第157話 ルーの容態とアンシアの不安

 朝まだき、一台の馬車が城下町の家の前で止まる。


「よく来たね。さ、中へ」


 馬車から数名が降りてきて、それぞれ荷物を抱えて家の中に入っていく。

 それを見届けてから馬車は去っていった。


「可哀そうに。こんなに・・・」


 ベッドに横たわり苦し気に喘ぐ少女を見下ろし、ギルマスが悲し気に首を振る。


「ギルマスの見立てはいかがですか。やはり・・・」

「お待たせしました。もらってきましたよ、ギルマス」


 大き目のフードを着たアルが箱を抱えて入ってきた。


「顔は見られなかっただろうね」

「大丈夫です」


 恩を売って後で勧誘されると面倒だから、決して素性は明かさないように。

 そう言って本来無料で提供される聖水に多額の喜捨をした。

 

「本当にこれだけで大丈夫なんですか。ルーは治るんでしょうか」

「ああ、大丈夫だ。理由がわかればとても簡単なことだよ」


 さあ、始めようと、ギルマスは聖水を瓶から小皿へと移す。

 そして小声で何か唱えると、小皿から少量の聖水をルーの額に落とした。

 ルーに変化はない。

 

「さあ、飲みなさい、ルー。しっかり全部飲むんだ」


 ギルマスはルーを抱き起すと、その口に聖水の入った小皿を当てる。

 ルーがゆっくり全部飲み干した時だった。

 彼女の聖水で濡れた額から、真っ黒な大きな霧の塊が噴き出た。


「やはり、そうだったね」


 部屋の天井をウロウロするその塊はどこか行き場を探しているように見える。


「君たちも、念のため同じようにしてごらん。額に聖水を塗ってから飲み干すんだ」


 冒険者たちは顔を見合わせ、意を決したように一気に聖水をあおる。

 すると彼らの額から、先程の物よりかなり小さい霧が現れた。

 四つのそれは大きな塊に合流する。


「では、仕上げだ。さあ、お前のご主人の元へ帰りなさい」


 ギルマスが窓を大きく開ける。

 黒い霧はユラユラと外へ出ていく。

 そして二つに分裂すると、貴族街へとゆっくりと飛んでいった。


「・・・ギルマス・・・」

「ルーっ !」

「お姉さまっ !」


 少し頬に赤みを戻したルーが小さく声をあげた。


「よくがんばったね。辛かったろう。もう大丈夫。明日の朝には元のルーだ」

「ありがとうございます・・・ギルマス」


 後で食事を持ってくるから、ゆっくり休むように言って、ギルマスは全員をその部屋から連れ出した。



「ギルマス、さっきの黒い霧はなんですか。ルーに何が起きていたんですか」

「ああ、あれはね、呪いだよ。今はもう忘れ去られたね」

「呪いなんて、まだあったんですか」


 ギルマスの若い頃にはまだ呪いが普通に使われていたという。

 だが、結局のところ効率が悪く、失敗したときのデメリットを考えると権謀術数や実力行使のほうが確実だとして廃れていったという。

 そして人を呪わば穴二つ。

 呪いは失敗すれば自分にかえる。


「この呪いのたちの悪いところは、誰かを媒介にして呪うところだよ。本当に呪った人間は表舞台にはでない。間に入った人間だけが失敗したときには倍返しにあうのさ」

「霧が二つに分かれたのは ?」


 ギルマスがニッコリ笑う。


「普通に呪いをとけば媒介者にだけ跳ね返るけれど、私の知っている方法だと二倍になった呪いは術者と両方に返るのさ。今頃ルーと同じくらい体調を崩しているはずだよ」


 体調不良の理由がわからず慌てているだろうね。これという人物を調べてごらん。

 ギルマスの知識の底知れなさにゾっとする。


「何を言っているんだね。普通に冒険者をしていて知ったことばかりだよ。昔は当たり前だったことが今では未知のものになっている。だからこそ呪いを使ったのだろうけれど、そんなものは聖水一本あれば簡単に解呪出来るんだ。無料の聖水でね。廃れていったのも当り前さ。何を今さらという感じだね」

「ところで媒介者というのはどうやって選ばれるんですか」


 エイヴァンが多分彼女だろうとあたりをつけているご婦人を頭に浮かべる。


たちが悪いと言ったのはね。この呪いはまず媒介者を陥れるところから始めるんだ。時間をかけて対象者への悪意を育んでいく。本人が気づかぬ間に染め上げていって、ある日突然爆発させるんだ。そして対象者と顔をあわすたびに無意識に呪いの芽を植え付けていく。ある日ルーのように突然呪いが発動して倒れてしまう。解呪できなければそのまま死にいたる。媒介者もまた闇に飲まれて自ら死を選ぶ。術者は知らぬ存ぜぬだ」


