第129話 ある伯爵令嬢の不運
いやあ、疲れた。
おすまし、めちゃくちゃ疲れた。
入場から口上、退場まで、製作委員会の皆様のシナリオ通りに進む・・・はずだった。
が、途中でなにやら暴漢が乱入。
ディードリッヒ兄様渾身の刺繍が踏みつぶされたのを見て、つい怒りで体が動いてしまった。
あそこでエイヴァン兄様が槍を投げてくれなければ、もう二三人転がしていたと思うけど、槍とどっちがよかったんだろう。
自分で倒したものは責任持って牢に入れてきたけれど・・・。
「あのやり方でよかったでしょうか」
「よろしかったと思いますよ。ドッキリがあったのは想定外でしたが、しっかり印象づけられたと思います」
エイヴァン兄様が侍従として返事をしてくれる。
王宮内では誰がどこで耳目をそばだてているかわからない。
後々どんな難癖をつけられるか。
極力敵は作らないように。
お方様からはそう言われてはいるが、養女という段階で大分
謁見の間に入場したときの低位貴族のご婦人方の視線でそれがわかった。
あ・ら・さ・が・し。
ここのところずーっとロイヤルな方のニュースやらドキュメンタリー番組とか見まくってきたから、あの気品と自愛に満ちた眼差しと対極にあるものの区別がつくようになった。
私はこれから、妬みや嫉み。悪意の塊の中に入っていかなければならない。
しかし、そこに兄様たちやアルやアンシアちゃんはいない。
一人で戦うしかない。
不安しかないけれど・・・。
牢屋を出る前、私はこっそりアルの手に触れた。
アルはちょっとビックリしたようだけど、打掛の袖に隠してギュっと握り返してくれた。
元気が出た。
もうひと頑張りしよう。
◎
私はイライラしていた。
私は今年成人を迎える伯爵令嬢の中でも一番上、何年も前から筆頭成人令嬢と言われていた。
それが年明けくらいだっただろうか。
宰相が養女を迎え、筆頭はそちらになるという連絡が王宮からあった。
予定していたものが全て無駄。
控室も筆頭であれば個室であったのに、男爵家や子爵家の娘と一緒の大部屋。
さすがに挨拶は低位貴族とは違い個別ではあったものの、いわゆる有象無象の一人でしかない。
それでも、そのご令嬢が噂の半分以下のお方であればまだ救いがあったものを。
「ルチア・メタトローナ・バラ・ダルヴィマールでございます」
お披露目の終わった少女たちは玉座の左右に分かれて立ち、次の令嬢を迎える。
最前列に並んでこちらに向かってくる侯爵令嬢を見た時、負けたと思った。
歩く姿から、もう際立っていた。
白銀の髪と吸い込まれるような大きな緑の目。
美しく、愛らしく、品のある容姿。
堂々とした口上。
そして悪漢を
格の違いをまざまざと見せつけられた。
今年の社交界はこの方を中心にまわる。
自分のような親の爵位以外にとりえのない娘は見向きもされないだろう。
「もう、帰りたい・・・」
体調不良を理由に帰宅させてもらおう。
そう思ってクルっと振り向いたら、後ろを歩いていた王宮の侍女とぶつかった。
「も、申し訳ございませんっ !」
床にはトレイとワイングラスが落ちている。
自分の真っ白なドレスに赤い染みが広がっていくのを、なぜかじっと見ていた。
ああ、これで芸披露に出なくてすむ。
なんだかホッとした自分がいる。
「どうなさいましたか ?」
ハッとして顔を上げると、膝をつく侍女の向こうにあの侯爵令嬢がいた。
「これは・・・お困りですね」
彼女の侍従たちが床のトレイとグラスを拾う。
足をニュッと出したメイドがご令嬢に耳打ちをする。
「あなたはそれを片付けて下さい。上の方に報告もわすれないように」
「は、はいっ !」
「ここは
王宮侍女がトレイを持って急いで下がっていく。
私は自分のドレスがワインで汚れただけではなく、トレイの装飾が引っかかったのか破れているのに気付いた。
もう、芸披露には出られない。
筆頭でなくても自分を見てもらえればいい。
そう思ってたくさん練習してきたのに。
先ほどまで出なくて済むとホッとしていたというのに、なんてわがままな自分。
男爵家の人たちはもう会場に行っている。
子爵家の人たちも次の出番でいない。
