第116話 ルーのお披露目とモモちゃんの席捲

 トントンとドアが叩かれる。

 お腹抱えて大笑いしていたナラさんが、一瞬で出来るメイドに早変わりする。 


「お嬢様のお支度はいかがでしょうか。御前とお方様がお待ちです」

「整いましてございます。ただいまお出ましあそばされます」


 エイヴァン兄様が扉を開けてくれる。

 その先には御前とお方様が待っていた。


「まあ、ルチアちゃん。可愛くお支度出来たわね。それでは屋敷の者にお披露目しましょう」


 ご夫婦の後ろについて大階段を降りる。ご老公様が私の隣に並ぶ。兄様たちとナラさんが後ろにつく。

 玄関ホールには先ほどよりも沢山の人たちが集まっていた。


「やあ、みんな。長らく留守にしたけれど、やっと戻ってきたよ。また世話をかけるけれど、よろしく頼む」


 御前がそう言うと全員頭を下げる。


「帰省前にも言ったけれど、私にもやっと娘が出来た。紹介しよう。ルチア・メタトローナ・バラ・ダルヴィマール。異国の出でこの国の事情には明るくない。皆、どうかよろしく頼むよ」


 御前に目配せされ、階段を一段降りる。

 深呼吸して並んでいる人たちを見回す。

 

「ルチアです。ご老公様とのご縁でこの国に参りました。何もかも失った私を迎え入れて下さったバラ家には感謝しかございません。この御恩に何某なにがしかのお応えができればと存じます。どうぞ非力な私を支えて下さいませ」


 胸に手をあて、軽く膝を折る。

 貴族は貴族だ。 

 召使は召使だ。

 だから、雇い主が召使に頭を下げることはない。

 でも、私はしたかった。

 異国出身の設定だから、全然おかしくないよね。


「屋敷の者を代表してご挨拶申し上げます。私は家令のセバスチャン・セバスティアと申します。大変なご苦労の末にこの国にいらしたと伺っております。これより先は私ども一同、お嬢様がお心安くお過ごしになれますよう、精いっぱいお仕えさせていただきます」


 ですが、とセバスチャンさんは続ける。


「私どもに頭を下げられる必要はございません。特にお屋敷の外ではお控えください」

「もちろんこの国の貴族のありようについては学んでおります」


 ええ、知ってますってば。でもね。


「私の生まれ育った国では職業に貴賤なしと言われています。仕えてくれる者を理由もなく邪険に扱ってはならない。仕事ぶりには敬意を払わなければならない。そして感謝の意を忘れてはならない」


 侍従や料理人、集まった屋敷の者たちがザワザワする。


「唯一無二のお方ですら、身の回りの世話をする者を呼び捨てにはなさいません。お上のなさらないことを、私のような若輩者がどうしてできましょうか」


 これから世話になるのだ。

 彼らのスキルと努力に敬意を表しても、何の損があるものか。

 だから私は彼らのプロフェッショナルな技量に頭を下げる。


「しかし・・・」

「この国での習慣と相容れないことは承知しております。ですからお屋敷の中だけにいたします。そして私がこの家の娘に相応しくないと判断される場面があれば、遠慮なく注意をしてください。私には時間と教育が必要なのです」


 よし、言い切った。

 これで日本人特有の謙虚な態度はごまかせるぞっと。



 貴族の中には傲慢なものもいる。

 高位貴族であればそのように育てられてはいないが、下位貴族の中には何を勘違いしているのか召使や街の者に対してとんでもない乱暴を働く者もいる。

 もちろんその素行が目に余るようであれば、宗秩省そうちつしょうという役所に呼び出され、総裁自らがお灸をすえる。

 だが高位貴族でも召使は召使で、人間扱いされていないとまでは言わないが、そこにはいない者とされている。

 だから異性の召使の前で平気で肌を晒すのだ。

 しかし、新たに侯爵家に向かえ入れられたご令嬢は、屋敷に仕える者たちに頭を下げられた。


 あなた達の仕事への取組みを尊敬する。

 あなた達のしてくれることに感謝する。


 今までそんなことを言ったご令嬢がいただろうか。

 してもらって当たり前の存在。

 それが貴族の屋敷に仕える者たちだ。 

 新しくお仕えするこのご令嬢は、自分たちにどんな世界を見せてくれるのだろうか。

 

「お嬢様、心を込めてお仕えいたします」

「私も。どうぞ何なりとお申し付けくださいませ」


 最初に頭を下げたのは他の貴族屋敷から移ってきた侍女たちだった。

 貴族社会の理不尽さを身を持って知っている、下位貴族の娘たちだ。

 続くように集まった召使たちが膝をついていく。


「ありがとう、皆さん」


 お嬢様が鈴の音のような可憐な声でそう言ったとき、屋敷の奥から誰かか走りこんできた。


「せっ、席捲せっけん、せっけーんっ ! 皆様、すぐに避難を !」


 若い侍従が息を切らしてそう叫ぶ。


「御前の前です。何をそんなに慌てているのですか」

「セバスチャン様、馬車に隠れていた何かが、物凄い勢いで屋敷中を走り回っています !」


 戻ってきた馬車の整備をしようとしたら、いきなり何かが飛び出してきたというのだ。


「捕まえようとしたものは返り討ちにあい、馬丁部は壊滅状態です !」

  

