02-2
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パイプの煙に包まれた靴屋の店内は、それまでのがらんとした動くもののない状態から一変していた。マーシャの足元で、ひとりでに靴が作られていく。それも、あちこちで同時進行だ。皮が型に沿って切られ、張り合わされ、さらには磨かれていく。まるで、見えない職人がそこにいるかのようだ。ただし、どうもそのサイズはミニチュアらしい。
「ふむ。何の変哲もない終業後の靴屋、というのはやはりカモフラージュか」
今まさに見えざる手が作っているにもかかわらず、エルロイドは驚く様子もない。
「だが……」
むしろ、その表情は苦々しげだ。
「まったく手間を掛けさせる。認めざるを得ないが、所詮呪術師ならぬ私ではこの程度が限界か」
パイプから立ちのぼる煙は、それまで偽装されていた現実を消しゴムのように消し去り、真実をマーシャとエルロイドの眼前に見せていた。煙なしでは、どんなに目を凝らしてもここはただの靴屋だ。しかし煙の元、密かに靴の製作が進行中だ。エルロイドが妖精と呼ぶ寓話生命体は、こうして現世にいながら殆どの人の目を欺いて居座っている。
だが、エルロイドにとってはまだ足りないようだ。事実、今見えているのは、ひとりでに靴が組み立てられている情景だ。“誰が”作っているのかまでは、まだ見えていない。
「しかぁし! 以前の私ならばここで引き下がっていたが、今の私はかつての私ではない! 言わば新作! 新品! ブランニュー・ヘンリッジ・エルロイドなのである!」
唐突に奇声と共に盛り上がるエルロイドを、マーシャは正真正銘の奇人変人の類を見る目で見てしまった。いくら何でも真夜中過ぎに、ここまでテンションを上げるのは、見ていて空恐ろしい。
「――――失礼、つい気分が高揚してしまった」
幸い、彼女の正気を疑うような視線に、エルロイドは一気に現実に引き戻されたらしい。
照れ隠しの咳払いをしてから、おもむろに彼はマーシャに命じる。
「さあ、妖精女王の目の持ち主よ。この偽りの書き割りを君の左目でしかと見据えたまえ。そして、幕が上がってなお舞台に出ない演者を、私の前に引きずり出しなさい」
芝居がかった台詞だが、彼が望むことは分かる。
「分かりました」
うなずくと、マーシャは一歩前に出る。
彼女の眼前には、未だに忙しく組み立てられていく靴がいくつかある。まだ、その本当の姿は帳の奥にある。けれども――――。
「ほう…………」
後ろでエルロイドが、感嘆のため息をもらしたのが聞こえた。マーシャがしたのは、ただ目を開いただけだ。彼女にしか分からない、左目を開きながらも、さらにもう一枚瞼を開く独特の感覚。
ただそれだけで、今まで頑なに不可視だったものはたちまち、その姿を現した。パイプの煙の比ではない。それまであやふやだった姿形が、ほぼ一瞬でクリアに視認できるようになる。そこにいたのは、人間の手ほどの身長をした、六人ほどの小人だった。いずれも子供のような頭身だが、顔はネズミだ。歪なようでいて、奇妙なバランスがとれている。
「ギャー! 何事じゃー!」
真っ先にマーシャたちに気づいた、赤い色のとんがり帽子をかぶった小人が、しっぽを踏まれたネコのような声を上げた。よく見ると、全員帽子の色が違う。他は橙、黄、緑、青、紫だ。
「なんじゃなんじゃ、なんでここに人間がおるんじゃー!」
「そうじゃなくて、ワシらが人間に見えるようになってしまったんじゃー!」
いちいちオーバーなリアクションと共に、小人たちは手に持った靴のパーツや道具を放り投げて周囲を駆け回る。その内の一人、緑色の帽子をかぶった小人が、不意にマーシャの方を指差して大声を上げる。
「おおおっ! その目はもしや、もしや――――っ!」
エルロイドに負けず劣らぬ芝居がかった態度は、他の小人たちの注意を惹きつけた。
「ギャー! なんてことじゃ!」
「それはっ! それは畏れ多くもワシらの女王様、妖精女王の目じゃないか!」
「なんでその目を人間のあんたが持ってるんじゃ! なんでじゃー!」
口々にネズミ小人たちは、マーシャの左の眼窩にある、緑色の目を見て叫ぶ。事実、この妖精たちが跳梁跋扈する空間で、彼女の左目は妖しくも美しい輝きを放っていた。
マーシャとしても、妖精に話しかけられるのは久方ぶりだった。左目のいわゆる“二枚目の瞼”を開いた経験は、これが初めてではない。けれども、実のところそれはあまり心地よい経験ではない。露わになった左目から見える世界は、あまりにも現実とはかけ離れたものだったからだ。妖精とは言えど、その本質は異形で不気味なものだ。
