02・小さな靴屋 と 遅くなった恩返し の 話

02-1



 ◆◇◆◇◆◇



 ――これは、マーシャとエルロイドがまだ出会ったばかりの話である。


「ここが、妖精の出る魔法の靴屋なんですか?」


 ランプの明かりにぼんやりと照らされた店の中を、改めてマーシャは見回す。時刻は既に深夜零時を過ぎている。先程、エルロイドが自分の懐中時計を確認しているのを、後ろからのぞき込んだばかりだ。


 首都からやや離れた地方都市、ランドファリー。職人の町とも呼ばれるここは、古くは職工たちによるギルドの本部も置かれていた場所である。今となっては、時代に取り残されつつある町の一つに過ぎない。既に機械産業はこの国に深く根付き、昔ながらの手製の技術は、徐々に失われつつある。


「マーシャ、私の前でその『魔法』などという非科学的な表現はやめるんだ。気分が悪くなる」


 しかし、彼女の隣に立つエルロイドは、彼女が用いた「魔法」という語に鋭く反応する。この大学教授にとって、自分が研究する妖精とは空想上の産物や、時代錯誤の迷信などではない。れっきとした生命体であり、科学的に実在を実証できる存在なのだ。


 だからこそ、彼は神経質なまでに名称にこだわる。自分の研究を、旧来のオカルトと一緒にされたくはないのだろう。あいにくとマーシャには、魔法を非科学的と断じる一方で、妖精を科学的とするエルロイドの思考が理解できないのだが。


「すみません、以後気をつけます」


 それでも、とりあえずマーシャは頭を下げる。


「君は返事こそ丁寧だが、そのくせまるで反省した様子がないようだな」


 彼女の態度が気に食わないらしく、エルロイドは苛立たしげな表情を見せる。


「……まあ、仕方がない。人口に膾炙した表現があるのは事実だ。だからこそ、私が正確な知識を衆民に公開すればいいだけの話だ。ふん、まったくもってやりがいのある仕事だとは思わんかね?」


 けれども、何やら自分で自分を納得させたらしく、彼はすぐに機嫌を直して同意を求めてきた。ここで期待に応えられないほど、マーシャは世間知らずではない。以前はパン屋の店員をしていたマーシャだ。無駄にプライドが高くて口うるさい人間の相手など、慣れたものだ。


「ええ、ドランフォート大学の教授だからこそできる大役だと思いますよ」

「そうだろう、そうだろう。私たちがいかに責任重大な仕事を果たしているか、分かってきたようだな」


 あっさりとエルロイドは彼女の口車に乗り、鼻高々と言わんばかりの態度で胸を張った。ちょろいものである。そして、遅ればせながら彼はマーシャの疑問に答え始めた。確かにここは、妖精が出ると噂される靴屋らしい。


 ここの店主は、腰の曲がった老年の男性である。寄る年波にも勝てず、靴屋の看板を下ろそうと思うこの頃らしい。しかし、このところ奇妙な出来事が店内で多発しているとのことだ。明らかに昨晩作りかけの状態で放置していた靴が、朝起きてみると完璧に仕上がった状態になっているのである。一度や二度ではなく、何度もそんなことが起きている。


 誰に聞いても、心当たりはないと言われるだけだ。犯人を見つけようと一晩店内で粘っていても、何の変化も見受けられない。そのくせ、気がつくときれいに仕上がった靴が置かれているのだ。警吏に相談したこともあるが、取り合ってもらえなかった。きっと妖精の魔法に違いない。そんな一部始終を、地方紙に記事として書かれたこともある。


 いわゆる妖精のいたずらとされる事件ならば、どんな細かなことでもエルロイドは自分の耳に入るようにしているようだ。だからこそ、出張先でいい加減なガセネタを掴まされて帰ってくることも多々ある。果たして今回は、どうなのだろうか。


「こうやって、妖精が魔法を使うまで――――」


 言いかけて、慌ててマーシャは訂正する。


「失礼、妖精が具現するまで待つんですか?」


 もしこれもイカサマか、老店主の勘違いだったら、さぞかしエルロイドは落胆することだろう。そんなことを心配しつつ、マーシャは尋ねた。このまま、ひたすら何らかの変化が起きるまで待つだけなのだろうか。


