炭酸水は春に弾ける
降り注ぐのは藤の花。光の中から伸びる滝の如き姿だ。
こぼれ落ちた花弁が、足元に紫の絨毯を敷いていた。藤色に染められた天地は夢のような景色だった。
遠くからシャボン玉が流れてくる。小さかったり、大きかったり。でもどれも光を抱いて、虹色の表情を見せている。
ぱちん、と鳴って泡が弾けた。
目が覚めた感じで顔を上げる。懐かしい顔がこちらを見た。
「やっほー、久しぶり~」
「……驚いたわ」
「驚かせるつもりだったし」
「ほんま驚いたわ」
「ここ、変わってないね」
「ほんま、驚いたわ」
「まだ言ってる、ふふ……大成功」
彼女は目をぱちぱちさせていた。
それは何年かぶりに見た、とても懐かしい光景で。
涙が出そうなほどで。
「いつ帰ってきたん?」
「ついさっき。一時間くらい前」
「その制服……もう藤の花の時期や。寝坊助にしても大概やわ」
「いやあ、帰国の手続きが遅れちゃってさぁ。引っ越しとか入学式とか間に合わなかったよー。てへぺろ(・ω<)」
「腹立つわぁ」
「痛い痛い」
彼女の隣に座ったとたん、彼女が私の両頬をつねり出した。痛いとは言ったものの、ちゃんと手加減してくれていた。
「連絡手段くらいいくらでもあるやん。なんで黙っとったん」
「だから言ったじゃん。びっくりさせたかったんだよん☆ あうっ!?」
今度は太ももをつねられた。おまけにスカートが短ったせいで生足を。ちなみに本気で痛いようにつねられた。
「うちが一体どんな思いでいたか、自分には分からんのやろ」
ぷいっ、と彼女は顔を背ける。声は少し震えていた。結われてまとめられた髪で、赤と金の髪飾りが揺れる。ずっと昔に私があげた物だった。和服の襟元から覗く、真っ白なうなじと首筋が眩しい。
「まさか。わかるよ」
「……何日泣いたか分からんわ」
「私もだよ」
「何度会いたいと思ったか……分からんわ…っ」
「うん。私も」
涙が落ちる。花びらのように。
身を寄せて彼女を抱き締めた。手を握ると、すぐに強く握り返された。
「もう離したくないわ」
「気持ちはずっとつなげておこうね」
「……ほんまずるい人やわ。うちが聞きたいセリフばかり言いはる」
「えへへー」
それはこっちも一緒だった。彼女がくれる言葉はいつだって、私の心の深くへ届く。沈んで溶けて、私の血肉になっていくのだ。
「言いたいことはぎょーさんある。けど、とりあえず言うとくわ……おかえりやす」
「うんっ、ただいま!」
こうして私は、幼なじみと数年来の再会を果たした。
「ラーメン! うどーん! カレーラーーーーイス!!」
「楽しそうどすなぁ」
「うまい……うますぎる……! 久しぶりの本場の味……」
「本場やあらへんのが混じってはるな」
「ニホンノアジ……」
「日本語上手やわ」
「あ! 抹茶パフェ! これも食べよう!」
「うっ……ほ、ほんまよう食べるわ」
日本の味に飢えていた私は、早速食べ歩きを開始した。もちろん彼女と一緒にだ。
なんだかんだ言って、彼女は私の気まぐれに付き合ってくれる。その存在のなんとありがたいことだろうか。
「すみませーん! 抹茶パフェひとつ!」
「うちはイチゴのいただくわ」
「良いねぇ! 一口ちょーだい」
「交換や」
カウンター席に並んで座る。椅子はちょっと隣に寄せた。
ほどなくして注文したパフェが運ばれてきた。赤と緑と白のコントラストが楽しい。
「あ、あとお茶もください。あったかいの。そっちは?」
「炭酸やあらへんかったら何でもええわ」
「相変わらず炭酸飲めないんだねー。じゃあ同じのもう一つお願いします」
店員さんは去っていった。
「じゃあ、お茶が来る前に……いただきます! ――んまい!」
「ほんまに味わっとるんかいな……む、これはなかなか侮れんわ」
「ねぇねぇそっちも一口ちょうだい!」
「勝手に取っていけばよろしい」
「わーい! いただきまーす」
「ちょ!? どんだけ取ってるんや!?」
「だって勝手にって言ったしー?」
「限度っちゅもんがあるわ!」
「えー? もうしょうがないなぁ……」
自分のパフェをスプーンですくって、彼女の方へ差し出した。
「はい、あーん」
「……!?」
彼女はフリーズした。
スプーンを見つめたまま、だんだんと顔を赤くしていった。
「な、ななな何言うてるん自分……! ひっ、人前でそんな……ちゅうかそれ……かっつ! カンセ……ツ……!」
慌ててる慌ててる。
だけどやめてあげない。
「う、うちもうお腹いっぱいやわ……」
「ダメだよ」
「へ?」
「私、まだお腹空いてるよ」
「何言うて……っ」
「全然たりないよ」
彼女の腰に腕を回す。耳元でささやく。
