15-3



 ◆◇◆◇◆◇



 マーシャの夢の中で再現されたエルロイド邸。その庭園に、黒いイバラによる巨大な山ができていた。


「はっはっは! どうだマーシャ! 君のフーリガン顔負けのバリケードなど、私の前ではただの厚紙同然だ。さあ、いい加減観念して姿を現したらどうだ!」


斧を持ち甲冑を着た無数の騎士たちを従え、呵々大笑しているのはエルロイドである。


 イバラによって徹底的に封鎖されたエルロイド邸を奪取するべく彼が行ったのは、単純極まる人海戦術である。ここは現実ではなく夢だ。すなわち、個人のイメージが具現できる。エルロイドはマーシャの夢の中で己の想像を形にし、無数の騎士たちを作り出して使役したのだ。間違いなく、その精神自体ははた迷惑とはいえ強靱そのものだ。


 騎士たちによって玄関までの道を切り開いたエルロイドだが、屋敷からは何の返事もない。


「いいだろう。そちらがその気ならば、もはや遠慮は無用。この私の知略をその目で見るがいい! マーシャ・ダニスレート!」


 負けん気に火がついたのか、エルロイドはステッキを掲げてそう宣言する。かくして彼は扉を開き、屋敷の中へと突入するのだった。



 ◆◇◆◇◆◇



 一方こちらはコールウォーン。呼びかけの丘に建つ影ノ館の一室である。


「アーリェン様、昼間からお酒はどうかと思われますが」


 テーブルに置かれたグラスに琥珀色の液体を注ぐアーリェンを見て、マーシャが苦言を呈する。酒類を一滴たりとも飲まないエルロイドのところで働いていると、アルコールの香りが少々鼻につく。


「私は酔わないのだよ、現世のものではな」


 白骨の如き指でグラスを持ち、アーリェンは静かに中身をたしなみながらそう言う。


「ではどうして?」

「決まっている。この蒸留酒の銘柄は味と香りがとてもよい。私の好みだ。酒をたしなむからと言って、常に酔いたいわけではないのだぞ」

「心しておきます」


 とりあえずマーシャはうなずいてから、年齢が少女から大人に戻って以来ずっと思ってきた疑問を口にする。


「改めてお聞きしますが、旦那様は何者なのですか?」


 夢の中を通って返ってきた昔の職場。元同僚の誰もが驚く中、平然としていたのはこのアーリェンだけだ。そして彼の一言で、マーシャは記憶を取り戻した。明らかにこの存在は人外である。


「マーシャ、貴様はどう思う?」


 アーリェンの血のように赤い瞳が、こちらをじっと見る。反射的に、マーシャの左目が緑色に輝く。本人の意思を介在せずに、妖精女王の目が反応する。それは、高位の妖精かそれに近しい存在を見たときによく起こる現象だ。


「――妖精王、アルヌェン」


 ややあって、マーシャはエルロイドから教わった名を口にする。


「ほう。ではなぜ、妖精の王がコールウォーンに館を構えている? 彼の住まいは妖精郷ではないのか?」


 妖精の王の名を聞いても、アーリェンの表情は変わらない。


「コールウォーンは、現世と妖精郷が交わる数少ない場所だとか。元より妖精たちは現世で好き勝手に遊んでいます。今さら王族が姿を現したところで、さして驚くほどのことではないかと」

「貴様の減らず口も、ここで働いている間は実に耳障りだったが、不思議といなくなるとつまらなくなる。貴様のいない影ノ館は、むしろ闇ノ館と改名したくなる暗さだ。手短に挙げればバドリオンは堅物そのもの、ビルケットは口やかましく、サーヴァニはそそっかしい。どうだ? 妖精の王の侍従たちとは思えない貧相な顔ぶれではないか」

「元同僚を悪く言う口は持ち合わせていませんので」


 飄々とマーシャは言い返す。それに怒ることなく、アーリェンは大きくため息をついた。外見こそ美青年だが、どことなく彼は太古から風雪に耐えてきた老木のような雰囲気を漂わせている。いや、それは恐らく事実なのだろう。彼と定命の人間とは、時間の流れそのものが異なる。


「逃がした魚は大きい、と言うが……。貴様をクビにしたのは少々早計だったようだな」


 しばらくしてから、ふと気がついたかのようにアーリェンは口を開く。グラスをテーブルに置き、改めて彼はマーシャをじっと見た。


「マーシャ、気が変わった。この影ノ館に戻れ」


 マーシャは間髪入れずにこう答えた。


「お断りいたします」



 ◆◇◆◇◆◇



 一方こちらは、姿を現さないマーシャに宣戦布告したエルロイドである。


「やかましい! 先程から何だそのたわごとは!」


 彼は自分の四方に斧を持った騎士たちを配置し、効率のよい動きで廊下や部屋を埋め尽くすイバラを伐採していた。だが、エルロイドは自分のてきぱきとした作業に満足せず、虚空を見上げて大声を上げる。


