第155話 ルーの鬼の霍乱

 ルチア姫、倒れる。

 その一報にグレイス公爵夫人の刺繍の会に集まっていたご婦人方はざわめいた。


「一体何があったのです。容態はいかがなのです」

「姫をお玄関までお送りいたしましてあちらにご挨拶をして戻ろうとしましたところ、突然ルチア姫が倒れられたのです。近侍がすぐにお部屋へと運ばれましたので、詳しいご事情は存じ上げません。他家の者がいてもご迷惑になるだけ。急ぎ辞してまいりました」


 ダルヴィマール侯爵家の家令からは、改めてご報告に伺うとの言付けがあったと言う。


「アンシアちゃんの様子はどうでしたか。取り乱してはいませんでしたか」

「アンシア様には一瞬お声が上がりましたが、すぐに落ち着かれて自分にはお送りしましたことのお礼を、奥方様にはお騒がせしたことのお詫びとお気遣いへの感謝をお伝えいただきたいとのお言葉をいただきました。そしてすぐにルチア姫のお傍に向かわれました」

「そう、さすが、息子あの子の選んだ子だわ」


 アンシアちゃんは他家のメイド見習いと同等には扱わないように。

 当家の次期女主人という心持こころもちでいるように。

 屋敷の者にはそう伝えてある。

 そして屋敷の者もそう心得ている。

 元気いっぱいで愛嬌があり、目端が効いてよく動く少女は人気者である。

 時々現れる当主を『エロ爺』と呼んで逃げ回っていることも知られている。

 そんな場面を見ると、使用人たちは面白がって率先して逃げ道を作るのだ。

 そんな少女が主と慕う侯爵令嬢への態度。

 あのご婦人はグレイス公爵家の使用人を敵に回した。


「公爵夫人、ルチア様はご無事でしょうか」

「お顔が真っ青でいらしたわ。お命に関わるようなことがあったら・・・」


 集まった令嬢方が不安そうにしている。

 いつも凛としているダルヴィマール侯爵令嬢の初めてみせる心弱い姿に動揺もしていた。


「皆さん、忘れていらっしゃるようですけれど、ルチアさんはこの春の新成人ですよ。新成人と言えば来年の春まで庇護されてしかるべき方々。あのような扱いをされるべきではありません」

「仰る通りです」

「あまりに酷い所業ですわ」

「ルチア様があまりにご立派なので忘れておりました」


 グレイス公爵夫人は扇子をパチンと閉じて集まった依子の御婦人方に言う。


「本日、ルチアさんが倒れたことを出会う方々にお話してください。ただし、何があったかは言わず」

「エリアデル公爵夫人のことは話題に出さずにでしょうか」

「本日の集いの後、ルチアさんがご自宅で倒れた。それだけでよいでしょう。何があったかは聞いた方が勝手に考えて下さいますよ。こちらから一切話してはなりません」


 成人したばかりの少女にたった一人のいくさをさせてしまった。

 波風立たぬようにという配慮が逆に悪い方に向かっている。

 そろそろ上位の者として正さなければならない。

 宗秩省そうちつしょう総裁には申し訳ないが、ここからは徹底的にやらせてもらおう。

 それと同時に、公爵夫人の変わりようについても調べておかなければならない。

 どなたと連携を取ればいいのか。

 よく考えなければなるまい。

 慌ただしい終わり方だが、とにかく今日の集いの幕を引いた。



 エイヴァンはルーの執務机に座って報告を受けていた。

 本来ルーが手紙を書いたりするためにあるのだが、すっかりエイヴァンのものになっている。

 かわいい便せんや封筒、封蝋などが入っているべき引き出しには、騎士たちから提出された報告書が詰まっている。


「素晴らしいな。これだけの期間でよくここまで調べた」

「恐れ入ります」


 ゴール男爵の侍従についてかなり詳しく報告されている。

 後は日常的な動きについて知りたいところだが、こちらは誰かが密着しなければいけない。

 現在エイヴァンのために動いている騎士たちは、非番と勤務後の者たちで構成されている。

 日頃の騎士活動に支障がないということで自由な行動を許されている。

 それ以上の活動となるとすこしばかり難しい。


「もう少しシフトを考えるか新人を育成するか」


 ドンドンドンと叩かれる。

 騎士の一人が扉を開けるとアルが飛び込んできた。


「どうした、カジマヤー」

「兄さん、ル、チアお嬢様がっ !」


 アルを押しのけてナラが入ってきて、居間を通り抜け寝室のドアを開ける。


「カークスさん、早くこちらへっ !」


 現れたディードリッヒはグッタリとしたルーを抱きかかえている。

 本来ご婦人の寝室には侍従は入ることが出来ない。

 しかし今は緊急事態だ。


「お嬢さまっ !」


 真っ青な顔のアンシアが駆け込んでくる。 


「アンシア ! 手伝って、急いで !」

「はいっ !」

 