元より、彼女の左目はぼんやりと妖精の姿を捉えていた。だが、エルロイドの助手となった今、彼女ははっきりと妖精郷を見つめ、妖精の姿を露わにしている。今の彼女は、一人でおっかなびっくり向こう側を覗いているのではない。その道の専門家と共に、彼方と此方の境界線上に立っているからだ。
「それは、言えませんよ。大事な秘密です」
口々になぜだなぜだと連呼する小人たちに、とりあえずマーシャは人差し指を唇に当ててそう言う。妖精と会話するなんて久しぶりだったため、とっさに気の利いたことが言えなかったのだ。だが、彼女の隣で熱心に小人たちを見つめているエルロイドは、それよりもさらに気が利かなかった。
「なんのことはない。元より有していた妖精郷との親和性が、身体の変容となってあらわれただけだ。れっきとした人間の眼球だよ。古くから伝説や民話の中で幾度か言及されている」
平然とエルロイドは言い放つ。
「教授、無粋なことを言わないで下さい。ほら……」
マーシャはエルロイドをたしなめつつ、部屋の隅を指す。
「みんな、すっかり怯えちゃってます」
どうも小人たちは人間が怖いらしく、エルロイドの言葉に一斉に部屋の隅まで逃げてしまった。さらに遠くまで行きたいらしく、全員で押しくらまんじゅうまでしている。
「うむ…………」
身を屈めて顔を近づけようとしたエルロイドは、マーシャの言葉に少し引き下がった。
「麗しき妖精女王の目を持つお方。いったいどうして、このようなところにお姿をあらわされたのでしょうか?」
しばらく経って、小人たちはようやく落ち着いてきたらしい。恐る恐ると言った感じで、一人の紫色の帽子をかぶった小人がマーシャの足元に進み出る。
「ワシらは何か、お気に障るようなことをしましたでしょうか?」
「もしそうならば、平にお許し願います。どうぞ至らぬワシらをお許し下され」
「左様でございます。どうぞ、お怒りにならないで下さい」
「申し訳ありません」
「――ありません」
他の小人も口々にそう言うと、揃って平伏する。
「ふむ、いささか面白い展開になってきたな」
こうなると、俄然興味がわいてきたのが、エルロイド教授である。
「お前たちにとって、この目は妖精女王とやらの目なのか。なぜだ?」
「そんなこと決まっておる。ワシらの女王様は偉大なお方じゃ。こんなちっぽけなワシらなど、女王様の前では隠し事など何一つできぬ」
それまでの恭しい態度とは違い、ややぞんざいな態度で小人はエルロイドの質問に答える。先程まで怯えて逃げていたのに、適応力は早いようだ。
「女王様の目は、ワシらの世界を遍く見晴るかしておられる」
「見つめられればあらゆる嘘が見抜かれ」
「睨めばたちまち身が竦み」
「そして見守っていただければもう、天にも昇る心地ってものじゃ」
「なるほど。偽装を見破り、真実を白日の下にさらす強制力を有した目か。理論では理解していたが、妖精そのものの口から聞くと納得の度合いが違う」
満足げに、エルロイドは素早くメモを取っている。パイプは口にくわえているが、中身は吸っていないようだ。続いてその顔がマーシャの方に向き直ると、彼は丁寧に頭を下げる。
「ありがとう、マーシャ・ダニスレート。君のおかげで私の研究は、これまでとは比べものにならない速度で進展しそうだ。心から感謝しよう」
突然のエルロイドの優しげな物腰に、マーシャはあたふたした。
「いえ、そんな。こちらこそ、ありがとうございます……」
だが、マーシャの感謝をエルロイドはまったく聞いていなかった。
「さあ、ならば次だ。いったい、この妖精たちがなぜここでこのような作業に取り組んでいるのか、聞いてくれ」
「私がですか?」
お礼の言葉を聞き流されたことで一瞬むっとしたマーシャだったが、今が仕事中だったことを思い出してその気持ちを抑えつける。
「幸い、君は妖精女王かその繋累と妖精たちに勘違いされているようだ。君の口から出た言葉ならば、彼らが嘘偽りを吐く確率も下がるだろう」
そう言われれば、助手としては従うよりほかない。
「一つ、お聞きしてもいいですか?」
マーシャが身を屈めると、すぐさま小人たちは立ち上がってしゃちほこ張る。
「何なりとおっしゃって下さい、ワシらの女王様」
「う~ん、私は別にあなたたちの女王じゃないんですけどね」
「そんな、お戯れを」
「その光り輝くお美しい深緑の瞳は、間違いなく妖精女王のお目でございますとも」
「――ますとも」
自分の左目を誉められると、マーシャとしても嬉しくなる。しかし、その時わざとらしい咳払いが聞こえてきた。横を見ると、エルロイドが早くしろと目で促している。
「とりあえず真偽の程は置いておきますね。それで、あなたたちはどうしてこんなところで靴を作っているんですか? お仕事ですか?」
慌ててマーシャは、本題に入ることにした。
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