03-3
◆◇◆◇◆◇
そう宣言するや否や、エルロイドは背中に背負っていた投影機のスイッチを押す。重たげな機械音と共に、背中の投影機からアームが飛び出す。パイプから蒸気が噴出する。アンテナがくるくると回り始める。さらには、パイプオルガンのような奇妙な音まで聞こえてくる。さながら大道芸だ。当然周囲の人々は、ぎょっとして彼の方を見つめる。
「いやなおとがする なにそれ」
周囲の異様なものを見る目をよそに、妖精のイヌは身構えて低く唸る。
「教授! やめて下さい!」
「何を言う。なぜやめる必要があるというのだね!」
「目立ちますから! ものすごく目立ってます! 恥ずかしいですよ!」
一方、マーシャは突如注目の的となったエルロイドの横で恥ずかしさから真っ赤になっていた。
「気にするな! 偉業というものは、得てして人目を惹くものなのだからな! さあ、もっと見てくれ! もっと注目を! もっと注視を! そして喝采を!」
しかし、投影機を背負った変人は、マーシャの頼みなどどこ吹く風だ。むしろ、自分の行動に酔いしれ、さらに周囲の注目を浴びる嬉しさから両手を広げて恍惚とさえしていた。まさに変態だ。
「きらい きらいきらいきらいきらいきらいきらいきらい それすごくきらい!」
黒いイヌが叫ぶのとほぼ同時に、投影機のくるくると回るアンテナがぴたりとそちらを指した。アームの先の白熱灯が点灯し、イヌを照らす。そう、文字通りその姿を照らしたのだ。本来は不可視であり、あらゆる物理法則を無視する寓話生命体の姿を。
「そこにいたのかね。薄汚い野良犬が」
冷たい声でそう言い放つと、エルロイドは手に持っていたステッキを構えた。
「きらい! いや! うるさい! やめろ! やめろぉ!」
イヌは歯をむき出して狂ったように跳ねると、彼に向かって飛びかかった。黒い矢、いやむしろ黒い飛沫のようにして跳躍したその姿が、彼に届く寸前で空間に縫い止められる。
「――私が、それに従うとでも思っているのかね?」
彼の手に握られていたステッキは、いつの間にかその本当の姿を見せていた。
「あ れ なに これ な ん で そ ん な」
銀色の細くてまっすぐな刃が、イヌの眼窩に刺さり、胴体にまで深々と刺さっている。それはサーベルではない。剣でも刀でもない。ステッキの形をした仕込み杖の刃だ。
「なんで な ん で な…………」
その声を最後に、黒犬の体は砂のように崩れ、風に吹きさらわれていった。頭骨が地面に乾いた音を立てて落ち、たちまち微塵に砕けて消えていく。
「ふむ、なかなかの出来映えだ。神に感謝を」
対するエルロイドは、曇り一つない仕込み杖の刃を満足げに眺めてから、静かにそれをステッキの鞘に収める。
「これかね? 正教会の主教直々に祝福を授けて下さった銀製の刃だ。古来、妖精は鉄を忌むとあるが、吸血鬼や人狼は銀を忌む。要するに、金属に特殊な効果を付与したものはこの手の連中に通じるようなのだよ」
投影機のスイッチを切りつつ、得意げにエルロイドは説明するが、マーシャの疑問はそこではない。
「いえ、そうではなくて……」
「何かね、まどろっこしい」
「相手は妖精でしたけど……殺してしまったんですか」
彼女の問いに、エルロイドはあっさりと答える。
「彼らは死なんよ。恐らく、妖精郷に還っただけだ」
「よろしいのですか?」
「だから何がだ?」
「だって、教授は妖精ならばどんなものでもサンプルにするような方では……」
「君は私を何だと思っている?」
マーシャにそう言われ、彼は不機嫌そうな顔になる。
「確かに、妖精のサンプルは一匹でも多い方がいい。だが、しかし、けれども、とは言え」
いくつもの接続詞を重ねつつ、エルロイドはマーシャを指差した。
「助手に害をなすような危険な妖精を、この私が看過するはずがないだろう? 君はもう少し、自分の雇用主のことを信頼したまえ」
「教授…………」
