アルタイルの稲妻が鳴る日


 夜空に横たわる軌跡きせき


 数億光年の彼方にある稲妻だ。

 ある日観測かんそくされたその閃光は、やがてこの星にまで届くという。

 この惑星、その全てを焼き尽くす、圧倒的なエネルギーを引き連れて。

「星は好き? 月はどう? 夜空は?」

 あなたは無邪気に尋ねた。

 ワクワクとした横顔を、夜空に向けたカメラのファインダーへ押し付けたまま。

「私は好き。ずっと、永遠に眺めていたい。そう思わない?」

 星は嫌いだ。

 月も嫌いだ。夜空もだ。

 だから私は首を振る。

 私は首を、よこに振る。

「わたしも好きだよ」

「だよね!」

 星は嫌いだ。

 あなたの眼差しを独り占めする、星が嫌いだ。



『さて、十日前から観測されている【アルタイルの稲妻】ですが――』

 テレビでは今日も、あの空の模様が話題に上がっている。

『夏の大三角やわし座が観測不能になるレベルの光量を――』

 個人的にはそろそろ飽きてきたのだが、世間はそうでもないらしい。

『アルタイルの背景領域から出現したため、このような名前――』

 ピっ。

 いつまでも同じ情報を垂れ流すだけの箱の電源を、私は落とした。おかげで部屋は静かになり、宿題がはかどる環境になった。はじめからこうすればよかったのだ。

これでこの数学の問題も解けるだろう……いや、そんなことはなかった。

 参考書に引かれた幾何学模様。

 ここが直角、ここが同位角、三角形の内角の和は180度。

 こことここと結ぶと、なんだか星座に見えてくる。あの子に覚えさせられた空のラクガキ。

 そうラクガキ。

 星の並びに意味はない。人が勝手に結んで開いて、手と手を打って綺麗だとはしゃいでいる。隣り合った星同士、何億光年も離れているのに、隣にいるかのようにおもわれている。


 ヴー。

 スマホが震える。あの子からのメッセージだった。

『今から行きたい。ダメ?』

 まるで隣にいるかのよう。いつでもあの子が呼びかけてくる。

『ん。でも、数学の課題解いてからね』

『なんてこった、一生行けないじゃん!』

『なんだと』

 なんて無礼なヤツなんだ。

『一人で行けば』

『やだ こわい』

『誰もいないし何もいないよあんなところ』

『スーパーでお惣菜買ったらなぜかお箸2膳もらったもん今日……』

『わりとガチなホラーやめて まじで』

 私はため息を吐いてから追加で打ち込む。

『20分後でいい?』

『愛してる!』

 唐突な愛の言葉。心臓は強く脈打った。

 あの子は自分の言葉の重みをわかっていない。彼女の攻撃は、私に対しては常にこうかはばつぐんなのだ。おまけに倍じゃなくて4倍なのだ。

 返信に迷う。指先が淀んだ。

『私も愛してるよ』

 カーソルが点滅する。送信ボタンを押せば彼女に伝わる。

「……ぅぅ……」

 どう伝わるだろうか。

 彼女はどう感じるだろうか。

 嫌われたりしないだろうか。

 ネタにマジレスと笑われるだろうか。

 それもいいかもしれなかった。

 私は削除ボタンを7回押して、別の文字列を打ち込んだ。

『やっぱり10分後で』

『ナンデ!?』

『早く会いたいから』

 既読の表示が付く前に、私は家から飛び出していた。

 


 出かける気配に親が尋ねる。声だけで。どこ行くの。

「湖岸公園」

 玄関を出る。

 夜気が熱い。吸い込むと喉が焼けそうだ。せめて風があれば、しかし凪いでいる。空を見上げると、今日もアルタイルの稲妻が暗闇に奔っている。私の瞳は輝いているだろうか?

