まで馬車に乗せてくれた。
嘘を教えられているかもとか、攫われるかもといったことは一切頭になく、大人は子供を助けてくれると信じきって進む。
城下町と貴族街を隔てる門。
そこを何の躊躇することもなくすり抜ける。
そして会う人会う人に聞いてまわる。
「ルチアひめさまのおうちはどこ ?」
「おだいじにっていうの」
いかにも平民の女の子が貴族街をルチア姫を探して歩いている。
すぐさま噂になり、宰相家と王宮へと知らせが飛んだ。
そんなこととは知らずに幼女はトコトコ歩く。
その後ろを少し離れて各家の使用人たちがゾロゾロついていく。
心配した貴族たちが少女を見守るように命じたのだ。
なんとも奇妙な行列が大通りを進んでいく。
やがて少女は大きな広場に出た。
自分の知っている広場よりはるかに大きい。
ぐるっと見回すと、自分のことを見ているたくさんの大人に気がついた。
◎
ダルヴィマール侯爵夫人は王宮に向かっていた。
昨日帰宅しなかった夫に、娘のことを伝える為だ。
門を出てしばらくすると、前から王家の馬が走ってきた。
「馬上から失礼いたします。王宮から至急の連絡でございます」
馬車のカーテンが開けられる。
「平民と思しき幼子が、ルチア姫を探して貴族街をさまよっているとの報告がありました。いかがなさいますか」
「いかが、とは ?」
「こちらで保護して家に帰してもよろしいのですが」
侯爵夫人は扇子で口元を隠してしばし考えていたが、その幼子のいる場所に馬車を進めるように命じた。
◎
広場の真ん中で幼女が号泣している。
周りの大人たちが泣き止まそうと声をかけるのだが、怯えてしまって何も聞こえないようだ。
使用人たちや話を聞きつけて集まった貴族たちや騎士たち。
大の大人たちがなす術もなくうろたえている。
「まあまあ、どうしたことです。こんなに集まって囲まれたら、子供でなくても恐ろしいというもの。少し離れておあげなさい」
優しい声とともに現れたのは宰相夫人だった。
「自分の三倍の高さから声をかけられても怯えるだけですよ。子供の扱い方を少し覚えなさい」
そう言うと夫人は地面にしゃがみこみ、泣いている幼女の頭を撫でた。
「こんにちは。お名前を教えて ?」
少女は泣くのを止めて夫人の顔を見る。
「・・・ルールー・・・」
「ルールーちゃん。かわいいお名前ね。うちの子の名前はルチアというの。似ているわね」
ルチア、ひめさま ?
「おばちゃん、ルチアひめさまのおかあさん ?」
周りがザワっとする。
おばちゃん、よりによって侯爵夫人に対しておばちゃん。
確かまだ三十路になったばかりなのにおばちゃん。
「ええ、そうよ。おばちゃんはルチアのお母さんよ」
おばちゃんと呼ばれても微動だにしない夫人に集まった者たちはホッとする。
幼子は大事に抱えていた紙包みを侯爵夫人に差し出す。
「これ、おひめさまにあげるの」
夫人がその包みを開けると・・・。
「まあ、これは」
「なんて見事な薔薇」
「見たことのない色。素晴らしいわ」
大輪の、紫の薔薇に感嘆の声が上がる。
「ごびょうきだってアンシアおねえちゃんがいってたの。おみまいするの」
「これをルチアに・・・なんて美しいの。わざわざ届けに来てくれたのね。ありがとう」
包みなおして少し濡れているのに気が付く。
「切り口に濡れたハンカチ。ちゃんとした包み方を知っているのね」
「うん、おとうさん、おはなやさん」
少女がやっと笑顔になる。
侍女が差し出した濡れ布巾でその顔を拭いてやる。
「お父さんにはちゃんと断ってきたのかしら」
「・・・」
「黙って持ってきたのね。いけない子」
護衛の騎士を呼んでその薔薇を手渡す。
「急いで持ち帰ってちょうだい。メラニアに渡せば後はちゃんとしてくれるから」
「おひめさまにわたせないの ?」
少女が不安そうな顔をする。
「ごめんね。ルチアは今とても具合が悪いの。おばちゃんも会うのを我慢しているのよ。でも目が覚めたら一番先に見られるよう、お布団の横に飾っておくわね」
「わかった。じゃ、バイバイ、おばちゃん」
幼子はクルッと踵を返して帰ろうとする。
「ちょっと待って、ルールーちゃん。お家はどこなの ? アンシアって言ってたけれど・・・まさか、あなた、シジル地区から来たの ?」
「うん、ルールーのおうち、アンシアおねえちゃんのおみせのとなりなの」
サラッと言うが、シジル地区から貴族街までかなりの距離がある。
この年でたった一人でここまで来たのだろうか。
「ルールーちゃん、お家を出たのはいつ頃かしら」
「えっとね、おみせがあいてすぐ」
花屋の開く時間は早い。
朝の掃除と共に花を活け替えるからだ。
今はもうお昼をかなりすぎた頃。
この子は昼食も食べずにここまで歩いて来たのだろうか。
「わかったわ。あのね、お父さんに黙ってお花を持ち出したのよね。お母さんには出かけるってお話したかしら」
「・・・」
「きっとお母さんもお父さんも心配していると思うのよ。帰ったらきっと・・・」
「おこられる・・・おこられちゃう ! おしりペンペンされちゃうっ !」
今さらそれに気が付いて、幼女は急いで帰ろうとする。それを引き留めて手を握り顔を覗き込んで笑いかける侯爵夫人。
「そうよねえ。きっと怒られちゃうわね。でも、大丈夫。おばちゃんも一緒に怒られてあげる」
「いっしょに ?」
カタカタという音がして、公爵家の馬車が近くに止まる。
「ルチアのためにここまで来てくれたんだもの。一緒にごめんなさいしましょうね。そしたらきっとお父さんもお母さんも許してくれるわ。いかが ?」
「・・・わかった。ちゃんとあやまる」
夫人は少女の体を回して周りの人たちを見せる。
「このお兄さんとお姉さんはルールーちゃんが一人で歩いていたから、心配で着いてきてくれたの。さあ、こんな時、なんて言う ?」
「えーっと、えっと、どーもありがとー」
ルールーがペコリと頭を下げる。
周りの空気が和む。
「じゃあ、おばちゃんと一緒にお馬車に乗りましょうね」
「うんっ !」
侯爵夫人が少女を抱き上げ、馬車の中の侍女に渡す。
侍従の手を借りて自分も馬車に乗り込むと、扉を閉める前にその場の者たちに声をかけた。
「皆さん、私の娘を思う幼子に心を向けて下さってありがとう。後ほど当家の者にお礼に向かわせます。本当にありがとう」
チリンと鐘がなって馬車が走り出す。
広場にいた者は頭を下げてそれを見送る。
これから屋敷に戻り主に説明するのだ。
悪の巣窟と言われるシジル地区から、たった一人おみまいに駆け付けた幼女のこと。
ダルヴィマール侯爵家のルチア姫が重篤な病にかかっていること。
グレイス公爵夫人がお茶会の力で広めようとしたことは、たった一人の幼子の手でなされてしまった。
その日の夕方には、王都中の人々がルチア姫重体を知る事となった。
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