03・機械による代用 と 見えすぎる目 の 話
03-1
◆◇◆◇◆◇
産業革命の時代を過ぎ、この国は世界有数の工業国として、大きく羽ばたこうとしている。蒸気機関の発明による機械産業の発展は、この国を大きく富ませると同時に、古の時代から受け継がれてきたものを駆逐しようとしていた。強い電気の照明は、それまで闇の中に存在していた神秘を、陰と影の中へと追いやっていくのだった。
「――だが、神秘と科学とは本来一つなのだ。この二つは相容れぬものではなく、元を辿ると同じ技術、同じ思考、同じ解釈に行き着くのだ。分かるかね?」
「ある程度は……ですけど」
時刻は午後二時。首都のシンボルである跳ね橋を渡りつつ、人波の中でエルロイドは隣を歩くマーシャに講義する。ステッキを教鞭のように振るうので、かなり危ない。
「たとえば、だ。あれを見たまえ」
だが、周囲の迷惑そうな視線などどこ吹く風と言わんばかりに、エルロイドの講義にはますます熱がこもる。
「オートモビールですか?」
エルロイドの視点の先を、マーシャは見つめる。道路を走るのは、最近馬車の代わりとなりつつある自動車だ。ほぼ水蒸気でできた白煙を吐きつつ、それは二人の横を通り過ぎていく。
「あれの動力は何だね?」
「蒸気機関です」
「その燃料は?」
「〈鉱水〉、だと思いましたが……」
「ならば、鉱水は何を含有している水かね?」
「……分かりません」
立て続けに質問され、マーシャはさすがに言い淀む。いつからここは、大学の講堂になったのだろうか。無知をさらしたマーシャに、エルロイドはやや呆れたような視線を向けた。
「〈貴石〉だよ。古来から、魔法使いの触媒だの、賢者の石の原石だの、精霊の涙だのと呼ばれてきた特殊な宝石だ。君もコールウォーン出身ならば、少しは知っているだろう?」
そう言われ、マーシャは懐かしの故郷を思い出そうとする。だが、彼女の追憶は、耳元でやかましく繰り出されるエルロイドの説明であっさりと妨害された。
「このように、古代は魔法に使われていたものが、今では正しい知識と実践によって科学の進歩発展に寄与しているのだ。素晴らしいだろう?」
何がどう素晴らしいのか分からないが、エルロイドがそれに情熱を傾けていることだけは分かる。
「教授の研究も、いずれそうなるということですか?」
マーシャの言葉に、彼は深く深くうなずく。
「その通り。君は知識においては劣るものの、本質を捉えるのには優れているな。私の助手としては及第点だ」
マーシャも、エルロイドが喜ぶツボを大分心得てきた。彼の講義は大抵の場合、こうやって満足な結果で終わるのだ。
「さて、着いたぞ。ここだ、入りたまえ」
跳ね橋を過ぎ、エルロイドが足を止めたのは、一軒の店舗らしき場所だった。
◆◇◆◇◆◇
「ジン、いるかね。いるんだろう?」
ノックもそこそこに、エルロイドはドアのノブを引っ張る。だが、開かない。
「ん? なんだ? いないのか? そんなはずはなかろう。おい! ジン! いるんだろう! 早くここを開けたまえ!」
ドアを連打しつつ開けようとするエルロイドを、さすがにマーシャが止めようとした時だ。鍵の開く音が聞こえた。
「……誰?」
店内からドアを開けたのは、十代の初めくらいの少女だった。病弱なのか、顔色がずいぶんと悪い。
「私だ」
名乗りもせず、エルロイドはふんぞり返った調子で自己紹介する。
「……先生?」
「君の義父は在宅かね?」
少女を押しのけるようにして店内に入りつつ、エルロイドは尋ねる。少女は黙ってうなずいた。
「ならいい。邪魔するよ」
どうやら、彼女と彼女の父親とエルロイドは顔見知りらしい。ずかずかと店の奥に入っていくエルロイドを追おうかどうしようか、一瞬マーシャは迷う。けれども、ここで立っていると、さらにエルロイドの叱咤が飛ぶだろう。
「……お姉さん、誰?」
彼を追おうとしたマーシャに、少女が問いかける。よく見ると、手にウサギのヌイグルミを抱えている。
