04・やや余計な気遣い と シニカルな執事 の 話
04-1
◆◇◆◇◆◇
朝。テーブルで朝食を摂るエルロイドに、恭しく新聞が差し出される。
「旦那様、今日の朝刊です」
「うむ」
食後、鏡の前で容姿を整える彼に、今度は帽子が差し出される。
「旦那様、帽子はこちらでよろしかったでしょうか?」
「うむ」
そして出勤の準備が整い、玄関に立つエルロイドの前で、扉が開けられる。
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「うむ」
そのすべてに、エルロイドは他人事のように「うむ」でしか答えない。一方、そのすべてを行ったのは、まだ十代前半だがきっちりと礼服を着こなした少年だ。出で立ちこそ一分の隙なく整ってはいるが、金髪の下の顔立ちは負けん気が強そうだ。何となく、元気いっぱいな子犬を思わせる容姿をしている。
「教授…………」
さりげなくエルロイドに仕える少年の横で、やや呆れた様子なのは、侍女の格好をしているマーシャだ。外見と肩書きは一応エルロイド家の侍女だが、大学で彼の助手をしている時間の方が長い。
「なんだねマーシャ? その中途半端に不満げな顔は。まるで、半熟と固ゆでが同時に目玉焼きに現れているかのようで不愉快だ」
彼女の視線に気づいたエルロイドが、そちらを見る。マーシャが今日大学に行く必要はない。本日はエルロイドが、みっちりと学生たちに講義をしなくてはいけない日だ。
「教授はもう成人された男性でしょう? ご自分のことはご自分でされた方がよろしいのではないですか?」
彼女の言葉に、エルロイドは少年の方を見ると、目で何やら促す。
「やれやれ、まったく。無知を平然とさらすのは感心しないよ、一般市民のお姉さん」
発言を許された少年は、ここぞとばかりに鋭い舌鋒を彼女に突きつけた。
「オレはエルロイド家執事。執事である以上、旦那様の手となり足となり、そのわずらいとなるありとあらゆるものからお守りするのが、主命にして務めにして喜び」
少年はそう言うと、胸に手を当ててエルロイドに向けて一礼する。作法にかなった仕草だが、あいにくとマーシャには、「気取ったことをするなあ」としか思われていない。
「日常の些末な雑事如きに、旦那様の貴重なお時間を無駄にするわけにはいかないの。そういうのは、全部オレたちが代わりにやるように、昔から決まってるから。分かった?」
「分かりましたけど……」
身の回りのことを執事や侍女に任せっきりのエルロイドを見て歯がゆく思ったマーシャだが、そう言われては仕方がない。
「ということで、お姉さんはこれ以上無駄口を叩かないこと。旦那様のお仕事の邪魔だよ」
だが、少年の呵責に予想外の援護射撃が来た。
「そう言うな、シディ」
エルロイドが、二人の会話に加わったのだ。
「第三者の意見というものは、時に常識に囚われず、故にこそ正鵠を射ることがある。彼女にはある程度好きに言わせておけ。ある程度、だがな」
「かしこまりました」
どういう風の吹き回しか、マーシャをかばうエルロイドだが、その是非を問わずすぐに少年は応じる。
「――旦那様は、お姉さんには変に甘いんだよなぁ」
小さく、そんなことを呟きつつ。
◆◇◆◇◆◇
「彼はシディクス・マクホーネン。十四歳。代々、エルロイド家に仕える従僕の家柄に生まれた少年だ」
その日の夜。書斎でコーヒーを飲みつつ、エルロイドはマーシャの疑問に答えている。改めて、マーシャはあの執事の少年について彼に尋ねていた。名前と役職くらいはマーシャも知っているが、彼はいちいち少年のプロフィールを最初から説明する。
「彼が私に仕えるのは、生まれたときから決まっていた役割だ。だからこそ、彼にはありとあらゆる、執事として必要な技能と知識が備わっている。もっとも、現在進行形で勉強中だがね」
マクホーネン家はあの少年を、幼いときからエルロイド専属の執事として育て上げたらしい。どういう過去の関係からそうなったのかは、マーシャは知るよしもない。
「言わば競走馬のようなものだよ。競走馬がより速く走れるように、遺伝的に優れた性能を子孫に引き継ぐのと同じく、マクホーネン家は我がエルロイド家に仕えるよう特化している。ある種、興味深い人材だ」
他人事のようにそう言うと、エルロイドは本に目を落とす。
「それでいいんですか?」
そっけない態度に、思わずマーシャは疑問を投げかける。
「別に私は彼を拘束などしていない。仕事さえきちんとこなせば、プライベートにことさら容喙するつもりなどないのだが?」
事実、エルロイドのシディに対する態度は、まるで家具のようだ。いて当然であり、仕えて当然であると言った感じだ。それであの少年が満足しているのだろうか。人ごとでありながら、マーシャは何となく腑に落ちなかった。
◆◇◆◇◆◇
「珍しいね、お姉さんがオレに話しかけるなんてさ。オレのこと、苦手みたいだけど」