 宰相家を良く思わないものの刺客か。それとも旅の間に魔物が馬車に紛れ込んでいたのか。


「それで、それはどういったものなのです ?」

「逃げ足が速くわかりません。チラッと見えたのはピンクの塊のようでした」


 ご家族の顔が固まるのをセバスチャンは見た。


「御前、何かご存知でしょうか」

「う、うん。そうだね。確か義父上がお詳しいかと思うよ」

「ご老公様 ?」

「わ、儂は知らんぞ。あんな奴は知り合いではない !」


 ご老公様の顔色がすこぶる悪い。 

『あんな奴』は間違いなくご老公様の知り合いだ。


「そっちに行ったぞ !」「捕まえろっ !」「逃がすなっ !」

「キュピィィィィッ !」


 片側の扉がバンッと開いて、ピンクの塊が飛び込んできた。


「モモちゃんっ !」


 お嬢様が両手を伸ばすと、その塊はピョンと飛んでその腕の中に飛び込んだ。

 その前にご老公様の頭を一蹴りしてから。


「モモちゃん、あなた一体どこに行ってたの。部屋にいないから心配してたのよ」

「キュッキュッ、キューッキュッ !」

「え、馬車に閉じ込められていた ? ご老公様と降りてきたのではないの ?」


 お嬢様がピンクの塊と話している。

 侯爵様ご家族と近侍以外が目を丸くした。


「ご老公様、どういうことでしょうか。モモちゃんは連れて行って下さると仰ったではありませんか」

「家族の団らんに邪魔だったから、少し遠慮してもらっただけじゃ」

「キュイーッ、キュキュキュイッ !」

「ちゃんと後から迎えをやるつもりだったんじゃ。大体お主は儂の頭を踏み台だとでも思っておるのか。毎回毎回足蹴にしおって。儂は前侯爵じゃぞ」

「キュピッ !」

「知ったことか、じゃとっ ?!」


 今度はご老公様がウサギと話している。

 屋敷の者全員がファンタスティックな光景にあっけにとられる。


「ご老公様、モモちゃんに謝って下さい」

「じゃがな」

「してくださらないなら、一か月、お茶をご一緒しません」

「すまんかったっ !」


 瞬間、ご老公様がお嬢様の前に座って頭を下げる。

 世に言うジャンピング土下座という奴だ。

 もちろん領都でしか知られていない謝罪の儀式だ。


「あらあら、久しぶりに見たわ。お父様の土下座。お母様がご存命の頃は週に二回は見ていたけれど、相変わらずの見事さね」


 見事な土下座を習得するにはどれだけ経験を積めばいいのか。

 

「キュピイッ !」

「そうね。怖かったわね。一人馬車に残されてどれだけ心細かったか。知らないところでたくさんの人に追いかけられて可哀そうに・・・と言うとでも思いましたか ?」

「キュー ?」


 お嬢様はウサギを未だ土下座の状態のご老公様の隣におく。


「あなたを独りぼっちにしたのは私がちゃんと確認しなかったから。その点は謝りましょう。ですが、この屋敷の方々を傷つけたことは見過ごせません」

「キュキュキュイ」

「そんなこと言ってもダメです。あなたなら戦わなくても逃げられたはずですよ」

「キューイ・・・」


 お嬢様は後ろに控える近侍たちを振り返った。


「カジマヤー君、スケルシュさん。負傷者の手当てに向かってください」

「御意」

「カークスさんはモモちゃんとご老公様を連れて謝罪を」

「承りました」

「その後はセバスチャンさんからの指示に従ってください。私も努力しますから、みんなで早くこのお屋敷の一員になりましょう」


 では解散というところで御前が私も一言、と手を挙げる。


「すでに聞き及んでいる者もいるかと思うが、ルチアにはもう一人、見習のメイドが専属としてついている。シジル地区の出身の娘だ」


 シジル地区。

 王都にある唯一のスラムで、独自に壁を作り他の王都民を拒絶している。

 住む人々は貧しく心は荒れ、悪事に平気で手を染める。


「わかっていると思うが、この屋敷では出自で優劣をつけることは許さない。そのような振舞いが発覚した場合はここを出てもらうから、全員そのつもりでいてくれ」

「我ら一同、心に刻みます」


 セバスチャンさんがそう言って頭を下げると、そこにいた者全員がそれに続く。


「それでは皆、持ち場に戻ってくれ。私はこれから王城に出仕する。後のことを頼む」

「いってらっしゃい、あなた」

「お父様、いってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」


 家族の笑顔に送られ、ダルヴィマール侯爵は屋敷を後にした。

 帰宅できるのが一週間後とも知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る