「こんにちは、お嬢さん。私はマーシャ。マーシャ・ダニスレートよ」
パン屋の接客で培った精一杯の笑顔で、マーシャは少女に挨拶する。我ながら、自分の態度はエルロイドと正反対だと思いつつ。
「エルロイド教授の助手をしているの。よろしくね」
少女は三白眼でじっとこちらを見てから、軽くうなずいた。
「……モニィ」
「え?」
「……私の名前」
「モニィちゃんね。教えてくれてありが――」
「マーシャ! 何をしている。私の時間を無駄にする気かね?」
案の定、向こうからエルロイドの苛ついた声が聞こえてきた。
「ごめんね? もう行かないと」
「……気にしないで」
エルロイドの奇行に慣れているのか、モニィと名乗った少女は脇に退く。自己紹介もそこそこに、マーシャは彼の後を追った。
どうもこの店は機械類全般を扱っているらしい。恐らくは修理屋だろう。ボイラーから時計、さらには蓄音機にエンジンらしきものまで、あらゆる機械が雑然と暗い店内に散らばっている。それらをエルロイドは勝手知ったる顔でかわし、さらに家人のような顔で堂々と地下へと降りていく。その足取りは速く、マーシャはついて行くのに難儀した。
「ジン! いるんだろう!」
奥の扉を蹴破らんばかりの勢いで開けたエルロイドに、ついに返事があった。
「ああ、うるさいな。さっきから聞こえてるぜ」
部屋の奥で、こちらに背を向けて椅子に座ったままの人影が、顔だけを彼の方に向けてそう言う。苦み走ったような顔に無精ひげを生やした、エルロイドと同年代とおぼしき男性だ。
「ならばさっさ返事をしたまえ」
「ここにいてどうやって返事するんだよ」
彼の無茶な要求に、呆れたような声を男性は上げる。機械油で汚れた手を近くのボロ布で拭くと、椅子を回してこちらに向き直った。
「……ん? その嬢ちゃんは誰だ? お前の姪か?」
そのやや濁った目が、エルロイドにようやく追いついたマーシャに向けられる。
「そんなわけがあるか。彼女は私の助手だ」
「助手……?」
男性がいぶかしげに目を細めたのを、見逃すようなエルロイドではなかった。
「何だね? その狂人を見るような目は」
「ほう、自覚はあるようだな」
「得てして、時代に先んじた才人が狂人扱いされるのは歴史が証明している。この私の如き、この私のような、この私を筆頭とする才人が」
狂人と見なされることをむしろ誇るかのように、エルロイドは胸に手を当てて鼻を高くする。しかし、すぐにその顔は不機嫌そうになった。
「だが、彼女はいたって正気だ。そのような目で見られるいわれはない」
どういう風の吹き回しか、一応エルロイドはマーシャをかばう。彼女が狂っているように思われるのは、我慢がならなかったようだ。
「そうだったな。すまん、嬢ちゃん」
一見すると頑固そうな男性だが、すぐに彼はマーシャに頭を下げた。
「こいつとは長い付き合いでな。こいつの奇行について行ける助手なんて、どんないかれた奴なんだろうとつい思っちまったんだよ」
「いえ、気になさらないで下さい」
そう謝られると、マーシャの方としても少し困ってしまった。
何しろ、実際問題エルロイドは奇行で知られた人間なのだ。その助手を務める以上、奇行のとばっちりを受けることは確実である。時には、それに巻き込まれるどころか片棒を担がざるを得ないことだってある。マーシャがエルロイドの側にいる理由は、今のところ給料がいいことが最大の理由だ。多少の奇行に目をつむる寛大さは、金銭で買える。
「俺はジン・ウォンソンだ。よろしくな。修理工だが、発明家でもあるんでね」
男性は自己紹介をすると手を差し出した。握手のようだ。
「マーシャ・ダニスレートと申します」
マーシャは怖じることなく手を出したが、ジンの方が、その手がまだ機械油で汚れていることに気づいたらしく、すぐに引っ込めた。
「それで教授、望みのものはできているぜ」
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