夜を分かつ
双子と出会ったのは入学式のとき。
出会いとしては陳腐なものだったが、それゆえに無難な出会いだったように思う。
私たちはごく普通に友達となり、ごく普通に関係を深め、ごく普通に――いや、その先は普通ではないのかもしれない。
この学校で双子のことを知らない者はいない。以前から美人姉妹として有名だったらしく、彼女たちとは違う中学校から来た子たちの中にも、彼女たちのことを知っている者がいた。
双子は全体的に色素が薄い。ふんわりボブでおそろいの髪は明るめのアッシュブラウン。瞳もそれに似た色をしていた。肌も血の色が浮くほどに白く透き通っていて、日焼けしたらひりひりするタイプかな、なんて思った。彼女たちが光の下に立つと、陽が射し込んだ朝霧のように光が散乱して、幻想的な空間を生み出していた。制服がパステルカラーが基調になっていることも、それに拍車をかけていたように思う。森の中で出会っていれば、妖精か何かと勘違いできたかもしれない。
双子はなんだって分け合った。
例えば食べ物。
違う味のドーナツを二つ買い、半分こして食べていた。
例えば宿題。
あっちが現文、こっちが数学、あとは互いのを写すだけ。同じ場所を間違えても「双子ですから」といってすっとぼけ。
例えば服。
いつもおそろいの格好をしている。どっちがどっちのとかは無いのだと思う。
あとは自転車とか、バイトとか。じゃんけんで負けた方がこいだり働いたりしてるらしい。自転車の二人乗りはやめた方がいいという前に、彼女たちは自発的に二人乗りをしなくなった。なぜ? 私の両手をふさいで道を一緒に歩くためだった。
『へえ、すごい』
『うん、すごい』
『分かるんだね』
『分かるんだね』
『初めてかも』
『初めてだよ』
『お母さんも分からないもの』
『お父さんも分からないもの』
彼女たちは見分けがつかない。どちらがどちらか分からない。だからバイトのシフトをシェアするなんて芸当も可能だった。そんなことをしていたと知っている人間が、私以外に存在するのかも怪しかった。
『何でわかるの?』
『どうしてわかるの?』
『教えて』
『教えて』
私が彼女たちを区別できると知られた日、私は彼女たちの家へ連行され、ベッドに座らされ、両側から双子に挟まれて、腕を掴まれて、逃げることもできず、ただひたすらに問われた。耳元にその唇を寄せて、脳をくすぐるように、どうして、どうして、どうして、なぜ、なぜ、なぜ、と。
分からない。しかし分かる。
たぶん見た目以外の何か。匂いとか、足音とか、風になびく髪の様子や、あるいは触れた体の感触とか。
と、答えた矢先、双子はアルバムを持ち出した。幼い双子が写ったそれを見て、私はやっぱり判別できた。双子はまた私に近づき、問う。なぜ、なぜ、なぜと。
以来、双子はわたしから離れたがらなかった。
学校にいる間はずっと一緒にいた。時には放課後やその夜、あるいは朝だって。
双子と街を歩く時、私の両手はいつも埋まっていた。ほっそりとした指が私の指に絡みついて離れない。時折腕を組んでは、彼女たちの体温を強く感じた。
夜の帳が下りてからは、なお強く。
「あなたが二人いてくれればいいのにな」
「あなたが二人いてくれればいいのにね」
両側で囁く。息がかかる。
唇が両耳に触れて、それが次第に降りてくる。うなじ、口元、首筋を這い、同じタイミングで鎖骨を撫でる。こそばゆさに体を動かすと、すぐに左右から捕まえられた。逃げられない。時折強い熱を感じたと思えば、そこは服を着れば隠れるところだと分かる。
永遠に与えられる熱。それは私の中に溜まって、いまにも爆発しそうになっている。でも弾けない。籠った熱に耐え切れず、私の意識が焼き切れたあと、そのまどろみの中。双子の会話が耳に流れ込む。
「――右手と左手、どっちが好き?」
「――右眼と左眼、どっちが好き?」