「まさか。それでは時間をいたずらに浪費するだけだ」


 案の定、時間を無駄にする人間を親の仇のように唾棄するエルロイドは、首を左右に振ってマーシャの言葉を否定した。


「ひとまず、私が今まで使用してきた方法を見せるとしよう。もっとも、君のその左目に比べれば、正真正銘の子供だましだがね」


 そう言うと、エルロイドは床に置いてあったトランクを開く。


「煙草ですか?」


 取り出された中身を見て、マーシャは首を傾げた。彼が手に持っているのは、どう見ても喫煙に使うパイプだった。彼の手の中でそれは、マーシャの疑問符のような形を描いている。恐らくは高価なものだろうが、あいにくと彼女にはよく分からない。


「東洋の方では、妖怪や神々は煙草の煙を忌むらしい。私も吸う機会はないがね」


 うんちくを傾けつつ、彼はパイプの火皿に煙草とおぼしきものを詰め、マッチを擦ると火をつける。


「でも、今吸う準備をしておられるようですが?」

「まあ、見ていたまえ。あまり口うるさい女性は好かん」


 少々口を挟みすぎたらしい。エルロイドが嫌な顔をしたので、すぐにマーシャは黙る。彼はパイプを口に運ばず、そのまま手で持つだけだ。


「これは、新大陸の呪術師が部族の精霊と会話する際に用いる薬草だ。要するに、精神をトランス状態に移行させるための化学物質が含まれたハーブの類だな」


 何食わぬ顔で、エルロイドはパイプから立ちのぼる煙の中にいる。ことさら吸い込んではいないが、だからといって息を止めている様子もない。


「そ、そんなものを焚いて大丈夫なんですか?」


 煙草ならば知識で知っているマーシャだが、新大陸の呪術師とやらが使う薬草など初めて見た。何だか恐ろしい毒の煙に燻されるような気がして、つい後じさる。


「安心したまえ。そもそも毒ならば、シャーマンが用いるはずがなかろう」


 彼女の怯えっぷりが大げさだったのか、エルロイドは胡乱な目をする。


「まあ、継続して服用すると何らかの害はあるだろうな。阿片か何かのように乱用すれば、の話だ。一度や二度ならば、それも間隔を空けて使えば無害だよ」


 そこまで言われては、マーシャも納得したような態度を取るよりほかない。内心では全然納得していないが、だからといってエルロイドのすることにこれ以上文句は言えない。自分は彼の助手なのだ。


「さっきの話だが――」


 しばらくパイプの煙が空間を占めていく時間だけが過ぎ、やがてエルロイドが口を開いた。さっきの話、と言われ、マーシャは忙しく記憶を辿る。


「ええと、お気に入りの靴屋が急に閉店して困っている、とおっしゃっていましたね。足がやや外反母趾気味だとか」


 そう言うと、エルロイドは目を剥いて大声を上げた。


「それは汽車に乗っていたときに話した内容だろう!? いったいいつの話だと思っているのかね!?」


 実際そうだ。彼女が振ったのは、首都からここランドファリーに向かう汽車で、エルロイドが何気なく言った話なのだ。煙に巻かれて、少々頭がおかしくなったのだろうか。いくら何でも遡りすぎている。


「私が言いたいのは、この薬草の効能だ」


 本当に無害かどうか、だんだん疑わしく思えてきたマーシャを差し置いて、エルロイドの講義が始まった。


「トランクがどうこうと言っていたような……」

「トランスだ、トランス。神懸かりや、憑き物の精神状態だよ。君もそれくらい知っているだろう? コールウォーンは因習の深い地域と聞いているが?」

「あまり、詳しくは知りません」


 珍しく、マーシャはエルロイドの話に乗らずに、打ち消すような発言をする。


「人付き合いが悪かったのかね?」

「いいえ、仕事が忙しかったので」

「そうかね」


 ここでさらに尋ねれば、マーシャの子供時代について少し情報が得られるはずだろう。だが、エルロイドは興味がないのかそれ以上詮索しない。


「まあ、どうでもいいことだ。私が言いたいのは、こういった薬効成分を持つとされる秘薬の類は、単に人間の脳に作用するだけではないと思うのだよ」


 パイプを手の内で弄びつつ、彼は言葉を続ける。


「妖精、妖怪、化物、魔物。ありとあらゆる言葉で呼ばれる寓話生命体は、単なる幻想や幻覚ではない。それは帳の向こう側に、確かに存在している」


 パイプの煙が周囲を塗り潰していく。その香りは、苦く焦げ臭いようでいて甘ったるい。


「彼らが向こう側に属しながらこちら側に干渉してくるのならば、その逆もまた然りだと思わないかね」


 どう反応していいのか分からず無言のマーシャを見て、軽くエルロイドは口角を上げた。


「だからこそ、見たまえ。――――今、私たちの眼前で帳は上がる」



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