 街灯はあまりない。だからスマホのライトで道を照らす。ライトの先に時折羽虫がちらついた。

 光を夜空に向けてみる。あの稲妻を消し去れやしないかと。しかし無駄なあがきだった。

 湖畔が見えた。凪いだ夜に、水面は鏡のようだ。対岸の街灯に混じって、光が一つ、佇んでいた。私をみとめたのか、光が左右に揺れ動く。サイリウムめいて。

「よく私だってわかったね」

「分かるに決まってるじゃん」

 自信満々に彼女は言った。暗くてよく見えないけど、得意げな顔が目に浮かぶ。

 でも、その……すぐに私だってわかってくれたのは、悪い気がしない。

「だってほかに誰も来……痛っ!? な、なんで蹴られたの!?」

 私が唇を尖らせると、彼女も唇を尖らせて不満そうに準備を始めた。

 カメラだ。オートじゃないから不便で面倒な……というと彼女が怒るので、アナログでいろいろ細かく設定できるやつと呼ぶ。

「今日はどう撮るの」

「風が凪いでるから」

 指さしたのは、鏡のような湖面。

「逆さ富士的な?」

「逆さ富士的な!」

 湖面に星空が反射している様子を撮りたいらしい。

 三脚を据え、その上にカメラを取り付ける。私には何をしているのかわからないいくつかの操作をした後、彼女はファインダーを覗き込んだ……液晶画面があるのに、意味があるのだろうか。

 カシャ。

 シャッターの音。

 連続する。

 カシャ。

 カシャ。

 カシャ。

「……」

 彼女の後ろ姿だけがある。彼女の後姿が星空を切り取っている。カメラが星空を四角く切り取る時、彼女もまた星空を切り取っている。

 風が吹けば、彼女はこちらを向いてくれるだろうか。あの水面の星空を砕けば良いのだろうか。

 ため息を吐いてみる。東洋の蝶の羽ばたきが西洋で嵐を起こすように、湖畔のため息が山から風を呼んでもいいだろうに、しかしそうはならなかった。

 嗚呼、アルタイルの稲妻よ。いまこそほとばしり、この星空を掻き乱してはくれないだろうか。

「……どんな景色が見えるかな?」

 ファインダーを覗いたまま、彼女はこぼした。

「?」

「アルタイルの稲妻が鳴る日。あの稲妻がこの星に届くとき、一体どんな景色が見えるんだろう?」

「……摂氏500万度のプラズマだよ。わたしたちみんな死んじゃうよ」

「はは、そうだね」

 彼女は空を見上げた。

「あぁ……でも、見てみたいなぁ……この空に、一体どんな絵が描かれるんだろう」

 数億光年の彼方にそれはある。それが私たちを焼き尽くすことはないが、私たちの子供とか孫だったら、どうか分からない。

「なんて、他人事だってわかってるから無邪気に思っちゃうんだけど」

 彼女は申し訳なさそうに笑った。

「……」

 たぶん私は辛気臭い表情をしている。

 空を見上げ、この途方もない宇宙コスモの営みに佇む。

 視認できる範囲の外にある超々巨星の爆発の余波だとか、宇宙の始まりビッグバンの炎が一周して戻ってきたとか、宇宙の縮小ビッグクランチが開始されたとか、いろいろなことが囁かれているけど、真相に辿り着く前に、人類はあの稲妻の音を聞くことになるような気がする。

 彼女がまたシャッターを切る。そして恍惚としてこぼす。

「……花束みたい」

 点在する、しなやかに伸び広がる稲妻茎と葉、なるほど、確かに花束のようだった。そしてその表現は、他のどこで聞いたアルタイルの稲妻の美称よりも、ストンと私の中に落ちてきた。

