再会するツガイの蝶

 蝶の羽が毟られていた。

「……」

 地面に墜ちている。

 片羽の状態で横たわっている。

 もう一方の羽はどこにも無かった。

 蝶が生きている様子も無い。命のあふれる春の陽射しの下に、孤独な死が横たわっていた。

 孤独で、しかしありふれた死が、横たわっていた。

 そう、こんなこと、よくある話なのだから。



 彼女と離れ離れになってから、もう一万年くらいが過ぎていた。

 1分1秒が途方もなく永く感じられて、時計の針はもはや信用に値しなかった。彼女に貰った懐中時計すら、机の中にしまってある。

 朝に目が覚めて、彼女に貰った櫛で髪をとかし、彼女に貰った紐で髪を結って登校すると、すでに授業が始まっていたりした。デタラメな時計はしかし、皆にとってはそうでないらしい。

 それはおぼろげで、グレーだ。彩りは無い。しかし感触だけは確かにあって、世界は砂でできた楼閣ろうかくなどではなく、悠久に似た時を耐えた、堅牢な古城なのだとわかる。世界が砂でできているのなら、今すぐ蹴り崩してぶち壊してやりたいのに、私にできるのはせいぜい、道端の石を蹴り転がす程度だ。自分の非力さを呪った。


 会いたい。


 そんなメッセージを打ってみる。

 返信が来るのは、きっと早くて300年後。体感で。5000年より少しマシ。体感で。

 スマホのディスプレイの電源を落とす。無様で暗い表情が、暗い画面に浮かび上がった。それを見るのが嫌で、私は無理やり前を向いて歩き始める。だけど景色は色褪せていた。


 前向き前向き。


 心の中で繰り返す。

 平然と過ぎる日々のように、強く吹き抜ける春風のように、前へ前へと。

 あなたに手を引かれて歩きたいと思った。

 あなたの手を引いて歩きたいとも思った。

 だけど何より、あなたと並んで歩きたいと願った。

 なのに坂道が邪魔をして、向かい風が足を引っ張った。せっかく綺麗にセットできた前髪も、彼女に見せる前にぐちゃぐちゃになる。

 けど、ようやくここまできたのだ。

 一万年も待ったのだ。

 胸元に差された花を抜き捨て、手に持っていた丸筒も捨て、気が付くと私は、目の前の坂を駆け上がっていた。風が強く体に当たって、スカートが強く波打っていた。カーブの先の路面に、ピンク色の斑点ができているのがわかったころには、私はもう息を切らしていた。だけどスピードは緩めない。


 ここを曲がればあと少し。

 あと数秒で、追いつける。


「――」

 彼女が私を出迎えた。

 満開の、だけど少しだけ花びらの散る、桜の木の下で。

「そのセーラー服も今日で最後ね」

「……また着る。センパイが望むなら」

「ベッドの上で?」

 手をつないだ瞬間。

 蝶番チョウツガイが噛み合って、扉が開いた気がした。

 私たちの、未来への扉が開いた気がした。

「本当に永かった」

「……うん」

「たった1年が、100年くらいに思えたわ」

「私は一万年くらいに感じたよ」

「あなたの新しい制服姿、早く見たい」

「似合うかな」

「似合うわ」

「お揃いだよ、やっと」

「また一緒に過ごせそうね、学校でも」

「うん」

 抱擁を交わす。

 どちらともなく、ただ、互いに求め合って。

 彼女のぬくもりは、春の陽射しよりも心地よく、彼女の纏う香りは、桜の花のそれよりも懐かしかった。彼女の全てが愛しかった。

 彼女がそっと、耳元で囁く。

「卒業おめでとう」


                         fin.

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