生きる術と死ぬ方法

 その後の捜査で分かったことだけれど、父を刺した人物は、敵対していた議員の関係者だった。

 関係者というと近しい存在に思えるけど、実際は遠い存在だった。かの議員を支援している会社に勤めていた男性で、一昨日クビになったらしい。理由は職務怠慢。しかしそれは表向きの理由で、詳細は石山さんが教えてくれたけど、なんでも父の主催したイベントに家族で参加したことが関係しているらしい。

 そんな程度でクビになるのはどうかと思うけど、私が思うに父を狙う理由付けだったのかもしれない。


 名探偵ではない私の推理もどきを恥ずかしながら披露すると、敵対していた議員は父を狙うためにその男性にイベントを参加させて、それからクビにして殺害を誘発させたのではないだろうか。


 結論から言うと、私が当初推測した内容は的外れだった。後から知ったことだけど、父は与党の政調会長に就任しているが、父自身を狙う人間は少ない――いや皆無と言えるほどだった。

 何故なら父はどんな人間でも味方にしてきたし、そして敵対してきた人間はことごとく政界から追い出してきたのだ。

 敵対していた議員も、政策の相違から来る対立であって、心から憎んでいたり恨んでいたりしていたわけではない。


 では何故、父は刺されたのだろうか。

 それは――実のところ、父の策略だったのだ。


 父の策略を話す前に、事件の裁判の様子を話しておこう。

 私は学校の授業がない日、つまり日曜日しか傍聴できなかったけど、それでも犯人の様子は見てとれた。

 私の印象からすると、どうも犯人の男性、神田清は精神の異常をきたしていたみたいだった。

 訳の分からないことをぶつぶつと呟いたり、挙動が不審だったり、加えて質疑応答のときもきちんと答えなかった。


「姉さん。僕はもう裁判を見るのはやめるよ。あの人は狂っている」


 最初に傍聴したとき、一緒に来ていた妹は何故か失望したような口調で私に言った。別に強制したわけじゃないし、気まぐれで訪れたと私は思っていたから、その反応を受けても「そう。別にいいよ」としか言えなかった。


「姉さんも見るのはやめたほうがいいよ。時間の無駄だし」

「いや、私はちゃんと最後まで見るよ」

「どうしてだい?」


 私は妹に対して常に本音で話していた。嘘はあまり吐かなかった。それは妹に嘘を吐くことなんて、彼女の能力の前では無駄であると分かっていたからだ。

 また妹には誠実でありたいと思っていたからでもある。


「裁判に興味が湧いたし、どんな想いで父さんを殺そうとしたのか、理解したいから」


 妹を理解できなかった哀れで愚かな姉の言葉としては滑稽だった。

 でも笑われてもいいから犯人の神田清のことを分かろうと思ったのだ。

 今の不安定な精神が演技なのか、本気なのか。見極めなければならないと高校二年生の私は勝手に使命感に燃えていたのだ。


「そう。姉さんの好きにすればいいよ。これから父さんのお見舞いに行くけど、姉さんも来るでしょ」

「そうね。私も行く」


 父が刺されて一ヶ月後の頃だった。喋れるようになったけど、身体はまだ動かせる状態じゃなかったから、頻繁にお見舞いに行っていた。

 それに見張っていないと父が妹に殺されそうで怖かったし。

 父を苦手としていた妹がお見舞いに行くというのは不自然にも思えたのだ。


 父が入院している病院はお金持ちや富豪が入院しているような高級感あふれるところだった。心なしか看護師は全員美人に見えたし、医者もエリートの中のエリートが集まっているような気がした。