「私を見ろ! 日々君と同じように夢と現を行き来しつつも、精神も肉体も健全健康健常そのものだ! 君の方が軟弱なのだぞ!」


 彼がそこまで叫ぶ理由。それは、この屋敷の空間そのものをみっちりと埋め尽くす猛烈な眠気である。それは気配のみならず「眠い……」「眠い……」「眠い……」とマーシャの声で四方八方に訴えかけているのだ。


 どうやらこの黒いイバラは、マーシャの眠気そのものがイメージとなって具現した存在らしい。連日就寝と同時に夢の中で目覚め、エルロイドの仕事に付き合わされていた彼女の無意識のストレスが、こういった形となってしまったのだろう。おかげで夢の中のエルロイド邸は封鎖され、空間は眠気を訴える呟きで満ち満ちている。


「分かった。よく分かった。もう嫌と言うほど理解した!」


 一階を制圧した時点で、とうとうエルロイドの方が折れた。とてつもなく珍しいことに、彼の方が根負けしたのだ。


「私の負けだ! 私が悪かった! だからその妄言をいい加減やめるんだ!」


 騎士たちの動きをいったん止め、エルロイドは両手を挙げる。


 しかし、黒いイバラに変化はなく、呟きが止むことはない。


「マーシャ! 聞いているのかマーシャ! 交渉に応じようと私は言っているのだ!」


 あたかも従業員にストライキを起こされた店主かオーナーのように、エルロイドはマーシャを交渉の場に招く。だが、やはり何の変化もない。


「……聞いているのか!」


 ただでさえ四方八方から延々と同じことを呟かれ続けた上に無視され、ついにエルロイドの堪忍袋の緒が切れた。仕込み杖のステッキから白刃を抜くと、彼は手近にあったイバラを切り落とす。それでも、何の反応もない。


「……聞いているんだろう!?」


 彼の声音に、かすかに不安なものが混じった。



 ◆◇◆◇◆◇



「即答か」

「はい」


 怖じることのないマーシャの態度を見て、アーリェンの目が不気味に細められる。


「妖精の王の意向に背くとは、たいした度胸だ。それだけは認めてやろう」


 その言葉を聞いて、聞こえないようにマーシャはそっとため息をつく。どうしてこう、自分の周囲の男性は無駄にもったいぶる人ばかりなのだろう。


「アーリェン様は、ご自分の権威を振りかざして他人を思うがままに支配するようなお方ではない、と知っているだけです」

「それは買いかぶりというものだ。いや、むしろ無知だな。そもそも、貴様をこの影ノ館に連れてきたのはこの私だ」


 唐突に、アーリェンは話を変える。どことなく、あざ笑うような調子が声に込められている。


「不思議に思わないのか? 貴様の父と母はどこにいる? 貴様の郷里はどこだ? 貴様は物心ついたときからここにいると思っているが、それ以前はどこにいたのだ?」


 それらはいずれも、幼い日のマーシャが不思議と疑問に思わなかったことばかりだ。


「真実を、知りたいとは思わないか?」


 だが、彼女は間髪入れずにこう答える。


「思いません」



 ◆◇◆◇◆◇



「マーシャ」


 マーシャの部屋に、エルロイドは騎士を連れずに立ち尽くしていた。


「マーシャ・ダニスレート」


 彼の言葉に答えるものは皆無だ。


「なぜ、目を覚まさない……?」


 エルロイドは下を向く。部屋の隅にあるベッドの中に、マーシャはいた。しかし彼女は仰向けになったまま、目をつぶり動かない。完全に寝入っている。


「タヌキ寝入りもいい加減にするのだ! 君のわがままに付き合っていられるほど、私は暇ではないのだぞ。さあ起きるんだ。仕事が私と君を待っている。女王陛下も私の研究の成果をお待ちだぞ。君は陛下の期待に応えたくないと言うつもりかね!?」


 不意に大声を上げて彼女を詰問するエルロイドだが、すぐにがっくりと肩を落とした。


「――――認めよう。私が悪かった。わがままだったのは、むしろ私だ」


 ややあって彼の口から聞こえたのは、謝罪の言葉だった。


「君は無理をおして、私の身勝手に付き合ってくれたのか。すまない」


 ここに来てようやく、エルロイドは理解した。自分がどれだけ、マーシャに無理をさせたのか。そして、どれだけマーシャが付き合ってくれたのか。


 だが、それは遅きに失した。何の反応もしないマーシャの姿を見ていると、不安がかき立てられる。もしこのまま彼女が目覚めなかったら? 夢の中で人が眠ると、そのまま永眠してしまうのか? 悪い想像だけが、勝手に育っていく。


「分かるか? この無様さが? 君が答えてくれなければ、私が何を言ってもただの道化の一人芝居だ!」


 実際、それは一人芝居だ。彼が何を言っても、答えてくれるマーシャがいなければ無意味なのだから。


「だから、目を覚ましてくれないか、マーシャ。…………私に、答えてくれないだろうか?」


 幾たび謝っても反応しないマーシャに、エルロイドはすがるような声を上げる。それは、普段の彼を知る人間が見たら、目を疑うかのような姿だった。



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