07・砂漠の短剣 と 人類の限界 の 話

07-1



 ◆◇◆◇◆◇



「う~ん…………」


 エルロイド邸の書斎で、マーシャは窓際に立って、右手に持ったものを陽光にかざしていた。


「どうかね? どんな風になっている? 早く説明したまえ」


 すぐ隣で机に向かうエルロイドが、彼女に催促する。


「見えることは見えるんですが…………」


 マーシャの言葉に、エルロイドは苛立たしげに万年筆で机を叩く。


「曖昧な物言いはやめるんだ。何が、どのような形で、どうなっているのか、正確に分かりやすく簡潔かつ明瞭に述べたまえ」

「教授、そんなに急かさないで下さい。お子様ではないのですから」


 さすがに気分を害したのか、マーシャが緑色に光る左目を彼に向ける。彼女が手に持っているのは、古風な中東の短刀だ。鞘も柄も金と宝石で装飾されている。


「むむ……すまなかった」


 エルロイドをたしなめるマーシャの言葉は、どうやら不発では終わらなかったようだ。意外なほどにあっさりと、エルロイドは前言を撤回する。そうなると、マーシャとしても強く出る理由はない。


「残念ですが、妖精がいることは分かりますが、それがどんな形で、どうなっているのかまではよく見えません」


 打って変わって優しくなった彼女の言葉に、たちまちエルロイドは持ち前の好奇心を復活させる。


「厳重に隠されているのかね?」

「う~ん、うまく表現しにくいんですけど……」

「構わん。妖精を見ることのできる人間の貴重な意見だ」

「はっきり見えないと言うより、はっきり存在していないような感じです」


 マーシャはそう言いつつ、首を傾げる。


「この目ではっきり見ることができれば、それと同時にはっきりと妖精が存在するように思えるんです。逆に言えば、見えない以上存在しているような、そうでもないような曖昧なままといったところでしょうか。うまく説明できなくてすみません」


 彼女の表現は曖昧模糊としたものだったが、対照的にエルロイドははっきりと大きくうなずく。


「ふむ、充分にあり得る説明だな。彼らが物体を通り抜け、同時に数ヵ所に遍在し、人の心の中に入り込み、時間を飛び越えたりするのも、一重に存在が曖昧だからということか。そして、彼らがはっきりと君の目に観測されると、同時にその存在は現在のこの場所に縛り付けられ、可視の実体として具現する。なかなか面白い意見だ。興味深いよ」


 エルロイドが立ち上がって手を伸ばしたので、マーシャは短刀を彼に渡した。この短刀は彼が買い付けたものだ。持ち主に加護をもたらすという曰く付きの刀剣らしいのだが、その真偽はともかく、刀身に妖精が潜んでいることは事実のようだ。だが、マーシャの妖精女王の目をもってしても、その妖精がどんな種類なのかは分からないままだ。


「しかぁし! その程度で私が諦めると思ったら大間違いである!」


 突如エルロイドは、テンションを上昇させて叫ぶ。


「教授、刃物を振り回すのは危ないですから……」


 マーシャの言う通り、実に危険だ。


「見えないとなると、ますます見たくなるのが人間の心情だ。そうではないかね?」

「いいえ、全然」


 平静な彼女の返答に、エルロイドがつんのめる。


「なんという現状に対する諦観かね!? ヒトはその歴史の始まりから、常に様々な難題に直面し、それらに果敢かつ不断に挑戦し続けることによって文明を発達させてきた。帝国が未曾有の発展を遂げたのも、過去の逸材たちによるたゆまない努力と研鑽があってこそである。マーシャ、君は現代文明にあぐらをかいて怠惰に堕するつもりかね!?」

「いえ教授、なにも私はそこまで重大なことを言ったはずではないんですが……」


 何やら話が壮大になりつつあるので、マーシャは適度に彼の気分を落ち着ける。どうにもエルロイドの気性は、何かを引き金に気球のように空へといっさんに駆け上がっていくので困る。付いていくマーシャは、うまく調整して気球を軟着陸させるのが役目だ。


「見えないということは、見えてはいけないという意味でもあると思うんです。そこに土足で踏み込むのは、いかがなものでしょうか?」


 マーシャがそう言うと、途端に憑き物が落ちたようにエルロイドは真顔になる。


「タブーか」

「タブー?」


 短刀を机に置き、エルロイドは机の周りを歩き始める。こうなると、彼の姿は教養豊かな紳士に変わるのだ。


「南洋諸島などにある禁忌の類だ。種々の禁を課すことにより、首長の霊的な力を高める誓いと思ってくれて構わん。我が国にもあるだろう? 英雄たちがその生涯において何度も結んだ誓約の数々が。彼らはそれにより比類なき強さを得、またそれにより非業の死をとげたのだ。物語を彩るスパイスだな」

