第120話 閑話 ・ ルーのいない昼下がり

 その日、お嬢様はお出かけだった。



 ダルヴィマール侯爵家の召使の休憩室。


「ちょっと、あなた。なあに、そのハンカチ。凄い刺繍じゃないの」


 同僚の持っていたハンカチ。それを目にしたメイドたちは飛びついた。


「もしかして、この糸は絹 ? 輝きが全然違うわ」

「物凄い細かい刺しね。どうしたの、それ ?」

「カークスさんにいただいたの」

 

 カークス。

 新しく屋敷に来られたご養女の近侍の一人。

 赤く長いまっすぐな髪をひとつに結んだ知的な雰囲気の美青年だ。


「お嬢様が騎士団の訓練に参加されたんだけど、その時お顔に土がついていらしたの。だからハンカチで拭ってさしあげたんだけど、汚れた物の代わりだって」

「あなたのハンカチ、100円しない安物じゃない。それなのにこんな良いお品を ?」


 メイドのハンカチなど汚してなんぼ。安物を大量に買って消費している。それの代わりがこれ ?


「あのね、私見ちゃったんだけど、実はそれ、カークスさんが自分で刺繍したのよ」


 ・・・。


「えーっ、うそっ !」

「だってあの人、手がものすごく大きいじゃない。こんな繊細な刺繍ができるの ?!」

「本当だって。お嬢様の居間はご在室の時は専属以外入れないんだけど、ドアの隙間から見たことのない枠で針を刺しているのを見たわ。それもすごい速さで」

 

 剣の達人というのは聞いていたが、刺繍の達人とは聞いていない。

 謎の多い侍従だ。

 


 ルチアお嬢様の衣装室。

 メイドたちが見たこともないドレスに歓声をあげた。

 白一色のそれはまさしく正絹しょうけんで出来ており、同色の糸で細かい刺繍がされている。

 春の大夜会の前の成人のお披露目。

 その時にお嬢様がまとわれるという。


「スケルシュさん、これはお嬢様のお国の衣装ですか」

「ええ、キモノといいます。やはり晴れがましい日ですから、祖国のもので送り出して差し上げたいと思いまして」


 小物と帯と生地はルーが『お取り寄せ』したものだが、着物と打掛はディードリッヒが刺繍しエイヴァンが縫った。

 本来完成に一年以上かかる着物だが、ルーの手仕事倍々魔法の二重掛けで半年で完成させた労作である。


「これは本当は花嫁衣装なのですよ。ですがお披露目は白のお衣装ということですのでご用意しました」

「お嬢様のお国では花嫁衣装が白なのですか ? この国では黒以外でしたら何色でもいいのですよ」

「なんで白一色なのでしょうか。何か意味があるのですか」


 メイドたちの質問にエイヴァンが頭をひねる。


「昔は真っ白な状態で嫁いで夫の色に染まりますという意味があったらしいんですが・・・」


 メイドたちがキャァァァと嬌声をあげる。


「今は何もない所から二人で新しい生活を築いていこうという意味合いがあるようです。どちらにしても白は花嫁を一番美しく見せる色だと思いますよ」


 結婚式では花嫁以外白いドレスを着てはいけないのですよ。そして式で着た衣装は旦那様のお葬式にも着る地方があります。二夫にまみえずという意味ですね、とエイヴァンが言うと、メイドたちはその素敵な約束にウットリとため息をつく。

 冷ややかな雰囲気の黒髪の侍従は、見た目よりロマンチックな言葉を吐くらしい。



「素敵な曲ですね、カジマヤーさん」


 お屋敷の舞踏室の隅のグランドピアノ。

 赤毛の少年が手を止めて顔を上げると、数名の侍従やメイドが集まっているのに気付いた。

 

「聴いていらしたんですか」

「きれいな音が漏れ聞こえましたので。何という曲ですか」

「『白鳥』です。でもこれは伴奏なので、主旋律が入るともっと素敵ですよ」


 でも弾いてくれる人が見つからなくて、と少年侍従は残念そうに笑う。


「今日はお嬢様はお出かけですか」

「はい。ヒルデブランドでお世話になった方が王都にいらしているので、ナラさんと一緒にご挨拶に。夕方までにはお帰りになると聞いています」


 手持ち無沙汰でお嬢様の踊りの曲の練習をしていましたという少年は、とても騎士団員の言う鬼神の如き剣の腕前を持つとは見えなかった。



 騎士団の訓練場。

 見習騎士や若手が死屍累々と横たわっている。

 そしてその真ん中でピンクの塊が悠々と毛づくろいをしている。

 

「ち、畜生。なんでただのウサギがこんなに強いんだ・・・」


 ピンクウサギのモモちやんは、その可愛らしさで現在屋敷内どこでも出入り自由になっている。

 普段はお嬢様のそばでピョンピョンと跳ねているが、本日はお留守番で放置されている。

 そしてたまたま入り込んだ訓練所。

 若者たちがおもしろがって追いかけた結果である。

 

「さすがお嬢様。従えるペットも強い」

「若い者たちはもっと鍛えないといけないな。このままではお守りするどころかお嬢様に守っていただくことになるぞ」

「訓練内容を一度改めましょう。にしても、お嬢様の周りは多芸な者にあふれている」


 静かで穏やかな侯爵家の午後。

 さて、その頃お嬢様は・・・。

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