第132話 脳内筋肉族はいらない
酔っ払い男爵の乱入から下賤な話になってしまったが、暗い空気をアルのピアノが払拭してくれた。
ヴィノさんも明るい曲で会場を盛り上げてくれる。
「マメルダさん、ごきげんよう」
「ルチア様、先程は・・・」
私は指を口にあててナイショのポーズをする。
マメルダさんもあっという顔をして、同じようにナイショのポーズをする。
「はしたないと言われましたけれど、扉の隙間からあなたのお歌を聞かせていただいたわ。とてもきれいな優しいお声ね」
「そんな。ルチア様こそ、素晴らしい踊りでした。胸が締め付けられるような気持ちでした」
「まったくすばらしかったですよ、お嬢さん」
マメルダさんの後ろから低いが良く通る声が聞こえた。
「初めまして、お嬢さん。グレイスと申します」
「グレイス公爵様・・・」
マメルダさんが背の高い初老の男性を見上げてつぶやく。
私が軽く膝を折り自己紹介すると、あなたのことを知らない人はいませんよと言われて赤面する。
「ザヴェリオ伯爵家は私の依子でしてな。お祝いを言おうと思ってきたのだが、ちょうどあなたがいてよかった。マメルダさんとはお知り合いですか」
「先ほどお友達になりましたの。こちらには同じ年頃のお友達がいませんから、心細かったのです。マメルダさんとお知り合いになれてとても嬉しく思っております」
そう言うとマメルダさんは「私のほうこそ」と微笑んでくれる。
「あの勇ましい立ち合いの後の繊細な踊り。私は大切にしていた軍馬が息を引き取ったときのことを思い出して、つい涙を流してしまいましたよ」
「恐れ入ります。あれは年老いた白鳥が死ぬ間際まで空を目指すという踊りです。本来、
いやいや、美しい踊りでしたと公爵様は言ってくださるが、やはり
つか、二度と踊りたくない。
「ところで、一つよろしいですかな ?」
「はい ?」
公爵様がにっこり笑う。
と、いきなり振りかぶった腕が振り下ろされた。
「お嬢様っ !」
体は条件反射で動く。
気が付くとグレイス公爵様は床に大の字になっていて、兄様たちとアンシアちゃん、楽団のところにいたはずのアルとジェノさんまで、公爵様を踏みつけようと片足を上げていた。
「あー、そこのお嬢ちゃん、足を下ろしてくれんかね。その、目のやり場にこまるんだが」
「大丈夫です。ちゃんと見せパン履いてます」
「そういう問題では・・。ピアノの少年、なぜ眉間にかかとを合わせているのかな」
「苦しむことなくあの世にいけるようにですが」
「いやいやいや、まだこの世に残っていたいのだが。というか、なぜ全員的確に急所をねらっているのかね」
「親父殿っ !」
人垣の中からグレイス副団長が姿を現す。
そういえばこの方の息子さんだったっけ。
「皆さん、引いてください」
そう声をかけると全員スッと私の後ろに控える。
グレイス副団長が公爵様の手を取って立ち上がらせる。
「一体何をしているのだ、親父殿。ここは訓練場ではないぞ」
「いやあ、お前があまりに簡単に転がされたのを見てな、私もぜひ味わってみたくなって」
「時と場所というものがあるだろう。姫、私の馬鹿な親が大変失礼しました。お怪我はございませんか」
子が子なら親も親。
「
「いや、それは・・・」
「こちらには成人の儀の後、たくさんの方との出会いがあると楽しみにしておりましたが、不本意ながら悪目立ちをしてしまったようです」
「・・・」
「暴れるしか能のない娘よと思われては、恩あるご老公様に申し訳がたちません」
公爵様親子が顔を青くしている。
「これ以上ここにいては評判を落とすだけ。今宵はこれにて失礼させていただきとうございます」
「ルチア姫 !」
打掛の袖でそっと涙を拭う振りをしながら、あらかじめ仕込んでおいた濡れた綿で目元を濡らす。
ヴィノさんが楽器を取りに行き、アルが御前とお方様のところに退出を知らせに行く。
「ルチア様、帰ってしてまわれるのですか」
「マメルダさん、もう少しお話がしたかったのですけれど、こんな様では養父母に恥をかかせてしまいます」
「そんな・・・ルチア様のせいではありませんわ」
アルとヴィノさんが支度を終えて戻ってくる。
アンシアちゃんはグレイス公爵様にハンカチを渡して何か話しかけている。
「マメルダさんのご両親にもご挨拶したかったのですけれど、次の機会にさせていただくわ。ご連絡差し上げてもよろしいかしら」
「もちろんです。お待ちしておりますわ」
エイヴァン兄様に促されてその場を後にする。
あくまで不本意で、せっかくのお披露目の、初めての夜会に、もっといたかったというように、少しうつむいて少しだけ目の端に涙をためて。
でも、心の中ではラッキー、お家に帰れるぜいっ、とルンルンな気分で王宮を後にした。
◎
「親父殿、今日ほどあんたの息子であることを恥ずかしいと思ったことはない」
グレイス副団長はハンカチで汗を拭く父親にあきれ返ったように言う。
「今日の事はすぐに瓦版屋に面白おかしく伝わるだろう。何を書かれるかわからない。姫の評判を落とすわけには・・・親父殿 ?」
「いや、まいった・・・」
息子は父親の顔色があまりよくないのに気が付いた。
「どうした、親父殿。打ちどころが悪かったか」
「強いのはルチア姫と近侍たちだけだと思っていたが、あの小娘もなかなか」
これでお顔を拭いて下さいとハンカチを渡されたとき、メイドの少女が顔を近づけてこう言った。
「次また同じことをしたら、
全員の連携の見事さ。
侍従でありながら、多分全員が近衛の誰よりも強い腕をもつ。
見習メイドでさえ背筋が寒くなるような殺気を放つ。
宰相家はどういう人間を身内に引き込んだのか。
「すまんが瓦版屋たちに連絡を取って、ルチア姫のことは極力書くなと伝えてくれ。多少金がかかってもいい。姫のお召し物と芸披露のことくらいはいいが、他のご令嬢のことも万遍なく書くように情報を渡せ」
「・・・わかった。礼金はあんたの小遣いからでいいんだな」
懐は痛いが仕方がない。自分で蒔いた種だ。
彼らには一度近衛の隊舎に来てもらおう。
宰相の思惑も少しはわかるかも知れない。
春の大夜会はまだまだ始まったばかりだった。
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