「あまりよく知りませんが?」

「情けない。君も下らない三文小説に目を輝かせていないで、少しは歴史を学びたまえ」


 保守的というか頑迷というか、批判的なエルロイドの物言いにマーシャはむっとする。


「私の読んでいるのは三文小説じゃありません。りっぱな通俗小説です! エンターテインメントです!」


 エルロイドが批判したのは、彼女が連載を追っている新聞の小説だ。


「ただの潜水艦が改装に改装を繰り返し、空を飛ぶどころかついに宇宙にまで進出し、月の裏側にある暗黒帝国と戦うような荒唐無稽極まる小説のどこに高尚さを求めるべきか、私は本気で悩むよ」


 呆れ果てた様子で、彼は机に手を置く。その拍子に、机に積み重なっていた書類の山が崩れた。


「教授には分かりませんけど、ロンディーグじゃ大人から子供までこの小説の続きを楽しみにしているんですよ。すごいでしょう?」


 だが、物語というものは荒唐無稽であっても面白い方がよい。偏屈なエルロイドの狭い了見とは裏腹に、この小説は今や大人気である。マーシャもその熱心な読者の一人だ。


「まあいい。娯楽は個人の自由だ」


 散らばった書類を元に戻しつつ、エルロイドは無関心にそう言い放つ。その手が一枚の手紙を取り上げ、目の前に持っていった。その差出人の名前をしげしげと眺めてから、やおらエルロイドは口を開く。


「そんなことより、この短刀にいる妖精の方が問題だよ」

「そんなことですか……」


 マーシャはため息をつく。


「私は知の探求者だが、だからといっていたずらに助手の身を危険にさらす気はさらさらない。確かに君の言う通り、この短刀に宿る妖精が見てはならないタブーならば、君の能力を無作為に使うべきではない。そこは納得できる」


 どうやら、エルロイドなりにマーシャに配慮した結果らしい。


「一応ありがとうございます。一応ですけど」

「礼には及ばない。聡明な私には、好奇心を満足させる方法がいくつも思いつくのだよ」


 そう言うと、彼は大股で書斎の出入り口へと向かう。


「マーシャ、出かけるぞ」

「どこへですか?」

「遍在宇宙交信協会のところだ」


 そのうさん臭すぎる名を聞いて、マーシャはこれで何度目かのため息をついた。


「またあの怪しげなサークルのところですか……」



 ◆◇◆◇◆◇



 遍在宇宙交信協会。科学と神秘がない交ぜになったこの時代の申し子とも呼ぶべき、いんちきと思い込みとごく少量の啓蒙がミックスされた団体である。自称、彼らは科学の徒であり、盲信や迷信から自由にされた新時代の人類を啓発するのが目的である。しかし、マーシャから見れば、彼らは有象無象のオカルトや占いや降霊術のサークルと大差ない。


 元より、彼女の雇用主であるエルロイドは、オカルトを毛嫌いしているはずだ。魔法という語など、耳にしただけで嫌な顔をするほどである。幼児向けの絵本に魔法という語が使われていることさえ、彼にとっては不愉快らしい。だが、不可解なことにやっていることは完全にオカルトであるこの協会を、エルロイドは度々利用しているらしい。


 そもそも、この二人の出会いからして、協会のお膳立てがあったらしい。警察署にいたマーシャをエルロイドが見つけられたのは、協会経由の情報があったからだ。エルロイド本人は何気なくマーシャにそれを教えたのだが、当のマーシャはぞっとした。いくら自分が目立ってしまったからとはいえ、知らない相手に行動を監視されるのは気味が悪い。


「私は、あまりあのサークルは好きになれません」


 ロンディーグを縦断する市電に揺られながら、マーシャは隣のエルロイドに言う。


「私も同感だ。正直に言えば、虫が好かんよ」


 意外な彼の意見に、マーシャは目を丸くする。てっきり、会員ではないものの、エルロイドは協会に入れ込んでいるとばかり思っていたからだ。


「でしたら……」

「私個人の好悪と、彼らが使えるかどうかはまた別問題だ。君があの中東の短刀に対して何らかのタブーを感じるのならば、次善の策として彼らを頼るのもやぶさかではない」


 どうやらエルロイドは、マーシャに配慮して好きでもないサークルの元を訪れる気になったらしい。そう言われると、マーシャとしても心苦しくなってしまう。


「すみません。私のわがままで教授にご足労をかけてしまい……」


 素直に謝る彼女を、エルロイドは冷めた目で見る。


「ふん。まあ、時間の無駄ではある」


 いつもならば、その後には自分がいかに多忙な人間であり、時間が貴重であるかを延々と語ると相場が決まっている。自慢や嫌みではなく、本心から彼はそう思っているのだ。


「だが、進歩と進展と進化にこのような回り道はつきものだ。階段にも踊り場があるだろう? それと同じように考えれば、納得できる時間の使い道だ」


 しかし、今日は機嫌がいいのかエルロイドは長広舌を振るうことなく、マーシャの顔を立てた。市電は二人を乗せて、ロンディーグの町並みを抜けていく。目的地まで、もうすぐだ。



 ◆◇◆◇◆◇



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