 ちなみに母の入院していた病院と一緒だった。だから構造は幼い頃に把握していたので、広い院内でも迷うことはなかった。

 手続きをしてから父の居る病室に向かった。503号室。ノックをして父の「どうぞ」という声で中に入った。


「ああ、また見舞いに来たんだね。そんなに来なくてもいいのに」


 父は個人部屋でゆったりと本を読んでいた。父はあまり体格が良くなく、痩せぎすな体型をしていたけど、入院してからますます痩せた気がする。


「そんなこと言わないで。可愛い娘たちがお見舞いに来たんだよ? 少しは喜んでよ」

「そうだな。喜ぶべきことだ」

「快気祝いは期待していいかな?」

「吟、そういうことはあまり言わないほうがいい」


 親子らしい会話だった。今から振り返ると父との会話は重苦しい話ばかりで、気軽に話せたのは皮肉にも入院していたこの頃ぐらいだった。

 まあ家でも外でも仕事しか頭になかった人だから当然と言えば当然だけど。


「そういえば、吟は医者になりたいらしいな」


 父はふと思い出したように言う。私は妹が器用に見舞い品のりんごでうさぎさんを作っているのを見ていた。

 妹は「姉さんから聞いたのかな?」と言いながらりんごに爪楊枝を刺して、父に差し出した。


「そうだ。どうして医者になりたいんだ?」

「うーんとね。僕は金持ちになりたいんだ。社会的な地位を持ちながらね」

「建前はいいさ。本当のことを話しなさい」


 建前? 今、妹は父に嘘を言ったのだろうか。私は妹の作ったうさぎさんを食べながらぼんやりとやりとりを見守っていた。


「本当のこと? 僕が父さんに嘘を吐いたとでも言うのかい?」

「……医者を目指す理由としては薄っぺらく感じたからね」


 妹は果物ナイフを棚の上に置いた。そして父の目を真っ直ぐ見て言う。


「別に難病を治したいとか新薬を開発したとか、難しい手術を執刀したいとか重病患者を完治させたいとか、そんなことは思ってないよ。ただお金が欲しいだけ。そして誰にも馬鹿にされたくないだけ」

「……そうか。分かった」


 父は溜息を吐きながら「吟はそれでいい」と呟いた。


「問題は司のほうだ」

「えっ? 私? 問題なんて起こしてないよ?」

「自分の進路をまだ決めてないだろう。私の後継者として政治家になるのか、それとも自分の道を模索するのか。考えているのか」


 私は面食らってしまった。何故なら選択肢があるとは思わなかったからだ。

 てっきり父の跡を継いで政治家になるのだと思っていた。それ以外の道があるとは思わなかった。

 レールの上を走る電車のように決められた道を進むだけの存在だと思っていたのだ。


「私は父さんの跡を継ぐとばかり――」

「政治家なんて好きなことをやってから継いでも構わない。私が引退して司が跡を継ぐまでは石山に政治家をやらせるさ」


 ふと父は妹に向かって「吟、喉が渇いたからお茶を用意してくれ」と頼んだ。吟は棚の引き出しを開けた。だけど茶葉がちょうど切れていた。


「あ、ないや」

「しかたない。売店でお茶を買ってきてくれ。お釣りはあげるから」


 父は財布から一万円札を取り出して妹に渡した。


「うん。売店ってどこにあるの? 姉さん知ってる?」

「一階。病室出て左行って、階段下りた目の前にあるから」

「分かった。ありがとう」


 妹が病室を出て行く。

 父は唐突に「吟のことをよろしく頼む」と頭を下げた。

 面食らった私は戸惑いながら父に訊く。


「どうしたの? いきなりそんなことを言って――」

「みことを殺したのは吟だろう」


 今まで隠してきた秘密を何のためらいもなく言われた。

 まるで身体を刀で袈裟切りされたような衝撃を受ける。

 初めは誤魔化そうと「何言っているの?」とか「意味が分からないよ」とか言うつもりだったけど、父の目を見て悟った。

 父の目は真実を知っている人間の目だった。そして確信している目でもあった。


「……どうして、知っているの? もしかして、初めから知ってたの?」


 口に出たのは肯定の言葉。決して否定ではない、認めてしまった言葉だった。


「指紋対策で手袋か何かしていたつもりだけど、それじゃあ誤魔化せないな。指紋じゃなくても手袋痕というものは残るんだ。そしてあんなに小さな指の跡は子どもしかありえない。そう担当刑事に聞いたんだ。ああ、安心してくれ。その担当刑事は何故か不審死してしまったからね」


 父がまた殺したんだ。なんとなく察してしまった。


「知っていて、どうして吟を――」

「うん? ああそうだね。警察に突き出すとかしないのは、吟のことを愛しているからさ。もちろん、司のことも愛している」


 父は恥ずかしげもなく娘への愛を口にした。

 それが世界の真実のように。

 または世界の真理のように。


「みことのことも愛していたけどね。それでも吟を断罪することはできなかった。私は冷たい人間だ。死んでいる人間よりも生きている人間を愛してしまう」

「……どうして、今になって私に言うの?」


 質問に対して父は「もうすぐ私は死ぬ」とあっさりと答えた。

 何も考えられなくなった私に「死ぬというより殺されるだろう」と補足した。


「今のところはなんとか生きているけど、人が死んでおかしくない病院に居る以上、いつ死んでも不自然ではないな」

「どうして父さんが殺されなくちゃいけないの? 誰がそんなことを――」


 取り乱さないでいるのが不思議だった。自然と受け入れていた自分に気づかないフリをしていた。

 父はまるで明日の天気を語るような感じで答えを示した。


「それは私が望んだからだ」


 父は私にとって尊敬するべき大人だ。決して軽蔑なんてしない。

 それでも理解とは程遠い存在だった。もしかすると妹よりも遠い存在だったのかもしれない。

 それくらい父の考えることは分からなかった。


「とある法案を通したいのだけれど、国民感情とか利権とか絡んでいてね。ここで追い風とかいうか後押しが必要なんだ」

「……それが父さんの死なの?」

「そうだ。私がどんなに言葉を尽くしても国民感情は変えられないだろう。利権も他のものに換えることはできない。なら利用できるのは人間の死しかない。私の死を利用して他の議員が協力すればなんとか押し通せる」