「うん……」

 花束。たしかにそれらしい。

 この星を滅ぼす稲妻は、しかし同時に私たちへの手向たむけの花束となるのだ。2つを同時にお届けなんて、神様はとても気が利いてる。

「うりゃー!」

「っ!?」

 体に衝撃。そして感じる熱と感触。それは柔らかくて、いい匂いがした。

「ちょっ、なっ!?」

「えへへ」

 彼女が私に抱き着いている。私の胸に顔をうずめるような感じで。

「どこ触って――く、くすぐった――!」

 頭を掴んで引き剥がそうと試みるが、痛いくらいに抱き着かれていてできなかった。

「いい加減に……!」

「……」

「……」

 やけに静かでかたくなだったので、私もいつしか抵抗を止めてしまった。

「……どうしたの」

「……永遠を」

 彼女が顔を上げる。その視線は私ではなく、アルタイルの稲妻に向けられた。

「永遠を望むのは、間違ってるかな」

 視線が私に落ちる。その瞳は微かに星空を湛えていた。

 とっさに答えられたのは、こんな感じ。

「……間違ってはいない……と思う。無意味だとは思うけど」

 彼女は一拍私を見つめたあと、空を見上げつつ言った。

「なるほどなぁ……」

 私から離れる。そして再びカメラに歩み寄った。その時私はようやく、彼女がカメラなんてものに執心している理由が理解できた。

 彼女は永遠を探していた。

 その可能性の一つがカメラであり、星空だったのだ。片や光景を永く残し、片や遥か古代から姿をとどめていた。

 それなのに突如、空に起こった大事件。彼女の落胆が手に取るように分かった。

「あ……」

 あの稲妻が見えた日、すぐに手を差し伸べてあげられればよかった。

 あの稲妻が見えた日、すぐに抱き寄せればよかった。

 それに私は、なんて冷たい返答をしてしまったんだろう。

 不意に山から風が吹いた。彼女の髪がたなびき、湖面の鏡が砕け散って、キラキラと光が泳いだ。彼女が光の中に揺らいで消えてしまいそうだった。

「わたしは!」

 彼女の手を掴む。彼女がハッと振り返り、驚いた顔を見せる。

「わたしは、ずっと一緒にいる! アルタイルの稲妻の雷鳴も一緒に聞こうっ」

 目を瞠る彼女。そして涙が瞳の上で揺れた。薄い唇が水面のように揺らいだ。

「あ……は、ははは……本気? 何億光年も後だよ?」

「本気。絶対、一緒に聞こう。一緒に空の模様を眺めようっ。全身で星空の花束ブーケを受け止めるの」

「……あはは、参ったな」

 後頭部を掻く。そして気恥ずかしげに微笑んだ。

「なんて魅力的な提案なんだろう、ふ、あはははっ……」

 彼女はひとしきり笑った後、さりげなく涙をぬぐった。

「うん、いいね、すごくいい。そうしよう。一緒にアルタイルの稲妻を聞こう。約束だよ」

「いいよ。約束」

 小指が交わる。細い指の交わりが、なぜかとても固く感じた。

「……前から頼みたいことがあったんだけど、いいかな」

「?」

「写真、撮っていい?」

 写真なんて、いつも好きなだけ撮っているではないか。

 そう思った一瞬あと、彼女の言葉の意味が分かった。

「あっ? わたしのっ?」

 コクン。彼女が頷く。

 それは今まで見たことが無い表情だった。

 カメラの液晶の明かりでも分かるくらいに頬を染め、口角は少しだけ上がり、視線はきょろきょろと泳いで、期待するように時折こちらを眼差す。

 なんというか、この子もこんな顔するんだと。

 こんな顔されて、頼みを断れる人なんて、この世に一人もいるものか。

「……いいよ」

「ほんと!」

「とくべつ」

 パッと笑顔が開く。

 とっさに、永遠に眺めていたいと思った。彼女が永遠を望む理由が、少しだけ分かった気がした。

 空を見上げる。アルタイルの稲妻があった。

 彼女を奪われた気がして気に入らなかったが、今は少し感謝している。おかげで彼女にもっと近づけた。

 カシャ、とシャッターを切る音がする。

 私が最期に聞く音は、アルタイルの稲妻の音などではなく、なんだかこのシャッター音なような、強い予感がした。

 それも悪くない気がした。


 いや、それもいい。

 それがいい。

    

                 fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る