ここにいるのは伯爵家の娘たちだけ。
お気の毒な。
そんな目で見ているのがわかる。
泣きたい気持ちを堪えて平静を装うが、この先どうしていいかわからない。
「ご迷惑でなければ、お手伝いさせていただけますか」
優しい声が近づいてくる。
「
「マ、マメルダと申します。ザヴェリオ伯爵家の長女です」
絞り出すように名乗りを上げるが、声は小さくかすれてしまう。
挨拶一つまともにできない。
顔がどんどんしたを向いてしまう。
ついに涙がこぼれてしまう。
「カジマヤー君、お願い」
「かしこまりました」
赤毛の少年が私の前に膝まづく。
そしてドレスに手をかざす。と、ワインの赤い染みが、消えた。
遠巻きにしていた他の令嬢たちが息を飲むのが聞こえた。
「どなたか、白いハンカチをお譲りいただけませんか。
すると何人かの令嬢が隠しからハンカチを取り出して渡してくれようとする。
「カークスさん、よろしくて ?」
「お任せください」
長い髪を後ろで一つに結んだ青年はハンカチを受け取ると、椅子に座ってなにやら手を動かし始める。
ハンカチの形がどんどん変わっていく。
それに気づいた何人かの令嬢が周囲に集まり、その手仕事を凝視する。
「スケルシュさん、いかがでしょうか」
「大事ございません。お嬢様、お召し物に触れてもよろしゅうございますか」
私は黙って頷いた。
すると黒髪の侍従がどこからか針を持ち出して、ドレスの裂かれたところを器用に縫い始めた。
「しばしそのままで。針が刺さります」
「は、はい」
あっと言う間に裂けたドレスは元からそうであったかのように、スリットの入った可愛いデザインに変わった。
「兄さん、これを」
赤毛の男がハンカチ、いや、もうハンカチではない。白い清楚なバラの花束を差し出した。
大輪のもの、一枚から形作られた小花たち。
それをスリットの縁に縫い付けていく。
そのうちの一つを少年が私の髪に飾ってくれた。
「お嬢様、少しお顔を直させてくださいまし」
侯爵家見習のお仕着せを着た少女が、涙で崩れた私のお化粧を直してくれる。
「まあ、素敵 !」
「見違えるようだわ、マメルダさん」
遠巻きに見ていた知り合いの令嬢方が、感嘆の声を上げている。
何が起こったというのだろう。
「さあ、ご覧になって」
侍従たちに手を引かれ、姿見の前に立つ。
そこにはいつもよりずっとすっきりした顔の私がいた。
信じられない。
これは魔法 ? 染みが消えたのは魔法だと思うけど。
「眉を少し整えてみました。後はチークを足したくらいです」
「眉の書き方一つで全然印象が変わりますものね。マメルダさん、とてもお似合いだわ」
侯爵令嬢が本当に嬉しそうに笑っている。
「伯爵家の皆様、そろそろご移動の用意をお願いいたします」
王宮侍従がノックして入ってきた。
出番だ。
「皆さま、何を披露なさるのですか ?」
「私は笛を」「私はハープです」「ピアノを少々」
楽しみですわねと笑いあう人たち。
先ほどまでの緊張した雰囲気はなくなっている。
「マメルダさんは何を ?」
「あの、歌を、歌を披露します」
「まあ、素敵 ! あ、でも
「お嬢様の出番はその次ですから、扉の間からこっそり聞かれるとよろしいですよ」
見習メイドがそういうと、黒髪の侍従がお嬢様をそそのかすなと叱る。
その掛け合いに自然と笑顔になる。
「ルチア様はどのようなことをなさるのですか ?」
「故郷の踊りを。ですがお稽古が足らなくて・・・。失敗しても、笑わないでくださいませね」
この方は絶対失敗しない。見たこともない踊りなのに、なぜかそんな気がする。
「そうそう。皆さま、お花の元がなんだったか、今日は秘密にしてくださいませ。後から実はってわかったほうが楽しいでしょう ?」
令嬢たちが楽しそうに返事をする。
「おまたせしました。披露の間にご案内いたします」
いってらっしゃいませとルチア姫が手をふる。
その笑顔に送られて、私たちは明るい気持ちで部屋を出た。
胸を張って、自信を持って。
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