第46話 おしまいのはじまり

「お弁当いかがですかー、いらっしゃいませ!」

「日替わり一つ。汁物、何があるかな」

「きのこの御御御付おみおつけと豆のポタージュスープです」

御御御付おみおつけもらうよ」

「はい、二つ合わせて500円になります」


 お弁当箱と蓋つきのコップをと引き換えに500円玉を受け取る。


「ありがとうございました。またお越しください」


 さて、私は今何をしているのでしょうか。

 答え、屋台でお弁当売り。

 冒険者見習の不可ふかから正式な冒険者の可かに昇格した私だが、いきなりご老公様との専属契約なんてしてしまったので、この世界の常識を覚えていくのが難しい。

 何と言っても貴族としての淑女教育と、冒険者としての庶民の価値観、両方を覚えなくてはいけないのだ。

 そして普通の依頼を受けられない以上、その空いた時間でこの街で出来ることをなんでもしてみようということになった。


「サンドイッチとスープで400円になります。ありがとうございます」


 めちゃくちゃ楽ちんなのは、この国の貨幣制度は日本と同じなのだ。

 単位は円だし、貨幣と紙幣も日本と同じ。

 なんでこんな風になったのかと思ったら、やはり犯人はベナンダンティの先達だった。


「冒険者になったあと国の中枢に入り込んで役人になっているのも多いぞ。昔からこの国はベナンダンティが陰で回しているんだ」

「気が付いただろう。この街は上下水道完備。朝晩は警史が各通りに立つから交通事故もない。他の街では乗合馬車だが、この街では細い路地裏も走れる人力車だ。夢の中でさえ、いつもと同じ生活がしたかったのさ」


 淑女教育のお茶会もどきで兄様たちがこちらの生活について詳しく説明ししてくれる。

 そう言えばラノベとか映画とかで見る馬車の立ち往生とか全然みない。馬車自体見かけないのだ。


「ここで馬車を使っていいのはご領主様一族だけだからな。お代官様でも人力車だ。交通法規もほぼ日本の物と同じだから安心だな。子供たちにも小さいころから徹底しているし」

「日本人特有の重箱の隅を楊枝ようじでほじくる性質は、この街ではいかんなくはっきされているのさ」


 ただし他の街はもちろん、王都もここよりも暮らしにくいよ、とアロイスが続ける。


「一度だけ行ったことがあるけど、シャーロックホームズの頃のロンドンをイメージするといいよ。日本人には暮らしにくい街だね。あそこに定住するのはお断り」

「私、半年そこで過ごすのよねえ」

「領主様のタウンハウスはヒルデブランド仕様でございますからご安心ください」


 新しいお茶を用意しながらセシリアさんが教えてくれる。


「当家が指示して建てられた建物は、全てヒルデブランド仕様でございます。また王侯貴族のお屋敷も上下水道が整えられております。平民の暮らす地区に行かない限りは快適にすごせるかと」

「この街とはずいぶん違うのですね」


 そもそもベナンダンティ発祥の地であるこの街は特別らしい。

 王都にさえない義務教育の施設があり、子供と女性の地位が守られている。

 孤児院も年老いたベナンダンティが関わっていて、他所では考えられないほど福祉が充実している。

 犯罪もほとんどなく、暗くなっても女性が一人で歩けるほど治安がいい。

 人種差別もなく、移住したいという人たちも多い。


「ですが、無制限に受け入れていては街が破裂してしまいます。移住資格を得るのはとても難しいのです。空きが出来ても資格試験に受からなければ街には入れません。なおかつ正式に住民として受け入れられるには1年以上かかるのです」

「その後も違反行為や公序良俗に反する行為が見つかれば追放だしな」


 異世界はチートもないし、良いことばかりではないらしい。

 もちろんベナンダンティというだけで十分チートなのだけど。



 アロイスが現世で私に回復魔法をかけてから、夜中に何度か目を覚ますようになった。

 その時はかならずアロイスがいて、私にいろいろと話しかけている。


「兄さんたちがイベントで侍従修行を始めたよ」

「兄さんたちって家事一般がちゃんと出来るんだ」

「エイヴァン兄さん、着物を縫えるだってさ。びっくりだよね」

「ディー兄さんがハンカチに刺繍してた。テントウムシとクローバーでかわいかった」


 兄様たちの家事スキル半端ない。

 私なんて浴衣も縫えないよ。

 刺繍はなんとか。

 学校でそういう時間があるからね。

 そんな感じで数日が過ぎていった。

 そしてある夜のことだった。

 ベッドでゴロゴロしていると、いつもの通りアロイスの声が聞こえてくる。


「ルー、さっき君の担任の先生がいらしてたよ。宿題、心配しなくてもいいって。出来たところだけ出して、後はゆっくり出してっておっしゃってたよ」


 宿題、よかった! もう絶対間に合わないって覚悟してたんだ。

 そうか、ゆっくりでいいんだな。

 ホッとした途端、体がビクッと跳ね上がった。


「あ、何、これ!」


 何か深い所に引きずり込まれるような感覚。

 頭をわしづかみにされて、水の底にどんどん落ちていくような。

 抗ってみる。

 なんとか上に登らなきゃ。

 上に向かって、明るいところに向かって、手を伸ばす。

 届かない。

 もっと、もっと、もっと!


「ルー!」


 手を握られる。

 眩まばゆい光の中、グイッと引き上げられる。

 パァッと視界が開ける。

 眩しさに目をつぶる。

 ゆっくりと目をあけると、日本人の少年が、アロイスが私の目を覗き込んでいた。


「ア・・・」


 アロイス、と言いたいのに声が出ない。


「おかえり、ルー。もう大丈夫だね」


 彼の向こうに祖母が見える。泣いてるの? なんで?

 私、元気よ。

 バタバタとたくさんの人が部屋に入ってくる。

 白衣のおじさんが私の手を取る。

 アロイスはベッドから離れる前に耳元でささやいた。


「ルーのうそつき。めちゃくちゃかわいいじゃない」


 ねえそれ、今言うべきこと?

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