マーシャの胸の内に、温かなものがじんわりとこみ上げてきた。確かにこの人は、紛う事なき変人だ。頭が少々おかしく見えるし、行動は奇矯だし、人格破綻者に見えることだってしょっちゅうだ。でも、確かに彼は、自分を守ってくれたのだ。貴重なサンプルを得る機会を、迷わずふいにしてまでも。
「あの……ありがとうございます、本当に」
頭を下げるマーシャに、今日ばかりは妙に優しく、エルロイドは言う。
「もう少しの辛抱だ。私の研究が実を結んだ暁には、このような手合いに悩まされることはなくなるだろう」
彼の変わった気遣いがくすぐったく、マーシャはたまにはこんなトラブルも悪くないかな、と少しだけ思ってしまうのだった。
◆◇◆◇◆◇
しかし次の日。
「ありえん……」
エルロイド邸の庭で、屋敷の主人は肩を振るわせていた。
「どうしてこんなことになったのだ! なぜだ!」
エルロイドが指差す先には、各所から煙を上げてうんともすんとも動かないキルガニー投影機があった。
「私に聞かれても困ります……」
エルロイドにまくし立てられるマーシャは、やや迷惑そうにそう答える。
「たった一度だ! 一度しかこのキルガニー投影機は本来の性能を発揮しなかった。こんな馬鹿なことがあるか!」
エルロイドは天を見上げて咆吼する。確かに、一度使っただけで故障してしまう装置は欠陥品だし、それをうきうきしながら持ち帰ったのはご愁傷様である。
「ジンさんは修理工なんでしょう? そこに持っていけばいいじゃないですか」
マーシャの至極もっともな意見を耳にしたエルロイドは、彼女に自分の手帖を突きつける。
「マーシャ! これを見たまえ!」
「スケジュールですね」
そこには首都各地を訪れる予定が書かれている。
「そうだ。私は既に、この装置を用いた妖精調査の予定を立てていたのだ。これでは計画を一からやり直さなくてはいけない。何という時間の無駄だ!」
「はあ……」
たかが予定を変更せざるを得なくなったことに、なぜこれだけ感情的になれるのか、マーシャには皆目見当が付かない。
「ええい、背に腹は代えられん」
ひとしきり嘆いた後、エルロイドは突如しゃがみ込むと、マーシャに向かって背を向ける。
「マーシャ、さあ」
「すみません。私には教授のお考えが皆目見当が付かないんですが」
だが、何となくマーシャは嫌な予感がしてきた。
「君が、投影機の代わりになって、ここに乗れと言っているのだ。分からんのかね?」
そして、その予感は的中したようだ。
「ええ、まったく。と言うか、分かりたくありません」
「やかましい。さあ、つべこべ言わずに来なさい、ほら」
「嫌です! 何で教授におんぶされなくちゃいけないんですか!」
「君が投影機の代わりだからだ!」
「だったら普通に横にいさせて下さい!」
エルロイドは悪びれる様子もなく、マーシャに人間投影機になるよう強制してきた。いい年した男性に女性がおんぶされた格好で人前に出たら、不審がられるよりもむしろ正気を疑われる。そもそも、男性とそんな風に密着したことのないマーシャは、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「それに、昨日はおっしゃって下さったじゃないですか! 助手の私を傷つけるような妖精は看過しないって!」
昨日のエルロイドの言葉。この変人教授にも人を思いやる心があったと知って、少しだけどぎまぎしてしまった自分を締め上げてやりたくなる。
「言ったとも」
「昨日の今日で、すぐに私の左目を当てにしないで下さい!」
「それとこれとは話が別だ。私の予定を変更するわけにはいかん!」
「少しは待つことを覚えて下さい! お子様ですか教授は!」
その後、どうにかマーシャは彼をなだめ、投影機を修理に出すまで調査を先送りすることに同意させた。機械は直る。しかし、一度上昇した直後に下降した信頼を直すのが困難なことを、この教授は知らないのだった。
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