「鼻は半分こできないね」
「口も半分こできないね」
「頭は?」
「体は?」
「半分こできないね」
「どうしよう」
双子がベッドに倒れる感覚。体の両サイドが沈み込む。まるで奪い合うかのように、二人の腕が体に絡む。
「どうして私たち」
「二人なんだろうね」
とろりとした夜に沈む。
体が溶けて、闇に揺蕩う。
「「あーん」」
左右から差し出される棒状のお菓子。
どちらかを選んで食いつくことを私に望んでいるに違いなかった。
私は体感5時間悩んだあげく、「ト、トイレ」といってその場を逃げ出した。
「はい、二人組作って」
体育教師が手を打って急かす。
双子が同じように微笑み、同じように手を差し出す。私に差し出す。
「二人で組みなよ」
まだペアを組んでいない子を見つけて、私はその子と準備運動を始めた。
「ダーツがいい」
「ビリヤードがいい」
インターネットカフェを名乗っているのにカラオケとかビリヤードとかダーツとかボルダリングとかがついてくるお店。店内にいる時間の長短によって料金が発生し、その中で何をするかは問われない。
「両方やればいいでしょ。時間あるんだし」
「「それもそうだね」」
双子はどうしてしまったのだろう。意見が分かれるなんて珍しい。
それに最近、私になにかと選択を迫っているような。
「「じゃあどっちを先にする?」」
「え」
「どっちにする?」
「どっちがいい?」
「「どっちが好き?」」
冷や汗が噴き出た。手足が震えた。立っているのがやっとだった。
目の前に佇む双子。緩やかなカーブを描いた口元は、鋭利なナイフの切っ先に似て、首筋へ柔らかく突きつけられるような錯覚を、私は覚えていた。
「……カ、カラオケ。カラオケが良い」
喉から絞り出した声が、店内のホールに響く。固いタイルに反響したその音は、空虚に乾いていた。
古い映画が流れている。深夜のテレビ。
モノクロの、画質の荒い、音だって不鮮明な古典だった。
銃が火を噴いて誰かが倒れ、大人な男女が抱き締め合ってキスをする。
もはや陳腐化した、しかし昔は鮮烈だったかもしれないワンシーン。
何千回も焼き増しされ、何万回も繰り返された、色褪せない、しかし色の無い映像だった。いや、ひょっとすると、これは過去のものなのではなく、遥か未来の、何億回も再生されたがゆえに擦り切れてしまったフィルムを、何の因果か、私たちが偶然目にしているのかもしれなかった。
双子の様子は相変わらずおかしい。しかしそれでも、私たちは離れられない。
何もかもを分け合う双子たち、その唯一の例外。
私たちは今日も夜を分かつ。3人で分ける。
闇を食み、体の輪郭がおぼろげになった隙に、突き破って奥に触れる。今の私たちは誰でもない。区別できない。ぐずぐずに溶けた一つの生命体だった。ちらつくテレビの電光が、微かに闇を照らし出すとき、私たちはかろうじて形を取り戻すのだ。
「夜が明けなければいいのに」
「朝が来なければいいのに」
双子が私の体にすがる。
どうあがいてもすり抜けていく、夜を捕まえる代替行為のように。
「そうすれば私たちは」
「ずっと一緒でいられるのに」
ジジッ……ザーーーーーーーーーーーー。
「――」
映画が終わり、テレビの映像が砂嵐に変わったその拍子、私の意識はハッっと覚醒する。夜、ふとした瞬間に目が覚めてしまったあの感覚だった。寝ていたような、寝ていなかったような、意識は澄んでいるが、すぐにでも眠れてしまう、不思議な狭間。
「え」
ベッドの両脇に双子がたたずんでいる。服を纏わず、その美しい肢体を電光に晒し、闇に生白く浮かび上がる。焼き物のような無表情で、二人は私を見下ろしていた。
「……? どうした、の……二人とも……あれ?」
そして私は気が付いた。
私の両手両足が、ベルトか何かで固定され、身動きが取れなくなっていたことに。