 さかのぼる事数時間前。

 あちらのネットではこんな会話が交わされていた。


アル・ルーが搬送されました。

ギルマス・何があったんだね。

ア・あちら夢の世界と同じ症状です。体が重くて力が入らない。起き上がれなくて救急車で運ばれました。

ギ・あちら夢の世界と同じ ? こちら現実世界でかい ?

ア・ルーのご両親が研修旅行でお留守なので、僕の家族が代わりに付き添っています。今精密検査中です。

ギ・多分、診断結果はこちらと同じで健康体と出るのだろうね。うーん、なんだか覚えがあるよ。

ア・本当ですか。

ギ・十中八九間違いないと思うよ。明日、ルーを連れてくるときに教会によって聖水をもらってきておくれ。君たちの分もだよ。お布施は弾んでおくんだよ。


 こちら夢の世界で体調を崩しても一晩すればなおる。

 あちら現実世界で重傷を負ってもこちら夢の世界ではピンピンしている。

 こちら夢の世界でもあちら現実世界でも同じ症状ということは、体ではなく魂に何かされたということになる。

 となれば状況証拠からやられたことはただひとつ。


「残念なのは呪い返しの効果が一週間くらいしか持たないことかな。呪い本体と同じ効果はないんだよ。それでも十分きついとは思うがね」

「・・・ギルマス、もしかして怒ってます ?」


 当たり前じゃないか、とギルマスはさわやかな笑顔で応える。


「じゃあ、しばらくはこの家で楽しく過ごしてくれたまえ。アンシアはシジル地区の実家に帰っていなさい。ルチアお嬢様が倒れられたからとちゃんと説明しておくんだよ」

「わかりました。あの、ギルマス、ちょっとご相談したいことがあるんですけれど・・・」

「私にかい ?」



 エイヴァンは侯爵邸に現状を報告しに戻った。

 ディードリッヒとアルは台所で朝食を作っている。

 アンシアは応接間でギルマスと向き合っていた。


「あたし、昨日の夜見ちゃった、いえ、見えなかったんです」

「何をだい ?」

「お姉さまたちです」


 昨夜アンシアはルーを心配するあまり、夜中に部屋を抜け出してルーの様子を見に行った。

 しかしそこには空っぽのベッドがあるだけで、ルーの姿はどこにもなかった。

 布団はこんもりとさっきまで誰かが寝ていた様子だ。


「あたし、ナラさんに相談しようとお部屋を訪ねたんです。そしたら・・・」


 ナラの部屋もおなじようだった。

 召使たちは在室中はカギをかけてはいけない決まりになっている。

 だからこその無断入室だったが、アルの部屋もディードリッヒの部屋もエイヴァンの部屋も同じような状態だった。

 他の召使たちはちゃんとベッドに寝ていた。


「もう一度お姉さまのお部屋に行ったら、今度はちゃんとお布団の中にいました。でも、急にぼやけて消えて、また現れてって、あたし、怖くなって自分の部屋に戻ったんですけど、あれって一体・・・」

「アンシア・・・」


 ・・・見られたのか、あれを。

 さて、どうごまかすか。


「アンシア、君が見たものが何なのか私にはわからない」

「ギルマス・・・」

「だが、人には誰しも秘密にしたいことがあるし、触れられたくないこともある。それはわかるね ?」


 アンシアは黙って頷く。


「いつか理由を話してくれるかもしれないし、このままずっと黙っているかもしれない。でもそれは君を巻き込みたくないからかもしれない」

「ギルマス、あたしは・・・」

「これは私と君の胸に閉まっておこう。疑心暗鬼になるよりも、忘れていた方がいいこともある。今は彼らを信じてルーの回復を優先させるんだ。わかったね ?」


 わかりましたと言ってアンシアは実家に帰って行った。

 誤魔化しきれただろうか。    

 どこかで彼らに問い詰めたりしないだろうか。

 これはベナンダンティ全体に知らしめる必要がある。

 街はやっと動き出し始めている。

 アルとディードリッヒが朝食が出来たと呼びに来る。

 また新しい日が始まる。

 もう終わったと思った自分の冒険者人生。

 まだまだしなければならないことが残っているようだ。

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