信じる姉と疑う刑事

 小西さんの死は妹に少なからず影響を与えた。

 しばらく塞ぎこんでいたし、物思いに沈むことが多くなった。

 それでも私と話しているときは笑顔になることもあった。

 衝動的に泣くこともなかった。


 私は妹を問い質すべきだった。

 あなたは人殺しをしているの?

 たった十五文字の質問を私はできなかった。

 もしも肯定の言葉を口にされたら、どうしていいのか分からなかった。

 けれど否定されても私は妹を信じることができただろうか。

 肯定と否定。二つのどちらかでも私は深く傷ついただろう。


 しかし私一人が傷つくくらいなら問い詰めるべきだったのだ。

 自分の身の可愛さと妹を信じたい気持ちのせいで私は大きな過ちを犯したのだ。

 ここでもし妹と腹を割って話ができていたら、妹がこれから起こすことになる悲劇はなかったのかもしれない。

 そして――妹は死刑にならずに済んだのかもしれない。

 仮定の話だけど、悔やんでも悔やみきれない、大きな失敗だった。


 さて。そんな人殺しかもしれない妹が高校を卒業して、大学に入学したのは小西さんが死んで半年後のことだった。

 妹の能力と学力をもってすれば国立大学の医学部に合格するのは容易いことだった。それでも嬉しいことには変わりは無かった。なんというか母代わりの姉としては感無量だった。


 入学式の日の夜、私たちは父とよく訪れていたフランス料理店に向かった。運転免許を取っていた私は父の遺産――名義は私になっている――の高級車の車内で妹と他愛のない話をしていた。


「高校の友人で一緒の大学の子は居るの?」

「同じ学部にはいないけど、大学内には何人かいるよ」

「そっか。友人は大切にしなよ」

「分かってるさ。みんな優しいし。今度さっちゃんを偲んで集まろうって話になったんだ」

「……そうなんだ」

「本当に、優しいんだ」


 最後の言葉はまるで羨望を込めているような気がした。


「僕も運転免許を早く取りたいな」

「そうね。もし取ったら車買ってあげる」

「本当に? そんな余裕あるの?」

「もうすぐ成人するから、後見人がなくなるし。それに貯金してたから、六十万くらいなら買えると思う」

「でも駐車場がないよ」

「借りればいいじゃない。その分のお金ぐらい払えるよ」


 妹は少し考えて「この車を使っちゃ駄目かな?」と言う。


「それでもいいけど。でもマニュアルだからオートマ限定じゃ駄目だよ?」

「うん。分かってるよ。とりあえず合宿で取るか、教習所に通って取るか。考える」

「お金のことは心配しなくていいからね」


 そうこうしている内に店に到着した。私たちは車を降りて店内に入ろうとする――


「――松永司と松永吟だな」


 普通の声音じゃなかった。まるで心底私たち姉妹を憎んでいるような――


「あなたは――」

「姉さん? 知り合いなの?」


 振り向いた方向に佇んでいたのは、見覚えのある三十代くらいの男性だった。髪はぼさぼさで手入れはされていない。無精ひげが汚らしく生えている。よれよれのスーツ。手にはほつれている大きなカバン。なんというか身なりを気にしていないというか、興味がないと言わんばかりの風貌。


 一目見てもすぐに分からなかった。

 だけど、この人を見たことも先ほどの声も覚えがある。


「峰、快晴さん、ですか……?」


 おそるおそる訊ねるとその人――峯快晴は「そうだ。やはりあんたはそうなのか」と無表情に頷いた。


「資料を見たが、松永司、お前は『超記憶症候群』とやらに罹患しているようだな。だから俺が分かった」

「……どうしてそれを知っているんですか?」


 不気味に思いながら峰快晴に訊ねると「お前たち姉妹のことは全て把握している」と死んだ目をしながら言う。


「松永政治ということもな。まあ奴は死んでしまったから、もう関係ないが」

「姉さん。この人は昔、家に来た刑事さんだよね」


 こっそり耳打ちをする妹。私は目を切らずに「そうだよ」と答えた。


「それで、何の御用ですか? もうあの事件の容疑は晴れたはずですよね?」

「晴れてはいない。少なくとも俺は疑っている。あれは松永吟の仕業だ」


 その言葉に妹は「なんでそこまで疑っているのか理解できないよ」と肩を竦めた。


「前にも言ったと思うけど、水尾は『勝手に死んだ』だけなんだ。それが――」

「そう。それが真実だ」


 峯快晴はカバンから十数枚の紙の束を取り出した。そして私たちに向かって投げつける。ホッチキスで閉じられていたので、バラバラになることはなかった。

 受けとったのは妹だった。私もその資料を覗き込む。


 そこには顔写真とその人物のプロフィールが書かれていた。

 一枚目に書かれていたのは男性だった。


『大木雄二。享年37歳。転落死。二十三歳から三十五歳まで幼女に対して性的悪戯を繰り返し、死ぬ直前は刑務所に入所。そして出所してから実の母親と同居していたある日、自宅のマンションから転落死。地元警察は事件性がないと判断し、自殺として処理した。なお遺書等は見つからなかった』


 私は記憶を辿っていた。聞き覚えのある単語がつながっていた。

 そして確信した。


「まさか……この人が小西さんに悪戯をした人?」

「そのとおり。小西幸子に悪戯をした男でもあり――」


 そして峯快晴は妹に指を突きつけた。


「お前が殺した男だ」


 私は妹の顔を反射的に見た。

 妹は能面のように無表情だった。


「いや、殺したというより死ぬように仕向けたというべきか」

「ど、どういうこと、なの……?」


 私は峯快晴の言葉が信じられずに二人に向けて問いを投げかけた。

 妹は怖い顔のまま黙っていた。

 峯快晴は何も答えなかった。


「答えてよ! なんで何も言わないのよ!」


 私の大声はちょうど客を見送っていたフランス料理店の店員の耳に届いた。二人のギャルソンが私たちのほうに走ってきた。


「何か――な、なんですかあなたは!?」

「お二人とも、大丈夫ですか?」


 ドレスコードを守ってきっちり正装している私たちと汚らしい風貌の峯快晴。どっちが危険なのか、ギャルソン二人は即座に判断した。


「……どうやらここまでのようだ」


 峯快晴は疑惑の目を向けているギャルソン二人に「警察だよ。ちょっと話を聞いてただけだ」と警察手帳を見せながら去っていく。


「いいか松永吟。俺はお前をずっと見ている。そしていつか証拠を見つけてやる」


 そして最後に彼は私を見た。

 それは無表情ではなく、何故か哀れむような目だった。


 どうして峯快晴は私を哀れんだのか。

 それは壊れてしまった彼に残された、一欠けらの優しさだったのかもしれない。


「……吟。それは」

「なんでもないことだよ、姉さん」


 そう言って吟は紙束を丸めて、自分のバックに入れた。


「いつか、話すから」


 そして無理矢理笑顔を作って、私に言う。


「さあ、ご飯食べよう。お腹空いたよ」


 私は信じるしかなかった。いつか話してくれることを。

 そして妹はその言葉どおり、真実を語ることになる。

 それは私が弁護士になって。

 妹が医者になったときだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る