 私は「どうしても父さんが死ななければいけないの?」と言ってしまった。

 不謹慎に言い換えるなら「他の人でもいいじゃない」だろう。


「いやそれは駄目だ。私以外では駄目だ。政調会長である私が死ぬしかない」

「そこまでして、どうして政策を成立させたいの?」


 父ははっきりと答えた。


「それで私が満足するからだ」

「……本気で言っているの?」


 唖然とする私に父はにやりと悪そうに笑った。


「私の能力を知っているだろう? この能力をもってすれば総理大臣になれた。しかし私はそうしなかった。何故ならそんな立場にならなくても法案はほとんど通せる。またそんな立場になれば気苦労は多くなるからな。純粋にこの国のために働きたかった」

「…………」

「だけどな。私はもう疲れてしまったんだ。政治家というものも、人生というものも、私という人間というものにもな」


 疲れた。それが父にとって、自分の人生に対する感想だった。


「仕事中毒だったが、中毒の次に来るのは苦しみと飽き、そして疲れなんだ」

「だから死ぬの? 私たちを置いて?」

「悪いと思っているよ。でもな、もしもみことが生きていればこうはならなかっただろうな」


 それを指摘されて私は言葉に詰まった。

 確かに妹は母を殺したけど、母を見殺しにしたのは私だからだ。


「みことのいない人生がこんなにも味気ないとはな。初めはなんとも思ってなかったが、どうやら惚れていたのは私のほうらしい」

「……ねえ父さん。私たちを恨んでいるの?」

「いいや。さっきも言ったが、お前たちのことは愛している。だけどみことを殺したことは許せないだけだ」


 愛しているが許せない。矛盾しているけど、父のような複雑怪奇な人間にとっては自然なことだった。


「まあ私を最初に刺した神田という人間には悪いことをしたな。やはりプロの殺し屋に頼むほうが良かった。いやでも藤沢議員を失脚させるにはああするしかなかった」


 私は神田も父の犠牲者なのだとようやく知った。


「さて。言いたいことも言った。後はお前がどうするかだ」

「私が? 何をどうすればいいの?」

「自分の進路だ。今ここで決めなくていいが、被選挙権の年齢に達してない以上、石山に跡を継がせることになるな」


 私は目を瞑って考えて、そして目を開いた。


「まだ分からないよ。でも父さんが死んでも困らないように進路は考える」

「そうか。ならいい。司はそれでいい」


 父さんは満足そうに頷いた。これから殺し屋に殺されるような人間とは思えない穏やかな表情だった。


 妹が帰ってきて、他愛のない話をして、その日は帰った。

 その後、一ヶ月ほどは平和な日々は続いた。お見舞いに行くのは少しも嫌ではなかった。

 妹も父への苦手意識が無くなりつつあった。今から思えば、妹は父に対して罪悪感を持っていたのだろう。


 父が死んだのは、退院まで二週間まで迫ったある日のことだった。

 死因は――心臓麻痺とされた。

 世間では死因までは公表されなかった。だからみんなが誤解した。


 裁判の結果は、懲役十二年だった。

 傷害罪ではなく殺人未遂罪で立件された。

 非常に重い刑だけど、被害者が死亡したことが一因にあるらしい。


 父の葬儀には大勢の人やマスコミが押しかけた。

 私は喪主を務めた。とはいっても名ばかりで、実際は葬儀委員長が全ての手配をしてくれた。何でも父の親友で同じ党の議員だった。

 その人から聞いたけど、父の通したかった法案は無事に成立するらしい。それが父の形見なのだと私は感じた。


 父の通したかった法案は孤児の支援に対する保障や補助金の増幅だった。そのおかげで私は不自由なく生活できるようになった。

 まるでこのことを予想していたのだろうか。多分、父のことだから計算づくだっただろう。

 なんだか気味が悪かった。


「父さんも死んじゃったね」


 火葬場でたなびく煙を見上げながら、妹が無感情に言う。

 私は妹の左手を握った。

 妹に真実を告げるか迷ったけど、結局は沈黙を選んだ。

 勇気のない臆病な選択だけど、そうするしかなかった。


 私が弁護士になろうと決意したのは、それから半年後のことだった。

 獄中で神田清が死んだと聞かされて、私は決意したのだ。

 無実の人間は確実に居るのだから、それを助けることが必要だと。


 またそれは――妹や父のような殺人者を見過ごした私なりの贖罪でもある。

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