第112話 間諜 アンシア 故郷に帰る

 シジル地区の門番は、その日今までで初めての光景を見た。

 

 王都民に忌み嫌われ人が通ることのない門の前の道を、立派なお仕着せを着て旗を持った騎士様の馬が通り過ぎていく。

 この国の人間なら知っている。

 宰相閣下の旗標だ。

 門を閉めるべきか ?

 いや、それではかえって不敬と取られるかもしれない。

 何騎もの馬が通る。

 一段と大きく豪華な馬車が通り過ぎていく。

 門番は慌てて膝をつき頭を下げる。

 あれは宰相ご夫妻だ。

 なんでまたこんな下町に・・・。

 ここはシジル地区だぞ。下町の奴らだって怖がって近寄らない。

 どうしてここに・・・。

 頭を下げて通り過ぎるのを待っていると、馬の足音が止まった。

 顔を上げると一台の可愛らしい馬車が止まっている。

 扉に書かれた紋章はダルヴィマール侯爵家のもの。

 ゆかりの方が乗っているのだろう。

 馬車の後ろから召使らしい男が下りてくる。

 扉の下の踏み板を出し、ノックして準備が出来たと伝える。

 もう一人の少年が大きな荷物を持ってくる。

 やがて馬車の扉が開き、中から栗色の髪の少女が現れた。


「それではお嬢様。少しばかりお暇をいただきます」

「しっかり親孝行をするのですよ。お土産はもちましたか」

 

 馬車の中からきれいな声が聞こえる。

 少女が頭を下げると先ほどの男が扉を閉めて馬車に戻る。

 そして馬車列は再び進みだした。

 その後何台もの馬車と騎士たちが通り過ぎ、やっと行列が終わる。

 大きく息を吐いて馬車から降りてきた少女を見る。


「おまえ、アンシアじゃねえかっ !」

「あら、ハンスさん。お久しぶり」


 良く知った娘がニコッと笑った。



「アンシアの帰省を祝って乾杯 !」


 木のジョッキが打ち鳴らされる。

 シジル地区で一番人気の食堂兼酒場。

 アンシアの家族、友人らが集まって宴会が開かれている。


「魔法師団の団長がわざわざ ? ここまで ?」

「そうなんだよ。ぜひお宅のお嬢さんを入団させて欲しいって頭を下げてきたよ」

「あれはびっくりしたわよ。あんな貴族のお偉いお方がここまで足を運んでね。あんたももう少し我慢してたらよかったのに」


 まっぴらごめんと思ったアンシアだが、そんなことはおくびにも出さない。


「そうなんだ。でも、きっとご縁がなかったのよ。あたし、今の職場が気に入ってるの。お給料もいいし、先輩たちは優しいし、お嬢様はとっても素敵な方なの」

「宰相さんのところは息子しかいないはずだ。君は騙されてないか」


 アンシアの後ろからヌッと男が現れた。


「ギルマス、お久しぶりです。すみません、勝手にやめちゃって」

「いやいいんだ。気にしなくていい。それより君は結構な額を仕送りしてるらしいね。大丈夫なのかい」

「大丈夫って何がですか ?」


 シジル地区冒険者ギルドのギルドマスターは、アンシアの隣に割り込んで酒を頼む。


「普通じゃない金額だと聞いているよ。その、なんだ、危ない仕事とかしてないかい」

「あぶないって、やあだ、全然危なくないですよ。ただのメイド見習ですって !」


 春でも売ってるんじゃないかと言いたいのだとすぐにわかった。


「正式なメイドじゃないですからお給金は少し下がりますけど、一般的な額ですよ。ただ三食付きの住み込みだから、お金はほとんど使わないんです。三分の二を仕送りして、残りの半分をお小遣いにして、もう半分は貯金してます」

「ほう、相変わらずしっかりしてるね。それでお嬢様っていうのはなんだい」

「ご養女ですよ」


 ほら、来た。


「ご老公様の古い知り合いのお孫様で、遠くの国の出身なんです。なんだか御一族に不幸があって、ご老公様を頼ってはるばるいらしたんですって。そのご縁で御前、あ、宰相閣下のことです。御前がご養女に迎えられたんですよ」

「妾、とかじゃないよね」

「・・・それ、ご老公様が聞かれたらその場で首をねられますよ」


 アンシアの黒い目つきにギルマスは一瞬怯む。


「ずいぶんとご執心なんだなあ、そのお嬢様に」

「当然です。お美しくてお優しくて。ギルマスだって一目見たら納得しますよ。本当に素敵な方なんです、お嬢様は」

「まあ、そんな機会はないと思うけれどね」

 

 ジョッキの中身を空けて席を立つ。


「あ、そうだ。実はギルドの皆さんにもお土産があるんですよ」

「ほう、なんだい」

「これです」


 アンシアが差し出したのは数冊の本。


「シジル地区には本とか入ってこないから、たまに入荷すると取り合いだって話したんです。そうしたら書庫にある本を何冊か下さいました。うちにおいておくよりもギルドに置いてみんなで読めたらいいかなって思って」

「いいのかい。本なんて貴重だろう」

「私だってギルドの本で勉強させてもらったじゃないですか。ちょっとだけご恩返しさせてくださいよ。難しいお話じゃなくて、娯楽用だから楽しく読めるんじゃないかっておっしゃってました」


 アンシアはギルマスの腕に分厚い本の束をドンとおく。

 その厚さと重さに一瞬めり込んだ。


「ありがとう。きっとみんな喜ぶ。それで、あそこのギルマスにはあったかい ?」

「はい。ご老公様と仲良しみたいで、休日にはよくお館にいらしてますよ」

「どんな人かな」


 君がどれだけの冒険者ギルドについて知っているか、必ず聞いてくるよ。

 ギルマス、その通りでした。


「マルウィン様ですね。はい、こう、なんだか癒される感じの方です。穏やかでかっこいいです。先輩たちは後家殺しって噂していますよ」

「・・・マルウィン殿か。なんだい、その後家殺しっていうのは」

「お一人身なのでモテるんですよ。でも皆さん眺めてるだけで幸せって感じで言い寄る女性はいないそうです。まあ、私はお嬢様の専属なんで遠くから拝見するくらいですけど」


 これは設定ではなく実際ギルマスはモテるのだ。ただし観賞用として。

 壮年のご婦人は自分を見てほしいというより、お付き合いして化けの皮を剥がされたくないらしい。

 憧れは憧れのまま夢を見ていた方が幸せだと言う。

 若いアンシアにはよくわからない。


「それ、続き物なんで、もし気に入っていただけたならその先の物もお譲り下さるそうです。本は喜んで読んでくれる人のところに行くのが一番幸せだっておっしゃってましたから」

「わかった。まずは私が読んで問題がなければ本棚に持っていく。ところで休暇は何日あるんだい ?」

「一週間です。十日くらいはって勧められたんですけど、お嬢様の社交界入りの準備があるから、出来るだけ早く戻りたいんです」


 お支度、本当に素敵なんですよとアンシアは無邪気そうに笑ってみせる。


「じゃあ一度ギルドにも顔を出しなさい。君の弟も雑用手伝いで来てるしね。様子を見においで」

「はい、寄らせていただきますね」


 ギルマスは重い本の束を手に酒場を出ていく。

 布教の書の配布と、ギルドに出入りするチャンスをつかんだアンシアは、最初の一歩は成功したと自分にぐっじょぶした。

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