地上の天王
雨の吹き込みを防ぐための長い庇は、暖かい陽射しをも遮って、座敷の奥に明るみを届かせない。
王としての生活は、不便なものだった。人との面会は制限されるし、外へ出る時は輿に押し込まれる。たまには巻き狩りで青空の下に出られることもあるが、多勢の家来に取り巻かれては、思うままに獲物を追う愉しさは味わえない。
日々は、形ばかりの政事と、型にはまった祭祀、その合間の食事と睡眠の繰り返しだった。何でも有司が手はずを整えてくれる。初めはいたれりつくせりで楽だと思った。その代わりに、自分で決められることは一つも無い。身の回りの種々の品物も、おおよそ王朝の財産であり、自分の私有に帰する物はほとんど無かった。
「
という意味も憶えた。その後はさっぱり判らない。それでも巻物を積んでおくだけでありがたい感じがする。
一日の公務を終えると、泊瀬部はこの離れに籠もる。この窮屈な空間だけに自由がある。香を焚いて仏の姿に向かっていると、穏やかな心で現状を受け容れるという気もちになる。しかし床に就き眠りに落ちると、遊び回っていた頃を夢に見る。時には二人の兄の王の、まさに病に死なんとするきわに遭遇する。そして目を覚ますと、自分もそう遠くないうちに死ぬのだという念が湧く。
瘡の病は、ひところの猛威は失ったとはいえ、時々息を吹き返して、そのたびごとに人々を苦しめた。そうした折りには、
馬子の胸には、仏教を政治の道具として扱う冷徹さと、父から受け継いだ念願がやっと叶えられるという熱いものが同居している。何としても、この仕事をもっとどしどしと進めたいものだ。海石榴市と倉梯、あるいは豊浦と倉梯、四つの蹄を音高く鳴らして、二つの宮の間を往復しながら、馬子はあらゆる可能性に思いを巡らせる。
馬子が次世代の
――もし
と馬子は、秘かに何度も同じことを考えた。仏教導入の推進という点では、二人の意志は固く一致している。
女性が王位を継承することは、不可能というわけではない。かつて旧王家の
炊屋姫がもし王位に即こうとすれば、厩戸王子がもう少し成長するよりも前に、泊瀬部王が死ななければならない。
ところがこのごろ、炊屋姫は近習の者に自分のことを、
「
という美称で呼ばせるようになった。
仏教では、大梵天、帝釈天、四天王など、天界で三宝を守護する神を、天王、と呼んでいる。それになぞらえて、仏教を擁護する地上の王者をもそう呼ぶことがある。天王の類いには、弁才天という女神もある。
炊屋姫が自ら天王になぞらえたことから、馬子はその構想が思いがけず大きいものであることを知った。馬子は、仏教をもっぱら最新の技術や知識を摂取するための媒介として考えている。それは炊屋姫も同じだと思っていた。
炊屋姫は、国家と秩序を造り替えることを目指している。倭の国にも、同盟する吉備、阿波、出雲、筑紫、
――では、天王と倭王、炊屋姫と泊瀬部の関係はどうなるのか?
天に二つの日は無く、民に二りの王は無いという。天王、という炊屋姫に対する尊号が、もっと広く用いられることになれば、両者の地位は衝突を起こすに違いない。重い決断の時が迫っていることを、馬子は感じずにはいられなかった。
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