翌日、マーシャは廊下を歩くシディを呼び止めていた。彼の方は手に何冊かの本を持っている。エルロイドが寝室に置きっぱなしにした本を、書斎に戻す途中のようだ。
「シディさんは……」
「さん付けはやめてよ。お姉さんよりもオレは年下だよ。くすぐったいったら」
「じゃあ、シディ君」
マーシャがそう言うと、シディは妙な顔をした。
「どうしました?」
「いや、そういう風に呼ばれたことって、あんまりないからさ」
どことなく不満げのようでいながら、半ば嬉しそうでもある感じだ。パン屋に勤めていた頃、よくおつかいで来る少年を接客していたとき、こんな顔を見たような気がする。
「それで、シディ君こそ、私のことはあんまり好きじゃないみたいですけど」
マーシャの言葉に、シディは大げさに肩をすくめる。
「別に。旦那様がなさることに執事がどうこう意見するなんてこと、余程じゃない限りあり得ないから。お姉さんはその『余程』には当てはまらないし。お姉さんは、旦那様の研究の助手なんだろ。きっちり励めよ」
「じゃあ、その『余程』っていうのは……?」
「聞きたい?」
「ぜひ」
「じゃあ……」
耳打ちするような動作をしたシディに、不用心に顔を近づけたマーシャだが、あいにく返ってきたのは秘密の囁きではなく、額を弾くデコピンだった。
「痛ッ! な、何するんですか?」
本気で驚くマーシャを、正真正銘侮蔑の念を込めてシディは睨む。
「言うわけないだろ、間抜けなお姉さん。どうしてこのオレが、旦那様の心証を害するようなことを口走るって思えるんだよ。ホント、脳にカビでも生えてるんじゃない? 掃除してあげようか? 得意だぜ?」
容赦ない憎まれ口に、マーシャも言い返すことができない。だが、ここは年上の意地を見せ、聞かなかったことにする。
「え~、それはともかく。シディ君はいつから教授に執事として仕えているんですか?」
まるで面接のような物言いだが、彼は即答した。
「生まれたときから」
「は?」
「いや、気持ちとしては、ってこと。そりゃあ、まだオレは成人もしてないけどさ。でも、こう見えても年齢一桁の時から旦那様のお側にいさせてもらってるぜ。光栄至極ってね」
そこまで言うと、シディは得意そうな顔でマーシャの顔を覗き込む。
「驚いた?」
「そりゃもう、当然ですよ」
一方でマーシャも、この目の前にいる小柄な少年の全身をしげしげと眺めた。
「フン、安っぽい頭してるね、お姉さんは」
彼女の遠慮のない視線が気に食わなかったのか、シディは唇を尖らせる。
「どうせ、一般市民のお姉さんの考えそうなことくらい、よく分かるよ。一生を決められた家で決められた仕事で決められたように仕えて、それで満足なのかって思ってるんじゃない?」
図星を突かれて、マーシャはついたじろいでしまった。本当に、この少年は頭の回転が速い上に、それを躊躇なく言動に反映する大胆さも持ち合わせている。
「余計なお世話。決められたように生きて決められたように一生を過ごすなんて、普通の市民だって同じじゃないか。それに気づくか気づかないかの違いだぜ。ましてや、お姉さんのその左目とどう違うんだよ。お姉さん、妖精が見える目の持ち主なんだろ? 旦那様から聞いたぜ。その目のせいで、人生の選択肢がかなり狭まったんじゃない?」
ぎくりとして左目を隠そうとするマーシャを、鷹揚にシディは手を振ってあしらう。この少年執事はどこまで聞いているんだろうか。
「まあ、肯定も否定もいらないけど。デリケートな問題だしね。でも、お姉さんの考え方じゃ、まるで旦那様がオレにそんな生き方を強制しているようじゃないか。ちょっと、見過ごせないぜ、そういうのは」
だが、シディが話題にしたのは彼女の目がどうこうという話ではなく、あくまでもエルロイドと自分との関係についてだった。彼にとっては、自分のことを誤解されるよりも、エルロイドが誤解されることの方が我慢ならないようだ。実際、マーシャが勝手に、シディが執事の仕事を窮屈に思っているのではないかと思い込んでいたのも事実である。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ――――」
一方的な思い込みから妙なことになってしまったマーシャがおたおたと謝ると、シディは呆れたように鼻から息を吐く。
「はいはい、分かってるって。お姉さんにはそこまで邪推するような知性はないからね」
「うぅ……そこまで言わなくてもいいじゃないですか」
「事実だろ。オレは旦那様以外には手厳しいの。よ~く覚えておいてくれよ。じゃあ、仕事があるからこの辺で」
そう言ってシディは一方的に会話を打ち切ると、すたすたと廊下を歩いていく。マーシャはただ、彼の小さな背中を見送るしかなかった。外見こそ一見すると洒脱に思えるものの、彼女にはその背中がどこかやるせなく見えるのだった。
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