「なに、これ――ひっ……」
双子が手に手に刃物を持つ。
「な、なに、どうしてッ……なん、のっ」
ハサミ、カッター、ナイフ、包丁、メス。
ノコギリ、糸ノコ、丸ノコ、チェーンソー。
視界に入るだけでこれだけ。彼女たちの足元には、他にもまだ冷たい感覚が転がっていた。そしていつか聞いた、いたずらのような問いかけ。
「――右手と左手、どっちが好き?」
「――右眼と左眼、どっちが好き?」
双子が互いに問う。首をかしげる。または頷く。双子だけに分かる言語で会話する。しばらく傍観していると、ふとした拍子に私へ視線が落ちた。
「大丈夫」
「私たち、一つになれたもの」
「だからきっと」
「「二つにだってなれるよ」」
恐怖で顔が引きつる、涙が出る。しかし声が出ない。こんなにも悲鳴を上げたい状況なのに。
双子の手が近づく。片側からはメス、片側からはハサミが近づいていた。
金属が鋭利に冴える。その冷たさが闇を介して伝わった。
しかしその先端が肌に触れたら最後、私の体は灼熱に切り裂かれるのだろう。
体が震える。
どこで間違った?
どちらかを選んでいれば良かったのか?
そんなことができたのか?
いや、できない。
この愛しい双子の、どちらかを愛すなというのか。
ああ、恨めしい。どうして私の体は、心は、二つとないのだろう。
嘆くとすれば、呪うとすれば、私は私の唯一性を憎悪しよう。
決して双子は恨むまい。ここまで追い詰められて、憐れにもがく双子を。
「……」
「……」
と、その時、双子の手がぴたりと止まった。同時に止まった。
片割れが言った。
「……ごめん」
もう片割れも続けた。
「やっぱり……できないや」
金属がぶつかる音がする。ガシャンと鳴って床に落ちた。双子もベッドに崩れ落ちた。抱き締められ、心が、心臓が穏やかになっていくのが分かった。
その安心感に底は無く、まるで海のようにやさしく、ずぶずぶと私を飲み込んでいった。
そして目が覚める。
自分の部屋で目が覚めた。
あれは夢?
学校へ向かう途中、双子が――いや、双子の片割れがいた。たぶん私を待っていた。目の下の涙の跡が痛々しかった。だが、それよりも。
「ひとり?」
どうして双子がひとりで?
いや、あれはふたり?
あれ?
彼女はどっちだ??
「おはよ……」
片割れ――のようなものが言った。そして私の手に触れた。
そこで私にはわかった。
彼女は双子であり、双子ではない。
なぜか分からないけど、分かった。
たぶん見た目以外の何か。匂いとか、足音とか、風になびく髪の様子や、あるいは触れた体の感触とか。
「あなたが二人になれないなら、こうするしかなかったの」
双子の片割れがいなくなった。
それは静かな消失だった。まるで氷が解けるかのようだった。少なくとも周囲にとっては。
いつも一緒にいたはずの双子が、気が付いたら一人で歩いていたのだ。
人々は口々で訊いた。もう一人はどうしたのかと。
すると、片割れは決まってこう答えた。
『もう一人って、どっち?』
いつしか、一人になった理由を誰も訊かなくなった。
もう一人は、いないのだ。そういう事実だけで十分じゃないか、と。
単に体調を崩して学校に来れないのか、あるいは自らの意思で失踪したのか、はたまたあるいは死んだのか。どんな理由であれ、ここにいないことには変わりない。観測結果は変わらない。
「でも、あなたは違うよね」
祈るような眼差し。
期待に震える声。
「あなただけは違うよね」
手を握る。確信する。
彼女は双子だ。双子は確かにここにいる。
「分からないや」
「うん」
「だから、また夜、確かめよう」
「ふふ。うん、そうしよう」
私たちは夜を分かつ。
朝が皆をあきらめるまで。
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