「私がどれだけお預けくらってたと思ってるの?」
「!」
はっとして彼女が顔を上げる。先程とは比べ物にならないほど顔を赤くしていた。
「あなたの可愛いところ、もっと見たいな」
「う……」
彼女は周囲を素早く見回したあと、パクっとスプーンを口にいれた。コクンと口の中身を飲み干した後、ぽつりと彼女はこぼした。今は耳まで赤い。
「……うちもまだ、足りひんわ……」
私たちはいそいそと甘味を平らげ、足早に店を後にした。手はどちらともなく繋いでいた。
相変わらず巨大なお屋敷だった。幼い子供視点の補正がかかっていたかもしれないと思っていたけど、今こうして見ても実際巨大だった。
「お邪魔します!」
「はいはい、おいでやす」
「うおお畳いいいいー!」
「行儀悪いわ、やめなはれ」
「ええー? だって久しぶりなんだもん畳ー」
「何か飲み物持ってくるわ、待っといておくれやす」
「わーい」
襖がぱすんと閉じられた。床の軋みが離れていった。
畳に、彼女の部屋に寝転がる。思わず深呼吸をしていた。
空間に染み付いた彼女の気配が、私のすべてを高ぶらせる。二人でいつの間にか畳の上で眠り込んでいた、幼い日を思い出す。
「あ」
座卓の上。
写真立て。
その中にはめ込まれた一枚の写真。
「……んふふっ」
幼いころの私と、大きくなってからはほとんど見せなくなった、満面の笑みの彼女が写っていた。
「んふ、ふふふ」
笑みが抑えられない。喜びがあふれていた。写真立てを抱きしめて、あの子を抱きしめて転げまわりたい気分だった。でも下手に部屋のものに触ると怒られそうなので、座布団を抱きしめて転げまわった。
「元気な人やわ」
「おっ。おかえりー」
「背も伸びて美人になって、うちも誇らしいわ」
「えーほんとー? 照れるなぁ~」
彼女が持つおぼんには、氷の入ったグラスと、飲み物のボトルがいくつか載っていた。
「ねぇねぇこの写真! まだ持っててくれたんだね!」
「ひっ!? ちょ、何勝手に見てはるん!?」
「だってここに置いてあったし」
「ああああああ!!?」
彼女は写真立てに駆け寄ってそれを倒した。
「こ、これは、その……」
「私失くしちゃったよ~。あとでデータちょうだい?」
「死ねどす」
「日本刀おおお!?」
刀を引き抜こうとする彼女の手を押さえて、何とか危機は免れた。どっから出したのそれ。
「はー……ふっ、あははは」
「なに笑ろてんねん」
「あーもう、ほんっと楽しいし嬉しい!」
エネルギーが溢れて、体が爆発しそうだ。ちっともじっとしてられる気がしない。
「大袈裟やわ」
彼女は私の隣に座った。背筋の伸びた綺麗な正座だった。
「えー? いけずー」
彼女が持ってきたおまんじゅうをかじる。覚えのある味だった。たぶんどこか老舗なお菓子屋さんのものだろう。この家で食べるものはいつも美味しい。かじった残りをまとめて口に放り込む。
「んぐ!?」
喉に詰まった!
「なにしとるんや」
ジェスチャーでおまんじゅうが喉に詰まったと伝える。
「アホかいな、ほれ」
彼女がグラスに飲み物を注いで渡してくれる。口をつけると炭酸がキツめなサイダーだった。一気に飲み込んだせいでこれまたむせた。
「ゲホッゴホ……な、なんで炭酸……」
と思ってみてみれば、彼女が持ってきたおぼんの上には、炭酸系の飲み物しか乗っていなかった。
彼女が飲めない炭酸系ばかりだった。
「……」
「……」
彼女を見つめる。反らされた。やっぱり顔が赤い。眼を潤ませて、睫毛を切なそうに伏せている。
「……しょうがないなぁ」
私はグラスを傾ける。口にサイダーを含んだ。
彼女の頬に手を伸ばす。輪郭を撫でて、少しだけ顔を上向かせた。待ちきれないといわんばかりに、ふっくらとした唇がほころぶ。
「ん……」
「……っ」
そっと唇を重ねる。流し込む。彼女の喉がコクンと動いたのが分かった。全てを飲み干したのが分かっても、私たちの唇は離れなかった。離さなかった。
どんっ、と体が押される。
「はぁ……はぁ……なにすんのさ」
「あほ、息苦しゅうてたまらんわ……ああもう、やっぱり炭酸苦手やわ」
けほっ、とせき込んでから、彼女は続けた。
「刺激、強すぎやわ」
彼女がまたサイダーを差し出す。
今度はボトルで。
「うちが慣れるまで」
「……何度でも」
サイダーを口に含む。たまに飲んでみる。でもまだ足りない。全然足りない。
何度サイダーを飲み込んだって、今の私の渇きは癒えなかった。
それは彼女も一緒みたいだった。
fin.
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