 寝室の扉が閉じられる。

 

「何があった、アル」


 寝室から戻ってきたディードリッヒとアルから簡単に説明を受ける。

 その内容にエイヴァンは微かな違和感を感じた。


「お嬢さまのお支度が整いました。近侍の皆さんをお呼びです。寝室の入り口までいらして下さい」


 ナラが近侍を呼び寄せる。

 ルーは髪を解かれ夜着に着替えさせられている。

 ナラはアンシアからドレスを受け取り衣装室へと出ていく。


「ルチアちゃんが倒れたのですって ?!」


 お方様が駆け付けルーの元に寄る。


「お、母様・・・体・・・が重い・・・のです・・・」


 ルーの声が切れ切れに聞こえてくる。


「なに・・・かくろ・・・が・・・って・・・」

「黙って。あなたは良く戦ったわ。今お医者様が来ますからね」


 アンシアとお方様を置いて居間へと下がる。

 しばらくすると御典医がやってきた。


「何があったの、ディードリッヒ。かなりヤバイ状況じゃないの」

「お茶会の途中までは普通だったんですが、例のご婦人がいらしてから急に演技が出来なくなったんですよ。ご婦人自体はグレイス公爵夫人が撃退してくださったんですが」


 公爵家の馬車で送られるということで、屋敷にたどり着くまでは気を張っていた。 

 しかし屋内に入ると緊張の糸が切れたのか崩れ落ちてしまった。

 こちらに顕現したままということは意識はあるということだろう。

 

「おかしいな。ルーは悪意には慣れているはずだ。今までだって何を言われても天然を装ってスルーしていただろう。何故今日に限ってこんなことになった」

「アンシアを罵られたと言っても、いつものことです。特に今日が酷かったというわけでもありません。いえ、いつもより少なかったくらいでした」


 到着早々グレイス公爵夫人に追い出されたので、軽いジャブ程度のやり取りすらしていない。


「ルーは家族を守れなかったって言ってたけど・・・」


 アルが悔しそうに言う。


「僕だってルーを守れなかった !」

「言うな、アル。あの場では仕方なかった」

「でもっ ! あんなに辛そうで、気を失うこともできないなんてっ !」


 カチャッと音がして寝室からお方様と御典医が出てきた。


「いかがでしたか、先生」

「お嬢様のお具合は」


 御典医は困ったように言う。


「どこも悪いところはございません。健康体でいらっしゃいます」

「そんな、あんなに苦しそうなのに !」 


 そう言われてもと御典医は首をふる。


「色々とあったとは噂では聞いております。これは心労から来るものではないかと拝察いたします。しばらく静かにお過ごしになるのがよろしいかと」


 心労 ? 本当にそれだけか ? ベナンダンティたちは顔を見合わせた。

 それでは自分はこれでと御典医は戻っていく。

 

「どうしましょう。もし心の問題であれば、ここにいても休まることはないわ」


 沈黙を破ってお方様が声を出した。


「暮らし慣れたヒルデブランドに行くのがいいのでしょうけれど、いくらなんでも遠すぎるわ。これ以上あの子に負担はかけたくありません」

「あの、お方様」


 寝室からでてきたアンシアが言う。


「ヒルデブランドのギルドマスターが城下町に滞在しています。そちらにお預かりいただくのはいかがでしょうか」

「そうか、ギルマスの。気心も知れているし、確かにあそこなら・・・」

「僕、私がすぐにあちらのご都合を伺ってまいります」

「お願いするわ、カジマヤー。ナラ、アンシア、ルチアちゃんの支度をお願い。わたくしはお呼ばれされているお家にお断りの手紙を書きますからね」


 あの女、ぬっころすっ !


 誰かの声が小さく響く。

 まだ日が沈み切る前、アルによってギルマスから受け入れる旨の返事が届き、明日の早朝に移動が決まった。

 


 深夜。

 寝間着の上にショールを羽織り、アンシアは一人ルーの部屋へ向かった。

 しっかり休まないといざという時に役に立たない。

 そう言われても、どうしても大切なお姉さまのことが気になって仕方なかった。

 そっとドアを開けて中に入る。

 いつもなら中からカギがかかっているのだが、ルーが寝込んでいるので施錠する人がいない。

 静かにベッドに向かう。

 少し顔を見るだけでいい。

 そうしたら帰ろう。


「お姉さま・・・」


 そこには空のベッドがあった。

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